途上の絵画
法貴信也の3年ぶりの最新作および未発表作による個展が、京都の2ヶ所で開かれた。いっぽうはすべてキャンバスないしパネルに油彩、他方は画仙紙に墨で書かれている。法貴作品の歴史的な参照元には、マティスやモンドリアンの時代の西洋美術史と、円山応挙を中心としてその前後に広がる東洋美術史の両方があり、奇しくも2つの個展はそれぞれの美術史への応答となっていた。
まず、MEDIA SHOP | gallery 2での最新作だが、3年前の個展から作家はまた移動している。移動するごとに「蜘蛛の子を散らすように(本人の言葉)」コレクターが離れていくそうで、マティス渾身の最新作《音楽》《ダンスII》(1910年、エルミタージュ美術館蔵)についていけず、一時の心の迷いから購入を躊躇った同時代のコレクター、シチューキンが思い出される(代わりにピュヴィス・ド・シャヴァンヌを買って、マティスに衝撃と恥辱を与えたシチューキンは、モスクワへ帰る途上でこれを後悔し、シャヴァンヌ作品をキャンセルして2作を購入した)。
イリュージョンとは、平らな物体に擦りつけた絵具が、何かを描いた絵として見えることである。その発生には2通りあり、ひとつは、描かれたものが不可視で非物質的な平面=レイヤーの上に載っているという認識で、これは基本的にカメラ・オブスクラ以来の映像的なイリュージョンである。これを出現させるには、そこに「面」があることを意識させればよい(モネの睡蓮、ブラックの釘、キュビスムにおけるステンシル文字や木目の壁紙、リヒターのブレぼけ等々、ある面Aに異質な要素Bを「コラージュ」する)。2つ目は、関係性(奥行き、対称性、具象、記号など)の認知である。例えば、様々な輪郭(シェイプ)で切り抜かれた色紙が組み合わされ、その全体が「座るヌード」に見えたとき、切り紙の集合は統一された具象(フォルム)=イリュージョンとして出現する。このとき出現したフォルムが「図」となり、それに対する「地」の平面を意識させる。スクリーン面への投影ではなく、フォルムの出現によって事後的に出現する面であるから、これを非映像的レイヤーと呼べるだろう。
法貴信也の絵画とは、画面上を動き回る線描から生まれる関係(空間性、具象、それとともに部分的に発生する、映像的・非映像的レイヤー群)の生成と、それらの生成を阻止ないし逆成する要素(ダブル二本画、スミア、画面の外からの力線、汚れ、白塗り抹消、ストロークを逆になぞる… …等々)の終わりのない競演である(*1)。レイヤーの生成とその阻止・逆成が、画面の至る所を構造化し、流動化する。作品は、すべて縦位置、つまり作者が立ってキャンバスと対峙し、腕を伸ばして線描のできるサイズであり(ゆえに天地無用)、線の粗密はあるが基本的にオールオーバーの画面であった。が、新作はもはやそうではない。画面はより単純化され不均衡になって、視線を落ち着かせない。大作、小品に関わらず、それは一望することの不可能な絵画である。作家は、絵画を見ることの豊かさ、終わりのなさを目指している。
他方、eN artsでの個展は、画仙紙に墨の、掛け軸のように細長いドローイングの連作群である。水墨画や日本画は、法貴にとって、映像的・非映像的レイヤー(一望できる平面)の発生、すなわちロラン・バルトが「屈折光学的芸術」と呼んだもの(*2)を無化するための重要な参照点である。西洋の絵画が、支持体の上に絵具を積層する絵画であり、レイヤーであれ支持体であれ、可視像はそのいちばん「上に載っている」芸術であるとすれば、対照的に東洋の絵画は、絹本でも紙本でも、墨が支持体に「染み込む」絵画であり、可視像がその「中に」染み込んで一体化する芸術と言える。染み込んでしまうので、やり直しは利かない。つまり時間の方向の支配を受けている。描き方も、掛け軸のフォーマットの細長い画仙紙を床置きし、そこに墨一色で描く(作品の一部には床に敷かれた養生シートのテクスチャーがフロッタージュとなって現れている)。
