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尾形乾山

Kenzan Ogata

 尾形乾山は1663(寛文3)年、京都有数の呉服商・雁金屋の三男として生まれる。尾形光琳は5歳年上の兄。兄弟仲は良かったようだが、放蕩三昧が伝えられる光琳と性格は対照的で、和漢の学問に熱心な読書人で、若い時分に黄檗禅に傾倒し、暮らしぶりも質素であったという。乾山が25歳のときに父が亡くなり、その遺産を相続するが、89(元禄2)年、27歳で御室仁和寺に近い双岡付近に習静堂を建てて隠棲。翌年、隠元禅師の高弟である独照性円から霊海という号を与えられている。乾山が同地を選んだ理由のひとつには、古くから閑雅な別荘地であった環境のほかに、野々村仁清の窯が仁和寺門前にあったことも挙げられよう。99(元禄12)年、乾山は鳴滝泉谷に窯を開き、作陶で生計を立てていくことになる。1712(正徳2)年、鳴滝の窯を閉じて二条丁子屋町に転居し、五条や粟田口など市中にある窯を借りて陶器制作を続ける。この鳴滝窯時代の終わりから二条丁子屋町時代の初めにかけて、尾形兄弟の合作(兄・光琳が絵付け、乾山が器形と書)が数多く誕生した。光琳没後は江戸に下り、入谷に開窯して作陶を続け、43(寛保3)年没。晩年およそ20年の活動は、酒井抱一という江戸の琳派形成の土壌をつくったと言えるだろう。