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キッチュ

Kitsch

 キッチュ (ドイツ語:Kitsch)とは、「俗悪なもの」「いんちきなもの」「安っぽいもの」から「俗受けを狙った芸術作品」という意味にも転じたものである。そもそもが、非芸術的な趣味や嗜好から生じたものであって、それに芸術分野の様々な見解が加わり、諸説紛紛としてその全容を述べるのはここでは適わないが、すでに一般的な概念として定着している。

 現代美術では、美術批評家クレメント・グリーンバーグの1939年のエッセイ「アヴァンギャルドとキッチュ」で述べられたものであり、このテクストは20世紀の重要な文献のひとつとして位置づけられている。その文献としての重要性も特殊なもので、グリーンバーグがまだ文学への軸足が大きい29歳の若さで執筆したのだが、『ARTFORUM』(VOL.43 NO.2、51頁、2004)によると、後にポップ・アートの登場と広がりに直面して、かつて論じていたことを自ら変容させることになった。

 グリーンバーグは、アバンギャルド芸術の意義を通俗性から断ち切られたものとしてとらえていたが、後の美術史の展開によってその思考が根底から覆された。グリーンバーグがともに歩んだ抽象絵画、アメリカ型絵画のすぐ後には、アンディ・ウォーホルが取り上げた大量生産製品、広告、マスメディア、ロイ・リキテンスタインのコミックのイメージなど、グリーンバーグが「キッチュ」と呼んだものが主題として席巻するポップ・アートが登場することになった。

 この傾向は、その後もずっと続き、ジェフ・クーンズの作品《マイケル・ジャクソン・アンド・バブルス》(1988)のようなキッチュの俗悪さを並べたてたものや、グリーンバーグがキッチュの例として取り上げたソ連の社会主義リアリズムとも異なる、現代中国のアーティストたちが扱う社会主義イメージの「キッチュ」を見ることができる。むしろキッチュこそが現在では主流であるとも言える。ただ見逃してはならないのは、グリーンバーグが取り上げていたのは、見た目のキッチュさだけでなく、美術での商業主義に対する批判でもあり、それに抗するアヴァンギャルドの純粋に優れた質を賞賛していることである。

 日本では、「キッチュ」は、1965年に出版されたグリーンバーグの著書『近代芸術と文化』のなかで「前衛と通俗物」として、瀬木慎一の翻訳で紹介された。グリーンバーグの日本への紹介が遅れたため、同時代的には受け止められずに、70年代頃から「キッチュ」という言葉が広がり、大衆文化の各方面で独特なキッチュ論が存在している。

文=沖啓介

参考文献
クレメント・グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄監訳、勁草書房、2005)
クレメント・グリーンバーグ『近代芸術と文化』(瀬木慎一訳、紀伊国屋書店、1965)