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河鍋暁斎

Kyosai Kawanabe

 河鍋暁斎は天保2(1831)年生まれ。幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。37年、6歳で歌川国芳の門下に入門。しかしわずか2年で去り、40年に狩野派の絵師前村洞和に再入門。洞和は暁斎の才能を評価し、「画鬼」と呼んだとされている。その後、9年で狩野派の免状を与えられ、洞郁陳之(とういくのりゆき)の画号を得た。この時期はちょうど幕末期にあたり、幕府をパトロンとしていた狩野派の絵師たちにとっては苦況であったが、暁斎は「狂斎」などの画号を使い、浮世絵、戯画、行灯絵などを描いて生活を凌いだという。

 70年に官を誹謗した風刺画を描いたことで投獄される。この投獄からの釈放を経て、71年に画号を「暁斎」に改めた。その後、76年のフィラデルフィア万国博覧会に肉筆作品を出品。81年には、第2回内国勧業博覧会に《枯木寒鴉図》を出品し、日本画の最高賞である妙技二等賞牌を受賞。同年、お雇い外国人として来日したイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが暁斎に入門した。

《百鬼夜行図屏風》(1871-89)や《地獄太夫と一休》(1871-89)など妖怪、あるいは幽霊などをモチーフにした作品のほか、数多くの達磨図や明治の世相を反映した《船上の西洋人》(1871-89)など、その題材の幅は広い。1889年没。近年の主な回顧展に、暁斎コレクターであるイスラエル・ゴールドマンの所蔵作品を紹介した「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」(Bunkamura ザ・ミュージアム、東京、2017)など。