Get lost and be tough
「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展(以下、「表現の生態系」)は、アーツ前橋が2016年から継続的に取り組んでいる「表現の森」プロジェクトをより広い視野で横断し、群馬・前橋の郷土史にフォーカスした展覧会である。
企画協力に人類学者の石倉敏明、社会学者の山田創平、群馬・前橋を拠点とするアーティスト・白川昌生を迎えた本展を、文化人類学的な視点を取り入れた「大地の魔術師たち」展(ポンピドゥー・センター、フランス、1989)や、「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(ニューヨーク近代美術館、アメリカ、1984)に代表される、「非芸術」をアートの文脈に組み込む展覧会の手法の延長線上にあるものとして考えることは早急だ。そのような植民地主義的な視線をアーツ前橋は最初から手放している。
群馬・前橋に関するリサーチワークを多く展示することで、アートを通して「郷土」そのものを素朴にまなざす。そこでは、中心−周縁的な議論は大きな意味を持たない。中心−周縁という2つの地点でのヒエラルキーではなく、それを結ぶ距離や、どのようにそこに辿り着くかの歴史(ルート)を発見する試みなのだ。
本展では、群馬・前橋の郷土史をリサーチした作品のなかでも、赤城山に関する作品が多く展示されていた。とくに、尾花賢一+石倉敏明と白川昌生は、同じ赤城山をテーマとして取り扱いながら、語り口が大きく異なる。尾花+石倉は、赤城山にやってくる暴走族と侠客・国定忠治、山伏をクロスオーバーさせた作品を発表した。コミック調で展開される、道幅がくねくねと狭くなっていく構造のインスタレーション《赤城山リミナリティ》(2019)は、バイクで走りに来る暴走族と根城にしていた国定忠治の双方にとって、赤城山がアジールでありホームでもあったことを追体験させる。
白川は自身の作品《赤城龍神》(1996-98)をはじめとする、赤城山に残る神話を基にしたスピリチュアルなものの系譜を、赤城山を神聖な山とした大本教の教祖のひとり・出口王仁三郎を接続点として、岡本天明、金井南龍の宗教とともに紹介する。同時に、松澤宥とヨーゼフ・ボイスのオカルトとも取れるほどに内省的に思考された作品をキュレーションすることで、「表現の生態系」のテーマを群馬にまつわるリサーチワークから、神話や宗教、オカルトへ方向転換させる。2つのテーマを兼ね備えるこのキュレーションは本展において、郷土史と信仰を結びつける重要なものとして位置付けることができる。
前述したように、アーツ前橋は、本来、略奪品などを陳列する役割だった美術館にあった植民地主義的なまなざしを手放している。自らの歴史の普遍性を疑うことのない植民地主義的な視線とは異なり、「表現の生態系」はある地点から別の一点へと向かう歴史(ルート)の多様性を提示する。そのような多様性を目の前にしたときに、私たちは「ありえたかもしれない」自らの歴史に気づき、自分とは何者か、という問いを投げかけられる。それは「わたし」は何を信じるか、という選択でもある。地点が決まっていたからこそ、私たちは既存のカテゴリに従って自らを理解することができ、外から押し付けられた自明の前提として自らの信仰を抱き、それに疑いを持たずに生きることができた。しかしながら、本展はカテゴリから脱却した唯一の「わたし」になるための、たくさんの歴史(ルート)を提示する。それには、「わたし」のアイデンティティはすべて自ら選び取ってきたものであると信じる、信仰のアウトソーシングがついて回る。そのため、「わたし」を見つけるための取捨選択の戦いは、他者と切り離された内省的な試みへと自閉していく。
地主麻衣子の《わたしたちは(死んだら)どこへ行くのか》(2019)シリーズは、作家の母親が先祖代々の墓ではなく、都市型霊園に興味を持ったことに作品の着想がある。見たこともない先祖、死者、家族、母親。墓を起点にしたときに、彼らの距離感が明らかになる。同時に、女が墓に入ることが自分の血縁関係にある祖先の墓に入ることを決して指し示さないことも、母親の発言から察してしまうのは考えすぎだろうか。
人を弔うことの普遍性と、日本でムスリムが弔われることの難しさが、「わたし」とは結局何者であるのか、という問いを膨らませる。誰しも死んでなお、誰かに思われたいという「わたし」の存続を死後も誰かに託す役割として、墓の普遍的でありながら地域的である特質が示される。
我々は複数の歴史(ルート)を無意識に、自己の存在のなかにあるひとつのものに結びつけようとする癖がある。だからこそ、我々も「わたし」のなかにある複数性を信じられずに、一貫性を打ち立てようとするときがある。語り口の多様性は、「わたし」の一貫性を保つために「わたし」を偽るか、「わたし」の矛盾を含めた多様性を認めるかという問いを突きつける。
多様なルートを発見しただけでは、その二者択一のどちらが正しい行いかがわかるようにはならない。その後、多くの歴史(ルート)とともにある「わたし」というアイデンティティを巡る問いをどのように引き受けるのかは、私たちひとり一人に委ねられている。