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「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」(国立ハンセン病資料館)レポート。終わりゆく絵画活動のあゆみをたどって

展示風景より
展示風景より
展示風景より、『山桜』表紙絵(第6号[1920.1]〜第26巻第7号[1944.7])。文芸や評論を掲載した同施設発行の雑誌『山桜』『多磨』は、入居者らにとってのほぼ唯一の言論の場でもあった。いっぽう、これは施設側(国)による管理目的の慰安施策でもあった。こうした園の管理統制が、戦時下には一層強まったことが表紙絵からも伺える
展示風景より、第2章 絵画サークル「絵の会」
展示風景より、左パネルは「絵の会」メンバーによる作品(1955頃)、右は長洲政雄《武蔵野の森》(1958)
展示風景より、氷上恵介による制作活動。治療薬の導入や高度経済成長を背景に社会復帰する入居者が増えていたが、氷上の家族はハンセン病による差別を恐れて一家離散していたため、氷上は施設に留まっていた。氷上はその後、多磨全生園の様子を絵で記録していく
展示風景より、国吉信による作品群。傾向として、1970年代まで、同施設で描かれた絵画作品の保存はあまりされてこなかった。後世に残すという意識は近年に生まれたものではないか、と吉國は語る
展示風景より、鈴村洋子による「現代絵巻」シリーズと絵葉書。おもなモチーフとして表情豊かな地蔵が数多く登場している
展示風景より、長浜清遺作詩集『過ぎたる幻影』(私家版、1971) 編=光岡良二。見開きは、同詩集より「喪失」
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編集部