1983年、チェッカーズのボーカルとしてデビューし、歌手としてミュージシャンとして活動をしてきた藤井フミヤは、1990年代から絵画作品の発表も行っている。浜松市美術館で開幕した「デジタルとアナログで創造する藤井フミヤ展 多様な想像新世界 The Diversity」は、デジタルとアナログで制作された藤井の100点以上の作品を紹介する展覧会だ。
本展の会場は10の部屋から構成されており、それぞれ壁面がグリーンやピンク、イエローなど、ビビッドな色彩で塗られていた。部屋ごとに画材やモチーフ、制作年代などから分類された作品が並んでおり、藤井の個展ではあるが「十人十色」のグループ展とも言えるような様相を呈している。展覧会のタイトルともなった「The Diversity」をまさに体現するような会場構成だ。
藤井がアートの発表を始めたのは1993年。初期作品はコンピュータグラフィックス(以下CG)がメイン。本展開催に合わせて刊行された書籍『All About FUMIYART』(美術出版社)で行ったインタビューによると、当時、コンピュータが一般家庭に普及していない頃で、CGでどんなことができるのか、技術的なことも踏まえながら、様々な可能性を探るように制作していたと語っている。
2003年にはアナログな手法による作品も発表。女性の体を装飾的な文様とともに表現した精緻な切り絵や、木材の樹種による色の違いでかたちを描き出した木工細工のような貼り絵などが制作された。
その後、アート活動はいったん封印。当時、藤井は絵画制作やグッズデザインなどビジュアル関係の仕事も多方面で行っていたが、本業である音楽とブレずに向き合いたいと考えたうえでの休止という決断だった。
10年以上の沈黙を経て制作活動を再開したのは2015年。音楽よりも「自分の心の内や持っているセンスを出し切っているのがアート」と語る藤井にとって、創作は抑えがたい欲求だった。2019年には、本展と同じタイトルの展覧会を開催。初期のCG作品に加え、水彩、油彩、アクリル絵具など多彩な画材によるシリーズとともに、極細ボールペンやファンシーシール、針金といった画材にとどまらないツールによる作品も発表された。
本展は2年前に行われた展覧会に新作を加え、新たに構成されたもの。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大により、藤井のライブ公演も中止を余儀なくされ、普段以上に制作に費やす時間が確保できたという。
展覧会のメインビジュアルとなった新作《龍王》(2020)には、感染症の終息という願いを込めて後光を放つ神の姿が描き出された。また、2021年の最新作となる顔をクローズアップした作品では、人々がマスクをするようになって目だけが浮かび上がる様子からアイデアを広げていった。
使用する画材も手法もひとつのところに留まることなく、つねに変化し続ける理由とはいったい何か。会場には作品とともに、藤井が語ったいくつかの言葉が添えられており、そのひとつに多様性を理解するキーワードとなるものがあった。
とんでもないミックスが面白いものを作り出す。例えばマチスと手塚治虫とビートルズ。さらにキリコとウルトラマンとハンバーガー。そんなものは絵でしか表現できない。
発想の源泉を紐解いていくと、藤井の体験やこれまで見てきたものが絡み合って生まれていることがわかる。例えば、「DIGITAL MASTURBATION」シリーズ(1997)は、あるとき「公園に落ちていた錆びた針金を見て、ミロのドローイングのようにも裸婦のようにも見えた」ことが、創作のきっかけとなったと語る。スペインの画家、ジョアン・ミロによるドローイングの黒いラインとフォルムに藤井は惹かれており、それが当時表現手段として用いていたコンピュータソフト、Adobe Illustratorによるベクタ形式のシャープな線と結びついてヌードとなった。やがてこのアイデアは、22年後に《錆びゆく裸婦》(2019)という針金を使った作品へと発展した。
また、ボッティチェリやラファエロなどルネサンスの絵画を極細カラーボールペンで模写した作品もある。「有名な絵をあえて普通の筆記用具で描いたらポップかなと思った」と藤井。国内外の美術館に足繁く通い、多くの美術やデザインに関する本を収集し、そうしたものから少なからず影響を受けながら、そこに思いがけない要素をぶつけていくことで、作品に化学変化を起こそうとしているのだ。
加えて、子供の頃から触れてきた、手塚治虫やロボットアニメの数々も表現に織り込まれている。バラバラのパーツが組み上がって出来ているアンドロイドのようなヌードが繰り返しモチーフとなっているのは、こうした原風景から導き出されたものだという。
アートやデザインはもちろん、眼前に広がるあらゆることに興味を抱き、それを創作に取り込む藤井。ミュージシャンとして、様々な土地に行き、多くの人と出会い、何万人もの聴衆の前で歌うという活動も含め、人生のあらゆるものが作品に詰まっていると考えたなら、作風の多様性は自然な成り行きと言えるのかもしれない。
日常のなかでは音楽よりもアートのことを考える時間が長いという藤井。会場には《龍王》制作中の記録映像も紹介されており、首にコルセットを装着して、海の生物を極細の筆で懸命に描写する姿が映し出されている。ときには寝食を忘れて制作し続け、体調を崩すほど自分を追い込むこともあるという。
「女性を女神としてとらえている感覚がある。神様だと思って描くと手が抜けないから」。CGに挑んだ1990年代から、藤井はキリスト教や神道、仏教などに興味を抱き、そのエッセンスを作品に取り込んできた。そして、モチーフとなった数々の女性像を神格化するように描いてきた。多様さのなかに見えてくる一本の道筋は、最後の最後まで堕落せずに「神の姿」を描き切ろうとする姿勢と言えるのではないか。
昨年から今年にかけて制作された作品を抽出してみると、画材は毎回違っても、いずれも画面の密度が増し、集中力の高まりを感じさせる。歴史のなかで名もなき人々が信仰の現れとして描いた絵画のように、我を忘れて無心で描き出す──ミュージックシーンでスポットライトをつねに浴び続けてきたスターにとって、唯一の孤独な時間が持てるのは絵画に没頭しているとき。藤井は修行僧のように黙々と絵を描き続けている。