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2022.7.22

拡張された展覧会が見せる湾岸都市の姿。中島水緒評 藤倉麻子による物流型展覧会「手前の崖のバンプール」

5月28日、29日の2日間にかけて、アーティスト藤倉麻子が主催する展覧会「手前の崖のバンプール」が東京湾にて開催された。初の物流型展覧会として、参加者に伝えられた指示は事前に送付された材木を所定の目的地まで運輸すること。テーマを「物流・労働・対岸」と掲げ、展覧会の枠組みを大きく超えた本展はいったいどのようなものだったのか? 展覧会での体験を詳細に記述するとともに、本展の可能性について、中島水緒がレビューする

文=中島水緒

「手前の崖のバンプール」展の様子 撮影=太田琢人
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東京湾でダンスを舞え

前日譚

 去る5月28日、藤倉麻子が主催する展覧会「手前の崖のバンプール」を体験した。「物流型展覧会」と銘打たれた本展は、3DCGによる映像作品を制作する藤倉、ダンサーのAokid、研究者の大村高広(建築設計・意匠論)、近藤亮介(ランドスケープ史)、齋藤直紀(建築設計・都市論)というプロジェクトメンバーによって構成され、東京都湾岸エリアの風景についての数ヶ月に及ぶリサーチと港湾現場との粘り強い交渉を経て実現に至ったという。

「手前の崖のバンプール」展のリーフレット 撮影=太田琢人

 その内容は人々が想像する展覧会の枠組みを大きく拡張するものだ。まず、参加者のもとには「チケット」と称された貨物(全長20cm程度の材木)が開催日の前日までに届く。末端部分だけピンク色に染められた角形の材木を携え、参加者は事前に知らされた集合場所──江東区最南端に位置する青海(あおみ)埠頭の船着き場──に集まる。そこから東京ウォータータクシーと呼ばれる小型船に乗り込み、約45分間のクルージングで東京湾岸エリアの物流拠点を巡ったあと、最終地点である通関業者の倉庫で藤倉による映像作品を鑑賞する。

「手前の崖のバンプール」展の会場とルートの地図

 5月28日と29日の2日間、各日5回のみの開催(上演)である。ウォータータクシーの定員数の都合上、各回の参加者数は10人にも満たない。東京湾岸一帯を「会場」とする展覧会の規模や準備に費やした期間・労力に比して、体験できる観客の数が極端に少ないのだ。ウォータータクシーで東京湾を周遊するという豪奢なレジャー要素を含め、「手前の崖のバンプール」には体験の稀少性がある。しかし、展覧会の価値をそうした稀少性ばかりに帰するのであれば、本展のもつ批評的意義は見失われてしまうだろう。

 体験の特殊性、閉鎖性を事後的な語りによって開く必要がある。そこでこのレビューでは、ある固有の身体を備えた「私」という一人称視点から「手前の崖のバンプール」体験をなるべく丁寧に、かつベタに記述し、本展の批評性を解き明かす一端としたい。

会場となる東京湾を示した地図 撮影=太田琢人

 ところで先ほど展覧会の「開催」のあとに「上演」という言葉を補記したのは、「手前の崖のバンプール」が演劇的な性質を備えているためだ。材木を携えて埠頭に集まる参加者は海路から倉庫へと運ばれる「貨物」を演じながら、知らず知らずのうちに港湾の風景の一部となり、運び運ばれて展覧会にとっての動的要素となる。プロジェクトメンバーが事前に考案したウォータータクシーの航路は、参加者=演者にとっての導線、さらに言えばダンスの軌跡のようなものだ。ではこのとき、物流の労働空間とフィクショナルな演劇空間はどのような関係を結ぶのか。以下、記憶の断片をつなぎ合わせて5月28日の出来事を振り返ってみたい。 

