2021.1.30

時代を超えて響くクリエイターの声。コムアイが見た石岡瑛子展

アート・ディレクター、デザイナーとして世界を舞台に活躍した石岡瑛子(1938〜2012)。その世界で初めてとなる大規模回顧展「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」が東京都現代美術館で開催されている。この展覧会についてミュージシャンであり役者も経験しているコムアイが、担当学芸員の藪前知子に話を聞いた。

写真=稲葉真

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コムアイ じつはすでに1度、プライベートで展覧会を観覧させてもらっているんです。あまりにも内容が濃くていつの間にか閉館時間になってしまったので、また来ることができてとても嬉しいです。ボリュームがすごいので、3時間はみておいたほうがいいと思いました。最初に訪れたときもそうでしたが、石岡瑛子さんの魂に会いに行くような展覧会ですね。作品に乗り移った石岡さんの意志が東京都現代美術館に漂っている、という印象を受けました。

展示会場にて、左からコムアイ、藪前知子

藪前知子 展覧会とは、過去の時間に関わるものです。石岡さんはすでに亡くなっていますが、それを意識させないように、いかに彼女の存在を現在に呼び起こすか。本人の写真も展示の最後になって初めて出てくるような構成にしています。

コムアイ 会場の入口から、石岡さんの肉声の語りが流れていることが印象的です。まるで、天から石岡さんの声が聞こえてくるような。石岡さんの言葉と声ってすごいですよね。グラフィックデザインからキャリアを始めた人ですけど、言葉の印象がとても強いです。どの言葉もふわっとしてないし、全部言い切っていて、言葉を使う技術がすごく豊か。頭のなかを言葉で整理して、自身のあり方を明快にしていく格好良さを感じました。遺されたメモも、誰が読んでも明確に伝わるような言葉を選んでいますね。

藪前 創作のためのメモなども、まずは言葉から始まっていますし、確かに石岡さんは言葉の人かもしれませんね。

コムアイ 藪前さんはなぜ、石岡さんの展覧会を企画しようと思ったんですか?

藪前 石岡さんは色々な表現方法を飛び回っていた人だから、なかなかその全体像がとらえにくい存在ですが、だからこそ本当に新しいことをした人ですよね。展覧会として、そのキャリアの全体像を見せなくてはという使命をつねに感じていました。

展示会場にて、コムアイ

常識、男性社会、そして日本。石岡瑛子の闘い

藪前 石岡さんのキャリアの初期にあたるパルコや資生堂を始めとするポスターデザインの仕事については、1960年代なかばの資生堂時代から、80年代に入り拠点を海外に移すまでの15年ほどの期間に手がけたものを中心に展示しています。パルコのポスターなどは、20代後半くらいの作品ですね。

 当時はグラフィックデザイナーとアーティストの境目がしきりに議論されていた時代です。集団制作のなかのひとりであったデザイナーが、個性を発揮するアーティストとしても扱われるようになった時期で、石岡さんもそうした潮流のなかのひとりでした。

 パルコのポスターの仕事を見ても、そもそも「パルコ」というものが何なのかを人々が知らない時期から、この社名だけを前に出したものが多いですね。山口はるみさんの描いたお腹が大きい女性が宿しているのが、これから生まれる「パルコ」そのものです。モデルの選定やロケ撮影にも石岡さんは参加して、ディレクションしています。例えば、このヌードのポスターは、現場の強い一体感から、カメラの向こう側では、スタッフもみんな裸になってしまったそうです。

展示会場にて、コムアイ

コムアイ そうなんだ、「裸を見るな。裸になれ。」というコピーですもんね。みんなちゃんと裸になっていたんですね! すごく尖ったポスターだと思うし、こうした時代の才能が集結したクリエイションをうらやましいと思ったりもします。でも、会場で流れてくる石岡さんの声に「そんなこと言ってないでいまの時代をちゃんとおもしろくしなさい!」って叱咤激励されているような気分にもなりますね。

 どのポスターも野性的なものを取り戻そうという意思を感じます。デジタル技術が発展した現代を生きていると、自分たちの野性が失われているような気分になることがあります。でも70年代にすでに、自分たちが弱くなっていると感じて野性的な力強さを取り戻そうと意識していた、石岡さんのような人がいたんですね。

藪前 石岡さんは挑戦的だったから、日本ではつねに反感もあったようです。なかなかあそこまで強くはなれないですよね。孤立無援で男性社会のなかで戦った女性という見方もできると思います。

