フィオナ・タンは1966年、インドネシアに生まれ、現在はアムステルダムに在住している。数多くの国際展に出品し、日本でも「ヨコハマトリエンナーレ2011」などに参加してきた。
本記事では、2013年のインタビューを公開。同年、金沢21世紀美術館で行われた「フィオナ・タン|エリプシス」展にあわせて、事実とフィクションを織り合わせ、時の流れや人生の物語を詩的に表現する作家の制作が語られている。
すべての出品作は、過去や現実における「時間の異なる側面」を表現している。フィオナ・タンインタビュー
旅、水、肖像、写真といった主題を通して、詩情あふれる映像作品を制作する、フィオナ・タン。地層のように積み重なる、人の記憶の源流に触れるような作品群は、どのような思考を経て生まれるのか、話を聞いた。
時間、イメージと記憶の関係
──まず、今回の金沢21世紀美術館での展覧会について、お聞かせください。
タン 展示を見直してみて気づいたのは、すべての作品が「時間の異なる側面」を表現しているということです。過去の時間をどのように覚えているかという意味での「記憶」や「歴史」。また、現実の時間と時計が刻む記号的な時間が、どのように統合されたり、別々に機能したりするのかを扱っています。
──タイトルの「エリプシス」は、省略を意味しますね。
タン そうです。文法用語で省略(文章に続く「…」)を指します。同時に、映像制作において、時間を凝縮または省略する手法を意味します。現実に2分かかる動作が、映画では10秒ほどで描かれる。リアルな時間の一部が省略されること、それが映画におけるエリプシスです。また、その逆を映画では「エラボレーション(具現化、詳述)」と言い、時間を引き延ばすことを意味します。例えば、劇的なシーンを効果的に演出するために、リピートやスローモーション、別アングルからのカット挿入などにより、時間を引き延ばすのです。
近作の《セブン》は、人生における7つの段階を示す7つの肖像を、それぞれ1時間ずつ計7時間で構成しています。といっても我慢して全部見なくてもいいのです。私は、鑑賞者に特定の鑑賞の仕方を強要したり、促したりするつもりはありません。それは各々が決めることです。ただ、1時間ごとに違う年代の人が映し出されるため、作品を時計のように感じるかもしれませんね。
《ライズ・アンド・フォール》には異なる時間が同時に流れています。二人の女性の物語を描いていますが、テキストが一切ないので物語をどう組み立てるかは見る人に委ねられています。二人の登場人物が別人だと思う人も、同じ女性だと思う人もいるでしょう。また、若い女性が自分の年老いたときを想像する物語だととらえる人や、年老いた女性が自らの若かりし頃を回想している話だと思う人もいるかもしれない。その、どの解釈も間違いではありません。私はこの作品で、記憶の構造を示したかったのですが、成功しているのかどうか。記憶というものはとても複雑で、再現するのがとても難しいものです。むしろ、忘却というもうひとつの重要な主題についての作品になっているかもしれません。
当初からこの作品には、時間の経過や失われていく記憶を比喩的に表す、水のイメージを使いたいと思っていました。
──他の作品でも、水のイメージは頻繁に登場しますね。