5月28日

 指定の場所にアクセスするために、普段はほとんど使うことのないゆりかもめ(東京臨海新交通臨海線)を利用し、車窓から臨海副都心の風景を眺めながら最寄り駅となるテレコムセンター駅に到着した。ここから集合場所の船着き場までは徒歩数分。Googleマップで確認してさほど時間もかからないだろうと踏んでいたが、休日のテレコムセンター駅はひとけがない上にそれらしい目印がなく、集合場所がわからない。乗車10分前、他の参加者が戸惑った様子でポツポツと集まりだしたところで、ようやく船上の案内役を務めるダンサーのAokidがハンディカラオケマイクを片手に──軽快な音楽を流しながら──登場した。

 「今日のガイドダンスを務めるダンサーのAokidです。今から約45分間、皆さんとウォータータクシーで東京湾を周ります」。自己紹介はゆるやかにラップに移行し、Aokidのガイド・ダンス(縮めて発音するとガイダンス)が言葉による説明だけでなく、身体から発せられるあらゆるリズムでかたちづくられることを告げる。いよいよ出航だ。黄色い船体のウォータータクシーに乗り込むと、波の上ならではの足場の不安定さと浮遊感がすぐさま体感された(*1)。

「手前の崖のバンプール」展の様子 撮影=太田琢人

 船に乗ることに不安がないわけではなかった。ちょうど前日、夜の報道番組で、沈没して行方不明になっていた知床遊覧船をクレーンで海面まで吊り上げる作業現場をニュース映像で見ていたからだ(*2)。船の沈没事故がよりいっそう悲劇性をまとうのは、死の恐怖と苦痛を映画で見た一シーンのように鮮明に想像させるためだろうか。

Aokidの「CHECK GUIDE LIST」 撮影=太田琢人

 晴れた日のクルージングとはいえ、東京湾でも何が起こるかわからない。船に乗る前、船の後部出口から甲板に出てもよいが手すりから身を乗り出してはならないこと、有事の際の責任はそれぞれにあることが最低限の注意事項として言い渡された。参加者は全員ベルトタイプの救命胴衣を装着する。「be safety, be good」(*3)。快適な船旅であるに越したことはない。

 小型のウォータータクシーは海を行くときは舳先が持ち上がるため、船内も少し斜めに傾く。たいした高波はなくとも小型船の揺れはダイレクトに身体に伝わり、はじめは聞き慣れなかったエンジン音がいつしか耳に心地よい持続的なBGMとなる。船内の小窓から眼下すぐに波を感じ、その不規則なうねりと不透明な濁色に力と重さを発見する。

船内の様子 撮影=太田琢人

 潮の香り、風の圧、空の広さ。こうした海の体験は、たとえば屋形船で川を水平に滑っていくときの身体感覚とはまた違ったものであるはずだ。Aokidが空を仰いで片手で弧をつくり、たなびく雲に呼応する仕草を見せた。船内のモニターからは藤倉による3DCGの映像作品とプロジェクトメンバーのインタビューを交えたラジオ番組が流れ続けている。これらは集中を要さない気散じ的な視聴覚空間を立ち上げ、船のエンジン音や波の音とは別系統のオーディオを多層的に形成する。

 遠方に目をやると対岸の風景が広がっていた。灰色の高層ビル。その手前に、都心ではあまり見ない種類の植物が植樹された緑地帯。青海埠頭の対岸にはコンテナターミナルがあり、さらに進むとメディアを通じて馴染みのあるお台場の景色が出現する。東京湾は凸型に入り組んだ閉鎖性の港であるため、沖まで出ない限り視界が完全に海だけになることはない。右手に陸、左手にも陸。

 東京湾を周遊すること、それは埋立地に立ち並ぶ新興都市の姿を視界の少し先に確認しながら、陸と水が接する人工的な「域」の空間を意識することである。整備が行き届いた直線的な「域」の空間=岸壁には「自然の」海岸線も干潟もない。近代以降、急速に押し進められた東京湾開発の歴史がリアルな風景のなかで実感されるのだ。