コムアイ 就職するときも「男性と同じ待遇と仕事をさせてもらわないと入社しない」という主張をしていたそうですよね。ところで、どのポスターもコピーが印象的ですが、このコピーにはどのくらい石岡さんが携わっていたんですか? コピーライターの方が考えていると思うんですが、私にはすべて石岡さんの言葉のように感じられます。

藪前 かなりコピーライターを追い詰めながら仕事をしていたようですね(笑)。石岡さんも明確な正解を持ってはいないけど「とにかく伝えたいのはこれじゃない」といった感じで繰り返しのやり取りのなかでイメージをかたちにしていったみたいです。例えば、パルコの多くの広告を手がけたコピーライターの長沢岳夫さんは、OKをもらったあと次の依頼の電話がかかってくるまで、すごく憂鬱だったと回想されています。

 石岡さんは、自分がクライアントの声に合わせるのではなく、自分の声がクライアントの声と一致して初めて広告になると考えていたようです。それがアートディレクションということだと。クライアントワークと自己表現とのあいだを揺れ動きながら、唯一無二の表現を生み出していきました。

展示会場にて、左から藪前知子とコムアイ

コムアイ いっぽうで、民族衣装などが前面に出たポスターは、いま見ると時代を感じます。各民族の文化や装束をエキゾチックにとらえようとする姿勢は、西洋から東洋に向けられたオリエンタリズムの眼差しにも似ている気がして。でも、当時は新しかったんでしょうね。

藪前 コムアイさんの指摘されていることは、展示作品を選ぶうえでもとても難しく、悩んだところです。世界中の広告やファッションの分野でエキゾチズムや文化盗用的なまなざしが問題視されているなか、展示作品の選択には悩みました。

コムアイ ポスターに使われているモデルはほとんど外国人ですね。でも、こうしてポスターを並べてみると、やはり羨ましさが勝りますね。現代の広告は「脱毛をしないとモテない」のように不安を煽って消費に向かせるもの、「〇〇円で買えるのは今だけです! キャッシュバック!」みたいに価格が全面に出て損をしたくないという感情に訴えかけるもの、そういうメッセージが多すぎて疲れます。それと比べると、とてもピュアに人を奮い立たせるメッセージが街にあったら、素直に「いいな」と思います。

藪前 石岡さんは「日本人の女性が人生をエンジョイしていない」という、日本の社会に対するアンチテーゼのために、外国人を採用してそのメッセージを発信したんでしょうね。

コムアイ なるほど。現代を生きている私が、まさに「日本の女性は人生をエンジョイしているか?」と疑問に思っています。石岡さんの描いたような未来にはならなかった未来に、自分は生きているんだと思ってしまいますね。

展示会場にて、コムアイ

藪前 コムアイさんの言うとおり、70年代後半はまだ石岡さんのメッセージがストレートに伝わった時代でした。石岡さんは80年代に入り、日本では仕事をしづらくなって海外に拠点を移すわけですが、いまにして思えば、すごくいいタイミングだったかもしれません。石岡さんがいなくなってからすぐ、バブルに向かう社会のなかで女性が商品化されていく流れが生まれていきます。80年代のアイドルブームや女子大生ブーム、そして90年代の女子高生ブームなどですね。

コムアイ 80、90年代の文化は、それはそれとしておもしろいけれども、石岡さんのメッセージからは離れていった時代ということですね。

藪前 女性自身も自分のことを商品として考え、自分とは何者なのかを、主体的にではなく、他者の目を通して模索した時代と言えるかもしれません。そうした80年代、90年代、00年代の文化を経て現在がある。石岡さんの見た未来と、現実にやってきた未来を比べることで気がつくことも多いと思います。

コムアイ 石岡瑛子が捨てて後にした日本とは何だったのか。とても興味深い問いですね。

展示会場にて、コムアイ

領域を超えていくクリエイター

藪前 石岡さんは80年に日本を去ってから拠点をニューヨークに移します。そして、その3年後に自身の業績をまとめた名刺代わりのような作品集、『石岡瑛子風姿花伝 EIKO by EIKO』を日米で出版しました。

コムアイ この本をきっかけに世界中のスターが石岡さんに声をかけてきたわけですね。

藪前 本人は、じつはスターとの仕事が嫌いだったようです。スター本人と話をしながら仕事をしたいのに、結局は周囲のとりまきと仕事をすることになってしまう。だから実現しなかった有名人とのプロジェクトも多い。いっぽうで86年に石岡さんはマイルス・デイヴィス『TUTU』のアルバムジャケットデザインを手がけましたが、このアルバムは石岡さんの望む共同作業ができたひとつの例でしょう。

