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メアリー・カサット

Mary Cassatt

 メアリー・カサットは1844年アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。フランス・パリで活動した画家。印象派のひとりに数えられるが、風景画はほぼ描かず、「母と子」「女性」を主題とした。銀行家の娘に生まれ、61年に当時女性の入学が許された数少ない教育機関のひとつ、フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーに入学。66年に渡仏して国立美術学校に入ることを望むも、女性の入学は認められず、新古典主義の画家ジャン=レオン・ジェロームの画塾で学ぶ。ルーヴル美術館で模写を行いつつ、風俗画家シャルル・シャプランに師事し、68年、24歳のときにサロンに初入選。エリザベス・ジェーン・ガートナーとともにアメリカ人女性初の入選であった。

 74年、イタリア、スペイン、オランダでのオールド・マスターの研究を終えてパリに定住。この頃、ウィンドーギャラリーで目にしたエドガー・ドガのパステル画に衝撃を受ける。75年、印象派風の作品をサロンに出品して落選。翌年、同じ作品をアカデミックに描き直して入選したことから審査体制に疑念を抱き、サロンと距離を置く。いっぽう、ドガは波長が合うとしてカサットの作品に注目していた。その誘いを受けて第4回印象派展(1979)に参加。以後、印象派展(内部分裂のため1886年まで)を発表の場として、ドガとの交流も続く。印象派としてのデビュー作《青い肘掛け椅子に座る少女》(1878)はドガの手も加わって完成したもの。直接の師弟関係ではなかったものの、都市生活や女性の何気ない日常に関心を寄せていたことや、デッサンに優れ、日本の浮世絵を参考にした平面化や斬新な構図を取り入れるなど共通点が多く、大いに影響を受ける。79年、ドガ、カミーユ・ピサロとともに版画雑誌『昼と夜』の制作に着手。出版は実現しなかったが、版画技法を習得する。

 後年は日本の浮世絵を積極的に集め、多色刷り銅版画の制作に熱中。とくに喜多川歌麿の美人画や母子絵に着想を得る。主題は母と子が中心となり、親愛に満ちた優しく上品な色彩の作品を手がける。晩年は白内障に罹り、制作を断念。当時の女性としては珍しく生涯独身で経済的に自立し、また大富豪ハブマイヤー夫妻の収集活動を支援してアメリカの印象派コレクションの形成に大きく貢献した。代表作のひとつ《桟敷席にて》(1878)は、オペラに集中する女性と、遠くの桟敷からこの女性を眺める男性の視線を対比させ、男性の目を気にしない近代的な女性像を示唆した作品。カサットは女性の参政権運動などに参加したフェミニストでもあった。1926年没。