「手前の崖のバンプール」展の様子 撮影=太田琢人

 船の内外で参加者が思い思いの時間を過ごしていると、Aokidが皆でゲームをしたいと提案した。各自が持つ材木の端っこを別の人に握らせ、材木を介して全員でひとつの輪になる。そのままの状態で揺れる甲板に立ち、手すりにつかまらずに10秒のあいだバランスを取る。サプライチェーンとは比すべくもない、たまたま同じ船に乗り合わせた小さな共同体の「貨物」のチェーンがいっときだけつながり、ごく短い間のみ呼吸を合わせ、すぐさま解体する。足を踏ん張って自分の筋力に頼るべきか、隣の誰かのバランスに合わせて力を抜くべきか。他愛もないゲームのなかに即興的な身体のやりとりがある。

小型のウォータータクシーが物流拠点の埠頭に近づく 撮影=太田琢人

 港湾風景のスケールが一段と増すのは船が物流拠点の埠頭に近づいてからだ。キリンのように長い首をもつガントリークレーンが何台も整然と並んでいる。色とりどりのコンテナがテトリスのピースを嵌めるかのようにスムーズに吊り下げされる。荷役作業の現場を仰角で眺める体験は、本展のハイライトといっても過言ではない。陳腐な言い回しになるが、何トンもありそうな重さのコンテナがこともなげに運搬される場面には、人間的なスケールを超えた物流業のダイナミズムを感じざるを得なかった。

背中を反って橋を仰ぎ見るような姿勢を取る参加者 撮影=太田琢人

 コンテナターミナルへの接近に制限があるのかどうかは知らないが、ウォータータクシーは埠頭の手前で大きく旋回し、近づきかけた対岸から針路を変えた。このあとレインボーブリッジの真下を通り抜けていくという。ここでまたAokidの提案──レインボーブリッジを通り抜けるとき、背中を反って橋を仰ぎ見るような姿勢を取ってほしい、とのこと。ガイドされるままにぐっとのけぞると視界が大きく変わった。空を背景に、橋梁の下部構造が流れる映像としてよぎってゆく。もし鳥の視点からこの様子を見れば、参加者たちがそれぞれひとつひとつの「ブリッジ」となる場面を捉えられたに違いない。

 やがて船はスピードをゆるめて河口へと流れ、コンパクトな船着き場に到着した。陸地に足を降ろすだけでなんともいえない安心感をおぼえる。最終地点である通関業者の倉庫の前で、おもむろにダンスを始めるAokid。何かをひっぱるような緩慢な所作、身体の隆起があり、コンテナターミナルのダイナミックな労働空間とは対比的なムーブが静寂のなかで繰り出される。半袖の隙間からのぞく腕の筋肉になぜか視線が引きつけられた。船上で皆をガイドしているときの軽快なふるまいとは明らかに異質な身振り──身体が放つ非言語のサイン──が半径数メートルの空間に浸透していくかのようだ。

道具場の様子 撮影=太田琢人

 展覧会の締めは藤倉による映像作品だ。「会場」は通関業者が道具置き場として使用している事務所であり、古めかしい資材が積まれた一角を慎ましく間借りするかたちで2点の映像作品が展示されていた。映像作品には港湾の風景にインスピレーションを得たとおぼしきイメージが出現する。ピンク色のタイヤはオーバーヒート手前のマシーンのようにぶるぶると震え、カラフルなコンテナがオートマチックに動き、謎の導管が水中のような空間にネットワークを張り巡らせる。

 3DCGのハイパーリアルな質感と人工的な色彩が、老朽化した事務所を背景として過剰に浮き出す。藤倉の映像作品が演出するのは、先ほどまで見ていた港湾の風景に位相の異なる視覚像がオーバーラップする多層的な経験だ。これらの映像が、本展において「仮想と現実の重ね合わせ」をもっとも象徴していたと言い換えてもよいだろう。

