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REVIEW - 2019.6.18

「アウトサイド」と「アートのサイド」、どちらに立つか? 原田裕規評「櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展」

日本唯一のアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正による著書『アウトサイド・ジャパン 日本のアウトサイダー・アート』の刊行を記念した初の大規模展が東京・Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)で開催された。会場に集まるのは櫛野によって発掘された、「障害がある・なしにかかわらず、表現せずには生きられない“表現者と呼ぶにふさわしい隠れた芸術家”」70名以上。本展から見えてくる、ある「せめぎあい」とは? アーティストの原田裕規が論じる。

文=原田裕規

展示風景より、戸谷誠の作品

インサイドへの眼差し

 アウトサイダー・アートについて語る際、安易な「評価」を避けなくてはならない。もしそれが好意的な解釈であれ、善意からくる紹介であれ、そもそも「アウトサイド」にある表現をやすやすと「インサイド」に引き込むことにはそれ相応のリスクがつきまとうからだ。またその対象には、「アウトサイダー・アーティスト」のみならず「アウトサイダー・キュレーター」も含まれる──と書いたところで、前者はともかく、後者は聞き慣れないという読者も多いのではないだろうか。それもそのはず。この言葉は「日本唯一のアウトサイダー・キュレーター」櫛野展正に対してあてがわれた肩書きであるからだ。

 アウトサイダー・アートのつくり手には様々な人々が含まれている。これと似た言葉に「アール・ブリュット」があるが、近年国が予算をつけ、それをさかんに称揚していることからも明らかなとおり、日本におけるアール・ブリュットは「障害者のアート」として、限定的に・都合よく用いられることがある(そもそもは、1945年にジャン・デュビュッフェが「正規の教育を受けていない人」による生の表現を呼ぶために考案した言葉ではあった)。それに対して、櫛野の言う「アーティスト」には、障害者のみならず、ヤンキー、引きこもり、理容師、主婦、はたまた現代美術作家など、美術としての正規/不正規の垣根さえも越えた人々が多く含まれている。

展示風景

 それでは、彼らに共通していることはなんなのだろうか? おそらく、そこには新しい「アート」を称揚するための綺麗ごとには収まりきらない「生存の問題」がある。例えば、世の中には表現がなくとも生きていける人々はいくらでもいる。しかも、それは「アーティスト」でさえも例外ではない。主体的にアートと関わっている者でさえ、その表現と実存が必ずしも結びついているとは考えられないからだ。しかし、櫛野の取り上げる表現者たちには共通して「生きること」と「つくること」の結合があり、そこにはさらに、生を突き詰めた末にある「死の気配」さえも漂っている。

 「櫛野展正のアウトサイド・ジャパン」と題された本展は、先立って刊行された櫛野の著書『アウトサイド・ジャパン』(イースト・プレス、2018)の内容を展覧会化したものだ。その著作の中で、櫛野はある印象的なエピソードを紹介していた。

展示風景より、「ストレンジナイト」の作品

 本展にも出品した「ストレンジナイト」という人物がいる。「ペルソナ」という名前でも活動する彼は、私設博物館「創作仮面館」の主を務め、これまでに2万点以上の仮面や廃材を用いたオブジェなどを制作してきた。本人の語るところによると、いっときは美術業界の中で精力的に活躍していたが、あるときを境に業界に嫌気が差し、新聞配達の仕事をしながら天涯孤独に暮らしていたという。

 そんな彼が、2018年5月21日に癌で亡くなった。周囲に素顔を見せず、人前に立つときは自作した仮面で顔を隠していた彼だったが、驚くべきことに、じつはとうの昔に結婚しており、新聞配達の仕事もしておらず、絵画教室で生計を立てていたことがわかった。アウトサイダー・アートとして「評価」される人々には、天涯孤独であったり貧困であったりと、生きるうえでの様々な問題を抱えていることが多い。ストレンジナイトは、それが「アウトサイダー・アート」としての価値を高めるという搾取的な構造を自覚したうえで、意識的に偽りの「ペルソナ」をつくり上げていたのだろうか? あるいは、自身の死後、じつは孤独ではなかったことが家族によって公開されることで、生前交流のあった人々を悲しませないようにしたという配慮だったのだろうか? 櫛野はいずれも推測の域を出ないとしたうえで、ストレンジナイトの「全身芸術家」としての一貫した人生に感服したと綴っている。

