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いまジョアン・ミッチェルを見る意義とは何か。エスパス ルイ・ヴィトン大阪の「Fragments of a landscape(ある風景の断片)」展を訪ねて

今年2月にオープンした日本で2つ目のエスパス ルイ・ヴィトンとなる「エスパス ルイ・ヴィトン大阪」のオープニング展覧会として開催されているジョアン・ミッチェルとカール・アンドレの2人展「Fragments of a landscape(ある風景の断片)」。本展のうち、5月に新たに2作品が追加されたジョアン・ミッチェルについて、国立国際美術館上席研究員の安來正博が美術史の視点からその重要性を読み解く。

文=安來正博(国立国際美術館上席研究員)

 2014年10月、パリはブーローニュの森に開館した「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」は、フランク・ゲーリーの建築と、優れた現代美術コレクションによって、たちまち世界が注目するアートスポットとなったが、そのコレクションをより広く公開する目的で、これまで世界5ヶ所(東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル)に展開してきた「エスパス ルイ・ヴィトン」が、このたび6ヶ所目の拠点として、大阪にオープンさせたのが「エスパス ルイ・ヴィトン大阪」である。

 青木淳の設計による、帆船をイメージしたルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋の真っ白な建物に入り、エレベーターで5階に上がると、表通りの喧騒から遮断された広く清楚なギャラリースペースに出迎えられる。この街ではお目にかかることの少ないスタイリッシュな空間は、現代美術の展示に相応しい、高い天井と大きな壁面を有している。

ルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋 © Louis Vuitton / Stéphane Muratet

 さて、オープン記念展は「Fragments of a landscape(ある風景の断片)」と題された、ジョアン・ミッチェルとカール・アンドレの2人展だ。未公開の所蔵作品を世界各地のエスパス ルイ・ヴィトンで紹介する「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として企画されたもので、フォンダシオン ルイ・ヴィトンのコレクションとしては本邦初公開だ。

 そもそもこの二人、世界的な知名度の割には、日本であまり作品を目にする機会のないアーティストである。カール・アンドレは、床に平たい金属板を配列させた作品は幾つかの美術館が所蔵しているが、今回見るような、木材を組み合わせるタイプで、かつ、これだけのスケールの作品は見たことがない。その23個の米杉の角材を組み合わせた全長14メートルの作品《Draco》が、ギャラリー空間を対角線上に横切っている。

「FRAGMENTS OF A LANDSCAPE」(エスパス ルイ・ヴィトン大阪)展示風景より Courtesy of Fondation Louis Vuitton Photo credits: © Keizo Kioku / Louis Vuitton

 そして、周囲の壁面を飾るのがジョアン・ミッチェルの4点の油彩画である。抽象表現主義、ニューヨーク・スクールの画家のなかでも第二世代に属し、そのユニークな経歴と強い個性によって、際立った存在であったにもかかわらず、あるいはそれ故にというべきか、この一派のなかではいまひとつ名前が普及していない画家である。けれども、今回来日した4点の絵画を見ることで、この画家に対する認識は一変されるのではないだろうか。いずれも、二連画、三連画、そして四連画の大作で、後年から晩年にかけての作とはいえ、若き日にアスリートとしてならしたその体力は健在である。

 展示室を一望してわかるのは、4点のうち1979年と1980年に制作された3点は、イエローを基調にした明るい画面で、たっぷりと絵具の乗った太いストロークが、力強い生命感を醸し出している点が共通していることである。

「FRAGMENTS OF A LANDSCAPE」(エスパス ルイ・ヴィトン大阪)展示風景より Courtesy of Fondation Louis Vuitton Photo credits: © Keizo Kioku / Louis Vuitton

 ギャラリー正面の壁面を飾る《Untitled》(1979)は、長さ4メートルの三連画。圧倒的な面積を占めるイエローのタッチの下に、やや控えめに淡い紫の色彩が見え、左右のキャンバスの下層には、さらに狭い範囲で濃いブルーの絵具が見え隠れしている。ストロークは長いものから短いものまで縦横無尽、一気呵成に描かれており、垂れ落ちる絵具の流れもそのままに定着されている。しかし、その筆勢の迫力にもかかわらず、全体に明るい色彩の効果からか、決して激情的な印象ではなく、むしろ、燦燦と陽光を浴びながら輝く自然の風景のように、穏やかで柔らかな雰囲気に包まれている。

ジョアン・ミッチェル UNTITLED 1979 キャンバスに油彩(三連画) 194.9 x 389.9cm Courtesy of the Fondation Louis Vuitton エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2021) Photo credits: © Keizo Kioku/Louis Vuitton