道具場の様子 撮影=太田琢人

 事務所はその日も営業中で、作業員がせわしなく周辺で仕事をしていた。「作業員と鑑賞者は別々の空間(チェーンあるいは回廊)に存在している」という「設定」のため、参加者は作業をしている人の導線の邪魔にならないよう、身の置きどころに気を遣って作品を鑑賞しなければならない。とはいっても、互いの身体が本当に別々の空間に属しているということはありえないので、狭い通路で作業員の動きに接触しそうになる瞬間が多少はあった。

 このとき、パラレルに進行していた労働空間と演劇空間は一瞬だけ交差し、展覧会の「設定」は綻びを見せる。主催者側が意図的に仕掛けたことではないかもしれないが、こうした綻びの瞬間にも経験の多層性を感じたことは忘れずに記述しておきたい。

道具場の様子 撮影=太田琢人

 事務所では藤倉とプロジェクトメンバーの大村に会い、少し話を聞いた。「物流」「ロジスティクス」「ランドアート」といったキーワードが展覧会を読み解く符牒のように飛び交うなかで、2人が口にする「ふりつけ」という言葉がもっとも印象に残った。船上での体験──主にAokidのガイド・ダンスが賦活してくれた風景と連動する身体感覚──とその言葉がフィットしたせいだろうか。

参加者が持参した材木を「台」に嵌め込む 撮影=太田琢人
「手前の崖のバンプール」展のリーフレット 撮影=太田琢人

 最後に、ピンク色に塗られた木製の「台」に持参した材木をピースとして嵌め込み、展覧会のリーフレットを受け取ってミッションを完了する。リーフレットは「貨物」を運送した対価であるらしいから、やはりこの展覧会はたんなるレジャーではなく労働でもあるのだろう。藤倉と大村に「良い休日を」と送り出され、まだ15時過ぎであることに愕然としながら事務所を出ると(1日はまだ終わっていない)、「港区」の住所表示が目の前に見えた。ここからいちばん近い駅は田町駅らしい。「貨物」として岸から岸へと運ばれた私の身体は、船内でほとんど座っていたにもかかわらず、普段の労働や遊びでは体感しない類の疲労を覚えていた。

対岸へのアプローチ

 品川に大井埠頭が新設されて運輸省がコンテナリゼーションを導入した1970年代、東京湾開発の歴史は大きな転換期を迎えた。アメリカの海運業者シーランド社が発明したコンテナ輸送のシステムが日本の港湾業にも取り入れられ、商品・情報・労働力の流通過程が機械化・合理化に向かったのだ。かつての港湾業は、沖合で待つ船から艀(はしけ)と人力で貨物を運んでいたが、コンテナを積んだ船舶をそのまま岸壁に接岸してクレーンで倉庫まで運べば作業は簡略化される。国際的な標準規格でサイズが統一されたコンテナであれば、世界中のどこでも効率的な荷役作業が可能というわけだ。なるべく摩擦なく、遅延なしに資材を運ぶというロジスティクス革命は、いわば陸と海の滑らかな接続から始まっていたのである(*4)。

コンテナを積んだ船舶 撮影=太田琢人

 東京湾の歴史を「倉庫」という単位から読み解く渡邊大志によれば、1970年代以降、「港湾を立地とする倉庫群は少なくとも網羅的に地球を覆うネットワークとして捉えられていた」(*5)し、水と陸の間に倉庫群が立ち並ぶ風景は「世界中の都市の断片が並列されたメディアの風景」(*6)へと変貌した。つまり、港湾の現実空間に情報空間が重ね合わされたということだ。なるほど確かにコンテナ輸送のシステムは、機械化と標準化によるネットワーク形成によって物流のグローバリゼーションをもたらした。

 他方、ここから疎外されたのがかつての港湾業に従事していた労働者の身体だ。一般人が立ち入ることのできないコンテナターミナルは、人間的スケールを超えた機械群が物流の過程を管理・制御する空間である。事実、「手前の崖のバンプール」の小型船で埠頭に接近したときに感じたのは、一個人の身体的スケールがまったく通用しない非人間的な物流のダイナミズムだった。

