アートの仕事図鑑:あらゆる作品を運搬するヤマト運輸 東京美術品支店

美術館で開催される展覧会は、他館や個人、法人などから作品を借りて展示することが多い。このときに必要不可欠なのが美術品輸送スタッフの技術とノウハウだ。展覧会で活躍する縁の下の力持ち、美術品輸送スタッフは、どのような仕事をしているのか。ヤマト運輸株式会社 東京美術品支店のスタッフに話を聞いた。

文=浦島茂世 撮影=橋爪勇介

美術品輸送の拠点であるヤマト運輸 東京美術品支店
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 ヤマト運輸は1919年、トラック4台で銀座の地に創業。数年後には関東一円に輸送ネットワークをつくり上げるほど急成長を遂げた。第二次世界大戦終戦後も業務を拡大し、1958年より美術梱包輸送業務を開始、すでに60年以上の実績を持つ事業となっている。

 美術品輸送業務の大型受注第一号は読売新聞社が主催した「インカ帝国文化展」で、このときはペルーから船便で美術品を輸送したという。1987年には旧安田火災海上保険(元損保ジャパン日本興亜)が58億円で落札したゴッホの《ひまわり》(現在はSOMPO美術館で収蔵・展示)の国際間輸送も担当している。

 現在、ヤマト運輸の美術品輸送事業は全国に12拠点、約240名の専門スタッフが在籍しており、年間約800もの展覧会に携わっている。関東エリアの美術品輸送を担当する東京美術品支店だけで営業を含めて約100名のスタッフが在籍しているそうだ。

ヤマト運輸東京美術品支店の内部にはこれまで携わった展覧会の図録がずらりと並ぶ(これは一部)

 ちなみにヤマト運輸が日本初の宅配便事業「宅急便」を開始したのは1976年のこと。我々の日常生活に欠かせないサービスがスタートするはるか前からヤマト運輸は美術品輸送を行っていたのだ。

 東京美術品支店に勤める名田恒治(なた・つねはる)は入社して25年。入社の数年前からアルバイトとして美術梱包の仕事に携わっており、その腕を見込まれてスカウトされたという。「もともと自分は美術大学で日本画を学んでいました。同じ美術大学に通う友人に『本物の作品に触れることができるよ』と誘ってもらった」のが仕事を始めるきっかけ。やがて、美術品輸送のおもしろさにはまりこみ現在に至る。「大学で教えていただいた先生の作品を搬送する機会をいただいたときは嬉しかったですね」。

話を聞いた名田恒治さんと芦港菜月さん ヤマト運輸東京美術品支店にて

 現在、名田ら数名のスタッフたちは大学や美術館などに出向き、美術品梱包についての講義や実習も行っている。「以前は、美術品輸送の仕事はあまり認知されていませんでしたが、学芸員を志望する方、アーティストやアーティスト志望の方、輸送そのものに興味がある方を中心に認知されるようになっています」と名田は語る。

大学向け研修風景写真(イメージ画像) 提供=ヤマト運輸

 そんな梱包実習の講義をきっかけに、ヤマト運輸に入社した芦港菜月(ろこう・なつき)は現在5年目、主に営業を担当している。芦港は大学では火山の研究をしており、美術とは縁のない生活を送っていた。「岩石を採取し、その化学組成を調べて過ごす学生生活を送っていました。学芸員の資格も取得し、就職活動の際には博物館や美術館に関われる仕事を考えていました。その過程で梱包実習の授業を受け、『世の中にこんな仕事が存在するんだ』と初めて知り、興味を持ち、そして現在に至ります。就職してから美術の世界に関わるようになり、勉強することがとても多いです。化石などを扱うこともまれにあり、学生時代に学んだ専門分野を活かせていると感じます」と語る。

芦港菜月さん

数ヶ月要することも。美術品輸送の長い前準備