展示風景より、中央が太久磨の作品群

 ひとたび櫛野の取り組みを掘っていくならば、このようなエピソードが(その内容の濃度は様々であるが)その人の数だけ出てくることになる。そして、このように厄介で濃密な問題に特化した職能があるとするならば、それはキュレーターとしてのものではなく、人の「治癒 care」に卓越した能力、すなわち「ケアワーカー」としての職能であることがわかるだろう。すると、まさしく櫛野自身が美術畑の出身ではなく、岡山大学を卒業後16年ものあいだ、ケアワーカー=介護士として働いていたという事実の持つ意味が浮かび上がってくるのだ。

 先ほど、本展は櫛野の著作をもとにした展覧会であると述べた。表現者たちの作品とエピソードを集めたカタログ的な同書のつくりを反映して、展覧会には70名以上もの「表現者」の作品が並べられ、東京ドームシティ内にあるGallery AaMoの大空間は埋め尽くされていた。それに対してSNSには、場所柄も反映してか多数のコメントが寄せられ、素朴な驚嘆の声があふれることになった。しかしそれとは対照的に、美術関係者からは作品へのコメントよりも展覧会の「ファサード」におけるキュレーターの振る舞いに対して、少なくない数の冷ややかな意見が寄せられることになった。

展覧会メインビジュアル

 例えば、展覧会のメインビジュアルを見てみよう。そこには、参加作家のポートレイトや作品の中央に櫛野自身が配置されているのがまず目にとまる。通常、美術の展覧会ではキュレーターがアーティストの前に立つことはご法度であるため、そのことへのアレルギー的な反応が生じたとしても無理はない。だが、ストレンジナイトのエピソードひとつを取ってもわかるとおり、櫛野と表現者たちの親密な距離感は、ある種の「搾取」の営みではなく、櫛野流の「ケア」の振る舞い、ないしは「ケアワーカー」としての職能の発揮の仕方であると考えられるのだ。

 このことを象徴しているのが、櫛野の企画する「ツアー」である。彼は「アウトサイドの現場訪問」と題した泊まり込みのツアーをたびたび企画しており、本展の関連イベントとしてもそれは実施された。櫛野がいわゆる(とりわけインハウスの)キュレーターと異なる点は、このツアーに代表されるように、各地の表現者たちのもとを日々単独で訪ね歩き、彼らとともに「伴走する」という姿勢に表れているのだろう。

展示風景より、「みやび小倉本店」の作品

 ところで、このテキストの冒頭でアウトサイダー・アートを安易に評価してはならないと書いた。それが当事者にとっての切実な「生きること」との結合であると考えるならば、それへの安易な言及が彼らの活動を「殺す」ことへもつながりかねないことを自覚すべきだからだ。しかも、それはアウトサイダー・アーティストに対してのみならず、アウトサイダー・キュレーターに対しても同様であると書いた。なぜなら、おそらく櫛野の「伴走」もまた、彼自身の個人的で切迫した「生存の問題」と結合した表現であると考えるからだ。

 ──しかしこのように書いたとき、すでに本稿が自身に禁じた「評価」のサイクルに片足を突っ込んでいることがわかる。これがアウトサイダー・アートについて書くことの難しさだ。それでは、この先へと議論を進めるためには何ができるのか? 結論から言えば、それは「伴走」ではなく櫛野との「衝突」にあるのではないだろうか。

展示風景

 櫛野は自身の活動を「『美術』の王道」であると述べている。そもそもはケアワーカーであった彼が、美術のキュレーターとして活動していることの意味を最大限深刻に受け止めるならば、そのことが櫛野による(世の中で言われている「アウトサイダー・アート」も含めた)「アート」への挑戦状であるととらえるべきだろう──それがおそらく、最もフェアな態度なのではないか。

 とすると、私たちに残された選択肢は2つしかなくなる。櫛野のいる「サイド」へと完全に立脚するか、自らがアートの「サイド」にいることを強く自覚するか、そのどちらかである。そのようにして、眼指しの対象を「アウトサイド(=彼・彼女ら)」から「インサイド(=私自身)」へと向けることによって、ここにまだ生きた「アウトサイダー・アート」の問題、その内と外をめぐるせめぎあいが存在しうることを確認できるのだ。また念のため付け加えておくならば、このせめぎあいは決して出来レースであってはならない。