参加者が乗っているウォータータクシーと船舶 撮影=太田琢人

 こうした背景を踏まえ、「手前の崖のバンプール」は、不可視のネットワークで人間の身体を疎外したロジスティクスの現場にささやかな挑戦を差し向ける。小回りの利くウォータータクシーはコンテナを運ぶ船舶に比べてはるかに自由な軌跡を描くことができるし、Aokidのガイド・ダンスは港湾風景の意外な視角を参加者の身体性に沿って再発見させる。藤倉の映像は海運業者の年季の入った事務所にフィクショナルなレイヤーを挿入し、大村、近藤、齋藤のリサーチは知的基盤によって参加者の体験を立体的に肉付けする。

 複数の身体の集合と離散。藤倉をはじめとするプロジェクトメンバーもまた、参加者同様に──あるいは参加者と少し異なるレイヤーで──本展の「演者」となっていたように思える。水陸の激しい移動で1日5回の「公演」をこなすAokid(*7)、通関業者の事務所で(あたかも波止場で船の到着を待つ人のように)参加者を迎え、「良い休日を」と送り出す人を演じる藤倉と大村(港という空間にはドラマがつきものである)。ここには移動と滞留の対比がある。木材こそ携えてはいないが、「貨物」のメタファーを彼女・彼らに被せることも不可能ではないだろう。

東京湾岸の高層ビルの写真 撮影=太田琢人

 想像が広がる。もしかしたらヒトでもありモノでもある「貨物」=「複数の私たち」のダンスは展覧会の上演前から始まっていたのではないか。例えば、集合場所の船着き場にアクセスするために乗車した、ゆりかもめのループ状の走行路などもダンスの軌跡に見えてきはしないか(*8)。

 東京湾にまつわる記憶が連鎖して、私は思い出す。新木場駅から夢の島公園まで歩いて散策地帯から工場の並ぶ埠頭を眺め、葛西臨海公園で東京湾の水平線を臨み、豊洲の湾岸エリアにある観光船の発着場周辺を歩いたこと……。ひとくちに東京湾と言ってもその範囲は広域にわたり、それぞれの臨海エリアから見晴らせる海のビジョンもじつに多様である。

 「手前の崖のバンプール」が見せた港湾都市像もまた一面的なものに過ぎないのだろうが、現実の海へと漕ぎ出す体験は、過去の散策で蓄積されていた断片的な「湾」のイメージを途切れ途切れの破線でつないでくれた。拡張された展覧会=演劇は上演時間の枠内を飛び越えて、私の視聴覚、身体感覚、そして薄れかけていた私的な記憶までもを揺さぶったのである。

別の視点から

 最後に、港湾の労働空間に主眼を置いた「手前の崖のバンプール」のコンセプトから逸れる話になるかもしれないが、物流へのアプローチを考えるための別視点、ありえたかもしれないもうひとつのルートを提案してみたい。物流を支えるもうひとつの重要ルート、それは航空輸送である。

 2020年以降、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う移動制限は国際規模で物流業界にも深刻な影響を与えた。国境や交通網の封鎖は物流を寸断し、貿易活動は縮小を余儀なくされた。港湾の現場では船舶の停滞やコンテナ船の生産量の低下が大きな問題となり、さらに今年、ロシアによるウクライナ侵攻が国際物流の遅れに追い打ちをかけた。海運の混乱を受け、コンテナ船から航空輸送貨物に切り替える動きも一部で目立ったという(*9)。

 島国である日本の輸出入量の大半は海上輸送が占めるが、非常時には航空輸送が代替手段となることもある。さらに、物資が国内に届いてからは陸上輸送が重要な役割を担う。「陸上輸送、倉庫、海上輸送、航空輸送のいずれか一つが欠けてもサプライチェーンは混乱する」(*10)。陸、海、そして空。諸産業に沿った複数の輸送ルートが物流網を維持している。

