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裸体画論争

ratai-ga ronso

 明治期に紙媒体や展覧会等で繰り広げられた裸体画をめぐる一連の論争である。現在知られている最初期の例としては、明治22年に刊行された歴史小説『蝴蝶』における裸体イラストの是非が論じられた「裸蝴蝶論争」がある。また代表的な例としては、黒田清輝をめぐる裸体画論争が挙げられる。すでに焼失し現存しないが、黒田作の《朝妝》は、彼がフランス留学を終えて帰国したばかりの明治27年に明治美術会第六回展で展示した裸体画である。その際は問題とならなかったものの、翌年に京都で開かれた第四回内国勧業博覧会で同じ作品を一般公開した際に、初めてその是非が問われることとなった。最終的には博覧会の審査総長であった九鬼隆一が擁護することで展示は続投されることとなったが、その後も明治30年に発表された《智・感・情》が、明治34年には《裸体婦人像》などが相次いで議論を呼ぶこととなる。

 とりわけ後者の展示に関しては、黒田がフランスから持ち帰ったラファエル・コランの作品などとともに警察が介入し画面の一部を布で覆うという「腰巻き事件」が発生した。このことに対しては、当時より石井柏亭や与謝野鉄幹などより強い憤りの声が上がり、日本における芸術の無理解が嘆かれることとなった。それもそのはずで、古代ギリシア以降、西洋に続く美の理想像としての裸体(ヌード)の伝統を日本に定着させることは、日本で「美術」というプログラムを駆動させようとする黒田らにとっては避けて通れないプロセスであったからだ。それゆえに、上述した裸体画の中でも初めて日本人の肉体が描かれた《智・感・情》は、日本における「美術」受容の理想と現実がねじれながらも端的に表現されているという点で重要である。近年においても、美術家の村上隆や梅津庸一が《智・感・情》の「リメイク」を制作しているほか、写真家の鷹野隆大が自身の作品展示に対して警察権力が介入したことを「腰巻き」によって表現するなど、この論争は現在もなおアクチュアリティを持ったテーマとして参照されることがある。

文=原田裕規