温泉湧出量が静岡県トップレベルで、全国でも有数の湯量を誇る静岡県伊東市。東京からほど近く別荘地しても人気の伊豆高原には、宿泊施設や美術館、レジャースポットなどが各地に点在し、賑わいを見せている。そんな地域の一角に、「UFOから受信」「528HZCD」など怪しげな手書き看板が立ち並ぶ、とあるカラオケ喫茶が話題を集めている。それが今回紹介する「カラオケ喫茶さる〜と」だ。
「表の看板のUFOってのは、私自身がUFOにさらわれたことがあるんです。それ以来、眉間の間に大きなコブができちゃって、恐らく何かのチップを埋め込まれているんじゃないかな」。
店の扉を開けるや否や始まる店主の饒舌な話術に思わず圧倒されてしまう。店主の「かもめ次郎」こと、本多正義(ほんだ・まさよし)さんは、1946年に、群馬県で300年以上続く床屋の長男として生まれた。本多さんによれば、群馬県の北部・利根郡みなかみ町にある猿ヶ京温泉の手前にある小さな温泉地「湯宿」が出生地で、母親が16歳の時に本多さんを身籠もり、「駅に着くとすぐに産気づいて、近所の公民館の筵の上で生まれた」のが本多さんだったようだ。
「小さい頃、夢の中にいつも何かが出てきて『お前は勉強なんかしなくて良い』って諭されるの。だから、その通りに全然勉強しなかったんだよね。東京都立九段高等学校を紹介されて中学を卒業したらそこに進学したんだけど、塀を乗り越えていくと靖国神社があるもんで、授業をサボっていつも参拝に行ってたら3ヶ月で退学になっちゃったわけ」。
その後は、古賀政男さんが関わっていた音楽教室でギターを習い始め、年に1度古賀さんが来た際に、「ギター弾きながら歌うにはどうしたらいいか」と尋ねたところ、「流しをやりなさい」と勧められたことを機に、上野や上野広小路などのネオン街でギター流しとして働くようになった。見る見るうちに上達して、10年程経ったときには、歌謡曲やシャンソンなど500曲のレパートリーを弾き歌いできるようになったようだ。歌手を目指して、一時は芸能プロダクションへ所属したこともあったが、喧嘩になりマネージャーに手を上げたため、解雇されてしまう。「25歳の頃だったんだけど、正義感が強くて、なんだこいつと思ったら手を出しちゃってね。これまで、チャンスを3回ぐらい見逃してるよ」と当時を振り返る。その後は、雨風を防ぐことのできない流しよりも、高級クラブの方がいいと考え、オーディションを経て各地の高級クラブで、自身が結婚する27歳のときまで演奏を続けた。35歳ぐらいからは、独立して多摩市桜ヶ丘でカラオケ店の経営を始めたようだ。
「店名は、米国の俳優ヘンリー・フォンダをもじって『ヘンリーホンダ』で、7年経営していたんだけど、周りに競合店のスナックが立ち並ぶようになって暇になっちゃった。元々、海が好きだったこともあって、頻繁に伊東市には来てたのよ。家賃が払えなくなっちゃったから夜逃げ同然でこっちに来ちゃったわけ。でも、こっちに来てよかったですよ。やっぱり都会は私が住むところじゃないし、何より海が好きだしね」。
そう話す本多さんが、この店を始めたのはいまから30年程だという。親から譲り受けた建物なので家賃も掛からず、全盛期は月60万円ほどの売り上げがあり繁盛していたが、コロナ禍になってからは常連で予約以外のお客さんは断って細々と営業している状態だという。「本当に歌の好きな人が来てくれるから」と教えてくれた。そんな「カラオケ喫茶さる〜と」の名物になっているのが、本多さんが著名人の似顔絵を描いた団扇をお面に見立てて行われる怒涛のモノマネショーだ。流しをやっていた頃にモノマネを覚え、それを武器に客を沸かせてきた。伊東市に来てからは、テレビに登場するモノマネタレントの様子を見て、「これ位だったら俺にもできる」と一念発起。肖像権の侵害にならないよう故意に似せないように描いたお面を顔に当てて、森進一や美川憲一、坂本九などのメドレーを次々と繰り広げていく。この様子が話題となり、近年にはテレビ番組『あらびき団』をはじめとしたメディアからも声がかかるようになっている。
そんな本多さんの、もうひとつの顔は発明家としての姿だ。「子供の頃の夢は、発明家と歌手になることだったんだよね。塩ビ管に球を詰め込んで鉄砲を自作するなど、無いものは全部自分でつくってましたね。私の発明ってのは、たいそうなもんじゃなくて100円ショップの道具を3つ組み合わせてつくるようなもんですけどね」と語るように、腹式呼吸と背筋を矯正することでカラオケの上達を助ける「カラオケ発声パワーベルト」や拾ってきたサザエを金色に塗布し、シュガーケースとして販売した「サザエゴールド」など、これまで数多の商品を発明し、世に送り出している。現在はリラックス効果が得られる周波数と言われている「ソルフェジオ周波数」の中でも、とくに528Hzの音楽を録音したCDを作成し、世の中に普及する活動に力を入れているようだ。
「高齢者の人たちがスマホで音楽を聴くのは難しいだろうから、CDにして配ってるんですよ。ただ私は医者じゃないから病気が治るなんて言えないけど、このCDは万病に効くはずなんです」。
他にも、自身は「徳川四天王」として活躍した武将・本多忠勝の末裔であるとか、神意を解釈して伝える「審神者(さにわ)」になると予言されたなど、そのエピソードは枚挙にいとまがない。いまここで、その発言の真偽の程を確かめるつもりはない。しかし、別の見方をすれば、自らの存在を肯定するために、こうした独自にかたちづくられた非科学的な世界観を拠り所にすることで、本多さんはこの世界を生き抜いているといえるのかもしれない。
その多才で掴み所のない様は、まるで文化人類学者の山口昌男が文化批評のための方法論としてとらえた「道化」のようでもある。山口が述べる「道化」とは、境界に立ち、秩序を混沌へと反転させる役割を担っているが、その特徴は悪戯をしたり物真似をすることにある。閉塞感漂う世の中において、本多さんの元に高齢者だけではなく都心から多くの若者が集まっている様は、そうした本多さんの善も悪とも分からない道化的な振る舞いに多くの人が幾ばくかの期待を寄せているのではないだろうか。いつの時代にも「道化」は、スケープゴートとして境界の外へ追放されてきたが、真に迫害されるべきは一体誰なのだろうか。「カゥカゥ」と本多さんのかもめの鳴き真似が今日も店内には響き渡っている。