「手前の崖のバンプール」展の様子 撮影=太田琢人

 空は代わりにある、というよりも、変わらずある。「手前の崖のバンプール」でも、東京湾を周遊するあいだ、頭上にずっと広がっていた空が海とは別種の存在感を放っていた。だからこそ、空というもうひとつのありうるべきルートの可能性を再考してみたいのだ。

 「手前の崖のバンプール」を体験した翌日の5月29日、東京流通センターで開催される文学フリマを訪れるために浜松町駅から東京モノレールに乗った。モノレールならではの中空の視点は、前日の東京湾クルーズとは異なる角度から水都・東京の姿を鮮やかに切り取る。車窓の下に広がるのは品川区、港区、大田区といった湾岸エリアの水辺の風景だ。

 昨日の終着点だった田町の街並みを通り抜け、運河の上を滑り、お望みとあれば流通センター駅のさらにその先、天空橋駅や羽田空港ターミナル駅まで──。空高く飛び上がる、とまではいかなくとも、身体が少し宙に浮いたような視点をもたらす車窓からの眺めはじつに爽快で、いつまでも飽きることがない。モノレールに乗車する機会のある人は、ぜひ窓の外に目を向けて、湾岸エリアの多彩な景観を堪能してほしい。本のページに目を落としたままなんて……あまりにももったいない!

 先にも述べたように、「手前の崖のバンプール」のコンセプトの範疇からすれば、空路の提案は蛇足に過ぎないだろう。だが、「物流型展覧会」という奇異な看板を掲げて不可視の都市機能に漸近する本展の展開可能性と、コロナ禍特有の物流事業も加味し、新しいルートの提案も無意味ではないかもしれないと思い補記することにした。

 今後の展開があるとしたら、展覧会をエンターテイメント寄りにしすぎないための微妙なラインの設計、体験の閉鎖性をいかに開くかといった課題に取り組むことになるだろうか。地道なリサーチ、フィクショナルな想像力、そして身体性を組み合わせることで生まれる相乗効果に期待しつつ、次なる展開を待ちたい。

*1──東京ウォータータクシーには発着場所やコースなどを自由に決められるプランがある。以下の公式ウェブサイトを参照。
東京ウォータータクシー公式サイト
*2──2022年4月23日、北海道・知床半島沖で観光船「KAZU I(カズワン)」の沈没事故が発生した。船体の引き揚げ作業は5月下旬から行われ、同月27日に網走港へと運ばれた。
*3──本展に際して制作されたAokidの「CHECK GUIDE LIST」より引用。
*4──港湾におけるコンテナリゼーションの歴史については以下の論文を参照。原口剛「海の都市計画――ロジスティクスとインフラをめぐって」(平田周、仙波希望編『惑星都市理論』以文社、2021年)。
*5──渡邊大志『東京臨海論 港からみた都市構造史』東京大学出版会、2017年、278頁。
*6──渡邊大志「東京港・港湾倉庫の世界システム」『10+1 website』LIXIL出版、2017年9月
*7──船上でのガイド・ダンスを務めたAokidは1回の公演を終えるたびにタクシーで青海埠頭に戻って水陸の移動を繰り返していたようだ。Aokidの5月29日のツイートを参照。
*8──ゆりかもめの一部がループ状の走行路になっているのは、芝浦ふ頭駅からレインボーブリッジ方面へと向かう路線の勾配を緩やかにするため。臨海エリアの特殊な地形を思い起こさせる設計と言えよう。ループ状の走行路については公式ウェブサイトにも説明がある。以下を参照。
ゆりかもめ公式サイト「よくあるご質問」
*9──新型コロナウイルスとウクライナ侵攻が物流に与えた影響については以下を参照。
「海運・空輸、遅れや運賃上昇 コロナとウクライナ侵攻で」『日本経済新聞』2022年4月21日
*10──以下の記事より引用。
「第3節 物流の寸断とサプライチェーン」『通商白書2020』経済産業省