お終いの日 穂村弘 文
駅までの道を歩いていた時のこと。たまたま小学校が終わる時間だったらしく、たくさんの子どもたちと一緒になった。一年生だろうか。ランドセルの黄色いカバーには「防犯ブザー携帯中」という文字が記されている。「防犯」とか「携帯中」とか、ランドセルを背負っている本人は読めないだろう。ということは、やはり、周囲の大人に読ませるための言葉なのだ。そう思って妙に緊張する。なるべく善人そうな顔をして歩く。
子どもたちは突然走り出す。凄いなあ、と思う。なんてフットワークが軽いんだろう。五十六歳の私はよほどのことがないと走らない。電車に遅れそうくらいの理由では走らない。飛行機なら走る。でも、あと十年もしたら国内便では走らなくなってしまいそうだ。子どもたちがきゃあきゃあ云いながら戻ってくる。ああ、もったいない。せっかくあんなに先まで行ったのに。けれども、彼らはへっちゃらだ。行ったり来たり駆け回って無駄な走行距離を増やし続けている。溢れるエネルギー。羨ましい。
不意に声がした。
「ねえ、アゲハチョウの幼虫がいるよ、ほむらくん」
え、僕? 驚いてきょろきょろしてしまう。声の主は黄色いランドセルの女の子だった。でも、呼びかけた相手は私ではない。同級生らしい男の子だ。へえ、彼も「ほむらくん」なのか。でも、男の子は立ち止まらずに行ってしまった。聞こえなかったのかもしれない。もったいないなあ。せっかく可愛い女の子が素敵なニュースを教えてくれたのに。代わりに僕じゃ駄目かなあ。
名前の一致という奇妙な偶然によって、心が子どもに還ったのか。半世紀前の記憶が甦る。そうだ。あの頃は僕だって、きゃあきゃあ叫びながら走っても走っても疲れなかった。でも、子どもには子どもの苦しみがある。思い出した。僕は時計の針が読めなかったんだ。十時とか、三時とか、七時とか、七時なのに十九時とか、どうしてもわからない。そして、時計が読めないことを必死に隠していた。とても苦しかった。大人から見れば些細なことでも、子どもは本気で絶望してしまう。新学期が嫌という理由で九月一日に自殺する子だっている。
そして、とうとう破滅の時が来た。お母さんにバレてしまったのだ。僕に時計の文字盤を突きつけて時間が云えないことを何度も確認してから、突然、叫び出した。「お父さん! たいへん! この子、時計が読めないの!」。もうお終いだ。私は呆然と立ち尽くしていた。お終いお終いお終いお終い。でも、不思議なことに心のどこかでほっとしていた。
おとけいのかおがよめないおともだちひとかたまりにあつめられてる
36 lights #05 A way to the Atelier de Cezanne 濱田祐史 写真
36 lightsは1本のフィルムを編集せずに制作するプロジェクトです。
そうすることで移動しながら目線が動いてゆく想像とともに写らなかった時間の余白までもが表出してくると考えています。
これはそのシリーズをもとに南仏のエクスアンプロヴァンスで撮影した写真です。この街はセザンヌが暮らし描いた街として知られています。私の滞在するホテルの数軒となりにはセザンヌが通っていたレストランがありました。私はホテルを出た路地から彼のアトリエの庭までの道すがらを1本のフィルムで撮影しました。
NEMIKA「根実花書簡」について
「根実花書簡」は、NEMIKAとウェブ版「美術手帖」による連載企画。東京のいまを切り取る様々な写真家がNEMIKAをイメージして撮影した作品や、日々のなかからインスピレーションを受けて撮り下ろした写真作品をもとに、歌人・穂村弘がエッセイを載せることば×アートの連載です。
NEMIKAは、大人の女性に寄り添う、ファッションブランド。NEMIKAは「根実花」を意味する。根とは、過去に培ってきた歴史。実とは、現在のその人そのもの 。花とは、未来にむけたその人の表現。
根をはり、実をつけ、花を咲かせる「根実花」とともにつくる、ことば×アートをテーマにした本連載では、歌人と写真家がそれぞれの表現を往復書簡のように交換して、ここでしか読めないページをつくっていきます。
10月1日〜11月30日の期間、NEMIKA広尾・玉川の店頭にて、「根実花書簡第2回 穂村弘×濱田祐史」の作品を展示中。
NEMIKAウェブサイトはこちら。