中尾拓哉 新人月評第5回 リボンに触れる手つき 地主麻衣子「新しい愛の体験」展
「あなたと愛について話したいんです」と、率直な言葉で対話がはじまる。半透明なリボンが木の枝から垂れ下がり、黒い服を着た女性が白いタイルの上に裸足で立っている。この映像作品は、地主麻衣子がタイのチェンマイに滞在し撮影したものである。本展会場では、映像とともに二人が話をしている舞台が再現されており、自然と鑑賞者は愛について問われ、このささやかな対話篇の当事者となるよう誘われる。
「あなたの愛のイメージを教えてもらえますか」という地主の問いにたいして、「ライトグレー」と述べる彼女の答えは、白と黒の中間色として、万物の陰陽を連想させる抽象的なものである。また「完全な愛を得たときの気持ちを歌で表してください」と言われれば、オーケストラの曲を口ずさみ、そして「安全じゃないと感じたらどうしますか」と尋ねられれば、「腕を閉じる」とジェスチャーをする。話はある一定の深度で次々と流れていき、イメージ、感情、体感が少しずつ呼び覚まされる。
足下のタイルには、ときに花や水がまかれ、花を踏む感触、水の冷たさが快/不快となって彼女へと伝わっていく。このような非言語的コミュニケーションが織り込まれることで、造形的言語が語り出す場が確保されているのである。思い返せば、彼女ははじめからずっとリボンに触れていた。指先の点を面に含ませるように、リボンの線を立体的に巻きとる。まるで、視覚がとらえている表を、触覚であれば裏とともに、あるいは全方位から同時に包み込んでいけるというように。その指の絡まりは、イメージ、感情、体感を撹拌し、かたちのないものを想起する手つきとなる。
地主は繰り返し「それは愛ですか」と問うていく。そして「愛が何なのかなんてわからないよ。だから、これが愛だとか、愛じゃないとかは言えないけど、たぶんこれは愛だと思う」と彼女は声を強める。「最後にもう一つ」と地主が問いかけると、「Oh my god!」と口走った彼女はもうこれ以上、愛について思いつかないといった様子で苦笑いを浮かべる。すると、リボンから手を離し、腕を閉じ、心が何かにとらわれたかのように「動きたくないとき」と、そう言ったのだ。「それは愛ですか」と地主が問い返すと、今度は微笑を浮かべ、小さくうなずいた。そのとき彼女と彼女を撮影する地主の頭上を、飛行機が轟音とともに低く飛び、通り過ぎていく。近づいてくる音とホールドされる感覚。無関係に現れているかのような瞬間は収束し、シナリオのない即興の恐ろしい精度によって対話のリアリティーが映し出される。想起の場となるその思いがけない一瞬を、地主は撮ろうとしていたのである。
こうして、ある完成された瞬間が、カメラに残されると同時に過ぎ去っていく。しかし、「私」と「あなた」で紡がれる古くからある方法と非言語的コミュニケーションによって、深度を変えてたどりついた対話の奇跡を、「愛」に重ねることができるのであろうか。目前の半透明なリボンに触れると、ざらついた質感のわずかな摩擦から、温度を持たないイメージは温度を持つ体感へと変わり、彼女の手つきに表れていた、不確かなもののとらえようのなさに、確かな共感が生まれるのである。
PROFILE
なかお・たくや 美術評論家。1981年生まれ。第15回『美術手帖』芸術評論募集にて「造形、その消失においてーマルセル・デュシャンのチェスをたよりに」で佳作入選。
(『美術手帖』2016年8月号「REVIEWS 10」より)