展示風景より、マイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット 写真=編集部

コムアイ 当時のふたりはどのような関係を築きながらアルバムをつくっていったのか気になります。

藪前 マイルスはファッションが好きなので、パルコのポスターのように、自分のことをファッショナブルに撮影してほしかったようです。石岡さんとの打ち合わせの場で、撮影で着たい服をたくさん持ってきてファッションショーを始めたらしく(笑)。

 でも石岡さんのイメージはもう最初から「顔」と決まっていました。しかもその顔は、ツタンカーメンのマスクをモデルにしたもの。メトロポリタン美術館にマイルスを連れて行き、ツタンカーメンのマスクの実物を見せたりもしたようです。

コムアイ 本人を連れて行くってすごいですね! マイルスの希望よりも、自分のクリエイションを優先できる、その信念がすごいです。

藪前 石岡さんとの仕事のあと、マイルスは「日本人なんか嫌いだ」と言って、その後に石岡さんを抱きしめたそうです。石岡さんの言いなりになってしまったマイルスですが、そこには悔しさと嬉しさが同居していたのかもしれませんね。 

展示風景より、マイルス・デイヴィス『TUTU』のレイアウトプラン Library Special Collections,Charles E.Young Research Library,UCLA 写真=編集部

コムアイ 80年代以降の石岡さんは映画や舞台に活躍の場を移していきますが、グラフィックデザインの領域から越境することに抵抗はなかったのでしょうか?

藪前 彼女のなかでは越境への欲望はずっとあって、つねにグラフィックデザインでの表現だけに留まってはいたくないという思いはあったようですね。60年代の終わりに石岡さんはアメリカの高名なグラフィックデザイナーを訪ねたりしているのですが、「グラフィックデザインに専念しろ」なんて言われたようです。「アメリカのデザイン界は保守的だからつまらない。だから日本をスタートに仕事をすることに決めた」なんてことも書き残しています。

コムアイ それはすごいですね! ひとりの人間が持っている興味は様々で、もっといろいろなことをやりたいという思いは当然です。でもコラボレーションのなかで、私たちのような演者でも持っているものですが、自分がこういう仕事をやりたいという欲望を現実にしていくのはとても難しい。いままでやった過去の仕事を見て、その人にオファーが来るからです。それはきっと、ほかのジャンルのクリエイターもみんな悩んでいるんじゃないですかね。

 石岡さんは強い意志を持って越境できた人だから、若いアーティストやデザイナーもこの展覧会を見て、異なるジャンルや舞台に越境するヒントを見つけられたらいいですね。私も、自分の領域を自分のなかで決めつけています。展覧会を見ているとそこをひっくり返したくなります。

展示会場にて、コムアイ

仕事をする相手の核と同化する

コムアイ 石岡さんの仕事としては、やはり衣装の話をしなくちゃいけませんよね。それにしても、舞台から映画まで、今回の展覧会でこれだけの数の衣装を交渉して集めたのは本当にすごい。

藪前 コロナ禍の影響などで当初の予定にありながら展示できなかったものもありますが、フランシス・フォード・コッポラの映画『ドラキュラ』の、ドラキュラの従来のイメージを覆すような赤い衣装など、スケッチとともにぜひ見ていただきたい作品がそろっています。石岡さんが、衣装をデザインしているという意識ではなく、人間をデザインするという意識でものをつくっていることがわかると思います。

展示風景より、『ドラキュラ』の衣装 写真=編集部

コムアイ 石岡さんのイメージスケッチをもとに、実際に衣装をつくっていた職人さんもいるわけですよね。

藪前 そうですね、ハリウッドの工房で職人と仕事をしていました。スケッチは、多国籍の職人チームとの、言語によらないコミュニケーションのツールでもありました。石岡さんは共有するイメージスケッチを何度も書き直し、完成としたものは誰にでもわかりやすいようなタッチで描いています。職人たちにスケッチを見せながら指示をして、表現していくわけです。石岡さんと仕事をする相手は、その人が持っている感覚のようなものを試されていた気がしますね。

コムアイ 石岡さんは現場のプロとやりとりするなかで気がついたものを、自分のクリエイションに生かしていくことが上手だった、スケッチを見ているとそんな気がしてきます。