 いっぽう、1980年に制作された2点は、同じイエローを基調としながらも、《Untitled》に比べると密集した感じではなく、より軽快な印象を受ける。二連画の《Cypress》は、画面上下で色調が異なっており、淡いグリーンの下地の見える上部と、紫やオレンジが強いアクセントとなっている下部が、さながら空と大地とを隔てる風景画のような構図である。そして中央に黒い(深緑色?)塊が二つ。まるで寄り添う人物のように描かれている。「糸杉」というその題名からも、敬愛するゴッホへのオマージュと解釈することができそうである。

ジョアン・ミッチェル CYPRESS 1980 キャンバスに油彩(二連画) 220.3 x 360.7cm Courtesy of the Fondation Louis Vuitton エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2021) Photo credits: © Keizo Kioku/Louis Vuitton

 もう一点の《Minnesota》は、長さが6メートルを超す4連画で、真ん中の2枚のキャンバスに比べて、両サイドの2枚は幅が短くなっている。画面中央を大きく占めるのはレモンイエローの色面で、それを取り囲むようにオレンジや紫、左下には黒いストロークが認められる。面白いのは、両サイドのキャンバスと中央のキャンバスとは画面が分かれていて、ストロークがつながっていない。とくに右側の2枚のキャンバスは、継ぎ目の隙間で直線的に画面が分断されているのがわかる。

ジョアン・ミッチェル MINNESOTA 1980 キャンバスに油彩(四連画) 260.4 x 621.7cm Courtesy of Fondation Louis Vuitton エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2021) Photo credits: © Keizo Kioku/Louis Vuitton

 ミネソタは彼女の生まれ故郷に近い。若くしてパリに渡ったミッチェルにとっての原風景ともいえるその地の自然を、「描く」という身体的な感覚を通して追想したものだろうか。あるいは、モネが風景表現を極めた地として、後年ミッチェル自身が移住した、セーヌ河畔の村ヴェトゥイユの景色であろうか。いずれにせよ、伸びやかな草木に囲まれた自然を想起させる作品である。

 さて、これら3点と明らかに様相を異にする作品が、最晩年に制作された《South》(1989)である。まず、先の3点がイエローを基調にしているのに対し、この絵では、緑(ビリジアンやエメラルドグリーン)、青、オレンジ、紫と、多くの色が前後することなく所狭しと並置されている。なかでも、鋭い線状のストロークで画面に切り込んでいる濃いワインレッドは、画面に溶け込むことなく、この画面を混沌としたものにしている。他の作品が、ある意味色彩のハーモニーで彩られているのに対し、ここでは神経質な不協和音のような調子が生み出されている。

ジョアン・ミッチェル SOUTH 1989 キャンバスに油彩(二連画) 260.1 x 400.1cm Courtesy of Fondation Louis Vuitton エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景(2021) Photo credits: © Keizo Kioku/Louis Vuitton

 色彩だけではない。近寄ってみると、この絵のタッチは暴力的なまでに奔放でスピード感に満ちている。殴り書きのような出鱈目な線もあれば、傷跡のように痛々しいまでに鋭い線もある。無秩序で即興的なさまは、かつての抽象業現主義時代の彼女の作風を髣髴とさせるものがある。

 あらためて言うまでもなく、ジョアン・ミッチェルは、抽象表現主義全盛期のアメリカでデビューし、やがてアンフォルメル旋風が吹き荒れるフランスに渡り、人生の後半をかの地で送った。そして、この種の絵画が徐々に影響力を失っていった60年代以降も、一貫してアクション・ペインティングの手法を採用しながら、いっぽうで、今回の作品のように、晩年には風景画へと接近する作風を追求していった。それらは、アンフォルメル絵画の抒情性を感じさせる意味でフランス的であると同時に、表現主義的というよりも、同じく20世紀初頭にフランスで興ったフォーヴィスムの絵画を思い起こさせるような、自由で解放的な一面を持ったものといえるのではないだろうか。

 ジョアン・ミッチェルは1992年にこの世を去るが、今世紀に入ると彼女を再評価する動きが活発になっていった。世界各地で回顧展が開催され、今年に入ってオーストラリア国立美術館で「ジョアン・ミッチェル 色彩の世界」展が開催された。本人が亡くなった後になって、時代がその人物の偉業を再認識するというのは、まさに優れた芸術家が担わなければならない宿命といえよう。こうしていま、われわれの眼前に彼女の作品が再びその姿を現したのである。

「FRAGMENTS OF A LANDSCAPE」(エスパス ルイ・ヴィトン大阪)展示風景より Courtesy of Fondation Louis Vuitton Photo credits: © Keizo Kioku / Louis Vuitton

編集部