ART WIKI

ビデオギャラリーSCAN

Video Gallery SCAN

 1980年10月に原宿にオープンし、ヴィデオ・アートを推進するいっぽうで、海外の最新アート情報や、オルタナティブな領域の幅広い映像、音楽、パフォーマンスなどの視聴覚文化を紹介するユニークな活動を展開した。ギャラリーとして世界のヴィデオ・アートのショーケースが見られたが、組織的には、通常の「画廊」というよりは、むしろヴィデオ・アーティストたちによるコラボラティブなものであった。

 主宰者は、実験的なアートを多用した70年大阪万博ペプシ館に始まる「霧の彫刻」のアーティストとして知られ、日本のヴィデオ・アートの草分け的存在のひとりである中谷芙二子だ。中谷の構想による一連の活動は、ヴィデオ・アートのみならず、その後のテクノロジーを使った表現を先駆けするものであり、また海外のアーティストたちや組織とのつながりの深さも、活動の基盤となっていた。

 日本のヴィデオ・アートは、72年に「ビデオひろば」が、山口勝弘、中谷芙二子、かわなかのぶひろ、小林はくどうらによって結成された。映像作家、現代美術のアーティストたちが集合したもので、日本におけるヴィデオ・アートの最初の世代である。この活動は、ヴィデオ・アートの普及や社会性を持った活動を先進的に行なっていたが、70年代のうちに活動を終えた。

 78年には日本ビクター株式会社により、2009年まで続く「東京ビデオフェスティバル」が開始。当時、ヴィデオ機器は、まだ消費者には目新しい新技術であった。ここではアート映像作品と並んで、家庭的な題材のヴィデオ作品も見られるようになり、ヴィデオの普及に貢献した。

 そういう状況とは一線を画したビデオギャラリーSCANでは、アート映像を追求する新世代が集まることになった。アーティストたちは、当時はほとんどが学生であった。主な参加者は、寺井弘典、川口真央、串山久美子、黒塚直子、島野義孝、斉藤信、原田大三郎、土佐尚子、櫻井宏哉、邱世源(キュウ・セイゲン)、それにソニーのエンジニアであった篠原康雄などである。81年に第1回ヴィデオ・アート公募展を開催し、最初の審査員がビル・ヴィオラと沖啓介だった。その後、91年までに15回の公募展が行われた。応募作品には、映像表現の多様化によって次第に映像インスタレーション作品も含まれるようになった。

 87年には「JAPAN '87 国際ビデオ・テレビ・フェスティバル」を東京の青山スパイラルで開催。本祭は92年まで3回開催された。ちょうどデジタル・エレクトロニクスへの大きな変化が絡み始める時期だった。ビデオギャラリーSCANはアート活動以外に、「SCANNING POOL」という東京のインディーズのミュージック・シーンの映像記録も行い、メディアを通して多様な文化に関わった。

 ビデオギャラリーSCANの主な活動は90年代初頭に終わるのだが、その後は、アーカイヴ事業にも関わっている。ヴィデオやテレビ放送がアナログからデジタルに変わり、またパーソナル・コンピュータやインターネットの登場など、映像の技術と文化の不断の変化のなかで、民間レベルで展開した活動として貴重なものであった。

文=沖啓介