 あと、私はグレイス・ジョーンズの衣装がとても気になりました。どれも、すごく重そうですよね。私は撮影のときはいいですが、ライブの時は動きづらい衣装が本当に嫌なので、一番楽な格好をしてしまいます。動きにくい衣装だと歌う時点でやる気がそがれるので、大きな衣装を着て踊って歌うグレイスはやっぱりすごいな、と思って。しかもこのとき、60歳ですか。

「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」(東京都現代美術館、2020)展示風景 Photo by Kenji Morita

藪前 グレイスはひとつの生命体として石岡さんの衣装を着こなしていますよね。衣装に着られていない。彼女も20年ほどのブランクの後の復活ツアーで石岡さんに衣装やステージコンセプトのデザインを頼んでいます。

コムアイ 石岡さん、きっと強い人が好きだったはず。グレイスとの仕事は、服に負けていない、釣り合いがとれた素晴らしい仕事だと思います。

藪前 コムアイさんはご自身の衣装を選ぶとき、どのような基準で選んでいますか?

コムアイ 自分が一番好きなものを選ぶことを心がけてきましたが、じつはそれって「自分が好きそうなものを選ぶ」ということに囚われているのかもと、ある時に気がついて。お芝居でスタイリストが選んできた衣装を着せてもらうこともありますが、役だと思えばどんな服でも着られて、それが意外に自分に似合っていたりして、楽しい経験でした。ステージでは「コムアイとして見られるならこういう感じ」ということを自分で決めつけていた気がします。その殻を破るには、誰かを信頼することがすごく重要だったし、自分が責任を持って頼んだスタイリストのことは、絶対に信頼するようにしています。

 私は石岡さんと違って、コラボレーションのときは、ほとんどその人に任せます。自分がハンドリングをしてしまうかぎり、すべて相手に指示しなければいけないですから。

藪前 でも、それは石岡さんと近い考え方かもしれませんよ。石岡さんと仕事をした人に話を聞くと、いつも「あなたはどう思う?」と聞いてきたことが強く印象に残っていると言っていました。石岡さんも一度相手を認めると全力で信頼するし、相手を自分の思うように動かすというより、その人のなかの核に同化したいという気持ちがあったんだと思います。

コムアイ 確かに、その人の核と同化したいという気持ちはわかります。自分なのか相手なのかわからないような感じになるのはコラボレーションの楽しさですね。

展示会場にて、コムアイ

いま、石岡瑛子の仕事を知る意味とは

藪前 石岡さんの最後の仕事は、映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装でした。すでに膵臓がんに侵されていましたが、本人は自分が死ぬなんて思っていないような働き方でロケの現場にも行っています。仕事相手のスタッフは病気であったことに気がつかなかったと伺いました。

コムアイ 私、『白雪姫と鏡の女王』が展示されている部屋にある、ロバート・メイプルソープが撮った石岡さんの写真がとても好きです。おだやかな表情で、でも芯の強さを感じさせて。

展示風景より、ロバート・メイプルソープによる石岡瑛子のポートレイト(1983) 写真=編集部

藪前 この写真、本人はあまり人に見せないところにしまっていたので、もしかしたら自分が他人に見せたいイメージとは、ちょっと違うものだったのかもしれません。当時はもっと強い表情の写真を公式に使っていました。でも、この写真には石岡さんのチャーミングで自然な表情が現れている気がします。

 そして、最後に展示した石岡さんが18歳のときにつくった絵本『えこの一代記』は、ぜひ多くの若いつくり手の人に見てほしい。美術大学に入学するまでの半生が絵本になっていますが、とてもかわいらしく、でも力強い自分の将来のビジョンを描いています。

コムアイ この絵本、すごいですよね。高校生の時点で完璧主義だったことがわかるし、やはりとてつもなく明快な人なんだと思い知らされます。この展覧会、オリンピックがあり新型コロナがなければ、海外の人でとても混んでいたと思います。でも逆に、日本の私たちがじっくり見られるのはラッキーかもしれません。ものをつくる人たちにも展覧会を訪れて、石岡さんの姿勢に刺激を受けてもらえたらと強く思いますね。私の友人はすでに訪れた人が多いのですが、みんな殴られ、燃やされたサンドバックみたいになって帰ってきてますね(笑)。絶対にパワーを貰えるし、背筋が伸びるような経験ができるはずです。

衣装協力=ヤンヤン(リディア 03-3797-3200)

展示会場にて、コムアイ

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