「毎日写真」という展覧会タイトルの通り、約20年分の写真が日付とともに会場に並んでいる。日常的に撮り続けられた本シリーズの中には、東京オリンピック開催前、新型コロナウイルス感染拡大前、東日本大震災前の写真もある。それらの写真は「それはかつてあった」風景、戻らない過去の痕跡である。でありながら、失われた過去に対する痛切さは希薄で、全体的に明るく清潔な印象を受ける。この明るさを手がかりに、本展を読み解きたい。
本展は「毎日写真」シリーズを基軸にしつつ、90年代末から2020年代までの鷹野の活動を順に紹介している。一方で作品別に眺めると、”男らしさ””女らしさ”を戦略的に撹乱させる2000年代の代表作から始まり、”あるがまま”のストリートスナップ、そしてソルト・プリントという古典技法へと向かう一連の流れは、写真表現の歴史をポストモダニズムからモダニズム、そして起源へと遡るかのような印象ももたらす。
そのうえで、本展を通じてあらためて、鷹野隆大は日本写真史を正面から継承している作家だと確認できる。日付の入った日記調のスナップ写真は、荒木経惟が好んで実践したものであるし、また、ポルノグラフィーとも取れる性的な表現も、彼の存在抜きには語れないだろう。あるいは、美的とは程遠い雑然とした街を切り取ったストリートスナップも、森山大道はじめ多くの先人が切り開いてきた表現だ。
鷹野はそれら様々な写真家の功績を十分に意識しつつ、まったく違う手触りの作品にしている。それは乱暴にまとめると、「あえて」という構えのなさに起因するのではないか。先の写真家たちは、現実の世界を写真でそのまま掴みとることの難しさを深く理解していた。であるがため、表現のどこかに「あえて」を組み込んでいた。「あえてアマチュアの写真日記風」「あえて芸術とは程遠いポルノグラフィックな写真」「あえて美的でない猥雑な風景」というふうに。こうして「あえて」を用意することで、写真の可能性は広げられてきた。
それら蓄積の上で鷹野は自身の表現を行っているが、そこには「あえて」という強い構えがあまりない。
例えば、凡庸な都市の一風景を切り取った「カスババ」シリーズを具体的に取り上げてみよう。《2006.03.27.#34》は、一見すると、なるほど工事の囲いや手前の柵、自転車、ブルーシートや電線等が画像全体に雑然とした印象をもたらし、けして“綺麗な風景“とは言い難い。ただ注意すべきは、そうであっても「桜の花」「たて壊される建築」「奥に見える東京タワー」という主要モチーフを結べば、”スクラップビルドが激しい雑然とした東京の街角にも、季節がめぐり桜が咲いている”という、ある種、整った語りも創出可能だ。
ところが、鷹野は満開の桜や青空の東京タワーを十分に画面内に収めていない。「あえて」それらを外したのではなく、おそらく手前の自転車も画面に収めた結果、こうなったのではないだろうか。また、こうした絵づくりに対する彼の美的判断力は、撮影時よりも写真を選ぶ際に発揮されているに違いない。画面右下に突如差し込まれた自転車のハンドルや、画面左側の歩道に駐輪された自転車を見ると、彼が実は路上駐車された自転車に関心を持っているのではないかとすら思われる。誰かがちょうど乗ってきたものなのか、あるいは街角に打ち捨てられているのか。鑑賞者は、求心的なモチーフを見つけられぬまま画面上を目で彷徨い、それに促されるように思考を緩やかにめぐらせる。
このように一枚の写真を眺めるうちに、街に対する彼の眼差しは、汚い風景を「あえて」選びとり、それを作家独自のフィルターで美的に表出することから程遠いことがわかる。目の前の風景に彼は受け身の姿勢で対峙しているのではないか。
つまり鷹野は、凡庸さ等のマイナス要素を重ねることでリアリティーを宿らせたり、マイナスの掛け算によって美的感覚を劇的に反転させないよう、慎重に対象との間合いをはかっている。同様に、撮影者側のストーリーを対象に投影することも注意深く避ける。それは結果的に、「あえて」を手放すことを意味する。代わりに画面を満たすのは、関心の微温的な持続である。撮影者が被写体に及ぼす力がどれほど強いかよく知っている鷹野にとって、この状態を維持することが意義ある挑戦となる。