もともと法貴作品のデフォルトは紙に色鉛筆であり、その直接性を生理とした作家は、筆のたわみの間接性を嫌って、長いこと油彩にはペンのように描ける自作の筆を使っていた。地の面としてのレイヤーを克服する段になって、改めて東西の美意識のあいだで「筆」を再発見したと言える。同様に、細長い長方形が37点でセットとなったドローイングは、横位置というフォーマットの法貴流の発見である。同じ1つの風景に7つの窓が開けられているのではない。各長方形は、ウィフレド・ラム(やはり東西のあいだに立つ作家)を想起させる線描で完結している。一望されない平面は、独立していながらも連結できる。法貴流風景画とは、決して1枚の風景に還元されることのない、障壁画や襖絵のようなものなのかもしれない。さらなる展開が期待される。
*
展示を一新し、東京国立近代美術館で展示しきれなかった作品を追加し、豊田市美術館で「ゲルハルト・リヒター展」が始まった。前回述べたように、東京展は90歳の作家が、最新作を案内人として自らの過去を振り返るものであった。最新作の契機となった《ビルケナウ》と、リヒター芸術の要としての「シャイン」の部屋を別として、その他の部屋では、強烈な色彩を放つ「アブストラクト・ペインティング」(以下、「AP」)が、それぞれに過去作と対峙していた。
本展の展示は、オーソドックスな時系列順である。東近美より新しい同美術館は天井が非常に高く、自然採光と人工照明が調和して、どの部屋も落ち着いた明るさで満たされ、作品一つひとつを同時期の作品とともによく鑑賞できるので、各々の時代の画家の関心がはっきりと浮かび上がる。これは《ビルケナウ》の部屋でもそうで、一つのつながりの後に《ビルケナウ》があり、ビルケナウの後に最新作が続いていく。テーマがテーマなだけに突出しやすい《ビルケナウ》が、一連の流れのなかに置かれることで必然性を伴って見えてくる。この人は、これをせずにはいられなかったのだ、と。
1階の展示は、《ビルケナウ》とその直後のオイル・オン・フォトで締めくくられた。ということは、2階の大きな吹き抜けの空間から最新の「AP」が始まるわけで、これが本展でもっともインパクトを与える場面転換であった。作品の巨大さを感じさせない大空間の中に場所を得た「AP」は、その色彩や物質感を十全に発揮して、すばらしい存在感を放っていた。正直、私は、数点の例外を除いて、これら「強烈」で「騒々しい」作品群を「美しい」と思ったことはなかったのだが、それはふさわしい空間が欠けていたからであった。老画家の底力を見せつけられるとともに、第3期の「AP(*3)」には、確かに第2期とは異なる方向──ガラスとストリップへ至らない道──の探究の跡が見出された。それが打ち切られてしまったことが改めて残念でならない。3階に上がると、さらに自然光の溢れる空間に「AP」が並んでいる。時間帯によって油絵の色彩がかなり違って見えるさまは、まるで生物のようで、画集を眺めているだけでは得られない生々しい経験であった。《ビルケナウ》の「AP」についてもそうで、東京展でいまひとつピンとこなかった人には、是非とも豊田行きを勧める。
*1──『美術手帖』2012年3月号、2019年12月号の本欄参照。
*2──ロラン・バルト「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュテイン」『第三の意味』所収、沢崎浩平訳、みすず書房、1984/2004年、144頁。
*3──清水穣「Stripとガラスの彼方で ーアブストラクト・ペインティングの新たな再開」『In: Gerhard Richter』(WAKO WARKS OF ART’ 2015年)参照。
(『美術手帖』2023年1月号、「REVIEWS」より)