藤田直哉 編・著『地域アート 美学/制度/日本』 「地域アート」は関係性(リレーショナル)のアートか?
越後妻有、横浜、愛知──2000年代以降日本各地で開催されている、地域を舞台にしたアートフェスティバル=「地域アート」。しかし、その隆盛の裏側で、芸術的質や「美」に関する評価はほとんどなされてこなかった。本書では、そんな現況を懸念する編著者の藤田が、研究者・作家・キュレーターたちと批評的な議論を交わす。
ごく簡潔にまとめれば、「地域アート」は継続的に社会と関わりを持ち、形ある完成作品よりも協働のプロセスを重視する。一方、西洋では1990年代後半のニコラ・ブリオーによる「トラフィック」展と著書『関係性の美学』を発端として、クレア・ビショップやグラント・ケスターらの議論によってリレーショナル・アートが台頭した。一見すると、それらは同じアートを志向しているように思われる。しかし、美学者・星野太が述べる通り、リレーショナル・アートはイギリス中心の商業主義的な芸術に対する批判から生まれた動向であり、「地域アート」の文脈とは大きく異なる。
美術史家・加治屋健司の論考は、その差異を的確に分析する。彼は、日本におけるアートプロジェクトの3つの主な源流──50年代から始まった野外美術展、80年代以降のパブリックアート、80年代後半から断続的に日本で活動したヤン・フート──を指摘する。それらに共通する「①空間的な配置への志向、②運営体制の重視、③社会的な文脈との距離」は、西洋の「社会関与の美術」とは正反対の特性である。つまり、「地域アート」の起源には、リレーショナル・アート以前から日本で独自に形成・改変されてきたアートプロジェクトの存在がある。
その他にも、ハロルド・ガーフィンケルの「違背実験」やニクラス・ルーマンの『社会の芸術』を参照しつつ、社会学的観点からリレーショナル・アートを論じる北田暁大、ヴァルター・ベンヤミンやポール・ヴィリリオに依拠して、日本のアートプロジェクトの「旧来の芸術概念そのものを根底的に解放する」可能性を主張する清水知子など、「地域アート」をめぐって多角的な議論が展開される。
本書で、藤田は一貫して「無知な編集者」の役割を演じ、性急に結論を出すことを意図的に避けている。「地域アート」という呼称の妥当性に対する疑問は残り、また論点が散漫な印象も否めないが、「地域アート」を俎上に載せる目的は十分達成している。本書がマンネリ化しつつある「地域アート」に風穴を開ける契機となることを期待したい。
(『美術手帖』2016年6月号「BOOK」より)