男性を艶かしく撮影した写真においても、当初は「あえて」彼らを撮ってジェンダーの記号的枠組みを錯乱することを目的としていたが、徐々に、そうした撮り手の意図は蒸発してゆく。イメージ上に残るのは、被写体がまとう何か微温的でジリジリさせるような、それでいて明るい予感だ。
さて、その鷹野であるが、東日本大震災以降、影を主要なモチーフとし始める。色彩も表情を備えた人も消え去り、人影ばかりが画面を横切る。新城郁夫はこの試みについて、震災が露わにした社会の歪みと崩壊からの逃走として考察している(*1)。実際、本展でも、東日本大震災が作家に及ぼしたインパクトや、そこで経験されたであろう創作の苦悩は想像するに難くない。
しかし、それでもなお、私はそこから一種の明るさを感じ取った。そこにはやはり、震災前の姿勢と通じる眼差しがあるからだ。
フォトグラムで焼きつけた人影を立体的に再構成した「Red Room Project」シリーズは、その最たるものである。被写体が立っていた足裏の部分が黒い印画紙に対し最も白く残り、そこからぼんやりと影が床に伸び壁に向かってクッと90度折れ曲がる。当然、こうした表現は、国立国際美術館の代表作品でもある高松次郎の「影」シリーズを想起させる。鷹野も高松に倣い(*2)、物体と影の関係や、三次元から二次元への変容を探究しようとしたのだろう。ただし、高松の作品は影の持ち主である身体の不在を強く印象づけるが、鷹野の作品は、体温を備え揺らぎ続ける身体の在りようを浮かび上がらせる。
身体の揺らぎに対する鋭敏な感覚は、作品の構造にも反映されている。この立方体は、床面の辺と壁面の辺の長さが必ずしも一致していない。つまり、彼は印画紙をあらかじめ厳密に組み合わせて立方体をつくり、その内部に人を配置したわけではなさそうだ。人の影が指すだろう方を予測して紙を配置していったら、結果的にこの形になった、という次第だろうか。
つまり、人影を撮影するとしても、そこで試みられているのは、厳密で客観的な影の採取や影の測定ではない。その精確さよりも、動き去る影、揺れる影、ぶれる影を、その場その場で捉えようとするプロセスを造形化しようとしたのだろう。黒い床と壁の内側からじわっと浮かび上がるかのような白い身体は、光源を中心とする合理的で線遠近法的な世界から、すり抜けてゆきそうである。こうした表現の隙間、あるいは揺れは、影という写真の原理そのものを追求するにあたり、ややもするとモダニスティックな自己言及性に閉じないための、一種の方策かもしれない。あるいは、生きて動く人を思考実験の対象としないためだろうか。そして、これら制作上の判断の根底に、震災前と変わらない、程よく力の抜けた明るい眼差しを私は感じ取るのだ。
本展の見所の一つに、写真がかけられた白い柱が立ち並ぶ空間がある。それら柱は、「それはかつてあった」を掲げる墓石のようである。しかし、そうでありながら明るさに満ちている。失われた過去を悼むだけでなく、そこに刻まれた風景を、ただあっけらかんと開示している。また、「Red Room Project」シリーズの影たちもふわふわと揺らぎ、光によって焼き付けられた痕跡であるにも関わらず、平面上に固定しえないように見える。そこにはアイロニーの気配はない。言うまでもなく、鷹野は写真を通じて世界の原理や物の見方を探究する作家だ。しかし、「あえて」を必要としない鷹野の世界は、たとえ探究の途上にありながらも、どこか受け身で、それでありながら対象を肯定する力を手放さないのだ。
*1──鷹野隆大+新城郁夫『まなざしに触れる』、水声社、2014年、pp.128-144
*2──鷹野は『String and Coke ヒモとコーラ 太宰府の高松次郎』(青土社、2014年)に代表されるように、高松次郎の作品を数多く撮影している。高松が自らの実践の抽象度を高める際、どうしても残ってしまう物理的なノイズに、鷹野は惹きつけられているように予測しているが、これについては、また別の機会に詳しく考察したい。