経験と記憶、女性であるということ-ジダーノワ・アリーナ
ジダーノワ・アリーナは1992年モスクワ生まれ。93年に北海道に移住後、札幌で育った。2015年に京都造形芸術大学情報デザイン科を卒業。現在はグラフィック・デザイナーとしても活動している。第2回CAF賞では、一つの限りない記憶の線をたどるアニメーション作品《Фаворитка(Favoritka)》を発表した。ロシア語で「お気に入りの女の子」や、「寵妾」を意味する「Фаворитка(Favoritka)」。自身の中にある「とある一つの衝撃的な記憶」を何度も繰り返すというプロセスを、コマ撮りのアニメーションで仕立てた。「記憶は思い返すたびに、新しい記憶に変わっていく。何回も思い返していくと、自分の知らないうちに全然違うことになっているかもしれない。だから色々な素材を使って、同じ記憶を表現しています」。
「自分に近い作品をつくっているので、おのずと経験、記憶、そして女性であるということに向き合うことになる」と語るアリーナ。もともと映画に興味があったが、幅広く、いろいろな技法を学びたいと情報デザイン科に入学、大学で初めてアニメーションの制作に触れ、「ハマってしまった」という。最優秀賞を受賞した《Фаворитка(Favoritka)》は卒業制作のときにつくったもの。「もしかしたら、作品をつくるのはこれが最後かもしれないと思っていたんですね。だから、情報デザイン科という特性上、卒業制作にもデザインやコンセプトが求められますが、無視してしまいました(笑)。 自分がつくりたいものをつくり、私だけが理解できればいいや、というような思いだったので。それが学校以外の場で認められたのは嬉しかったですね。アーティストになるのは無理かもしれないと思っていたのですが、受賞したことで違う道が見えた。それが嬉しかった」。
選抜展ではCAF賞受賞作を含む、3つの作品を展示した。「《Фаворитка(Favoritka)》と、その過去、そして未来の3作品を展示しました。《Фаворитка(Favoritka)》は女の子のお話で、最終的に『なんとなくハッピーな未来が待っていそう』、という作品ですが、黒を基調にした過去の話《the pins of black spot》では捨てられていった記憶をテーマにしました。無意識のうちに捨てられた記憶、意識的に消されていった記憶を拾い集めました。未来の話である《Maria》は聖母マリアから名づけています。聖母マリアは理想とされる女性像。そんな制約された女性像への怒りを表現しています。作品をつくっているときはアドレナリンが出て興奮状態。作品に自分の思いをガッとぶつけている。それがまた自分にはね返ってきて、エネルギーのぶつけ合いみたいな感じになります。そうすると自分の記憶や経験、女性であることが近くなってくる」。
今後を聞くと「実は私はアート業界があまり好きではないんです」という言葉が返ってきた。「美術館もギャラリーも好きだけど、アートは世間から切り離されている存在。それが悲しい。アーティストも作品を売ることでしかお金を稼げないし、システムとしてあまり気持ちのいいものじゃないなと感じています。だからといってどうしたらいいのかはわからないんですけど......。でもそこはずっと考えておきたい。アイデアが生まれたときはいつでも臨戦態勢に入れるようにしていたい」。グラフィック・デザイナーとしても活動している彼女ならではだ。
「カッコよくなりたいし、作品はずっとつくっていきたい」。明快な言葉が力強い。
絵画、美術の「枠」を問うー星野夏来
星野夏来は1989年大阪府生まれ。2015年に武蔵野美術大学を卒業。第2回CAF賞では《Untitled(2014)》と《Untitled(2014-12)》という2つのペインティングを用いたインスタレーションを発表した。「『絵画』という枠組みを、人がどうとらえているかに興味があります。『絵画っぽい作品ではないね』と言われたこともあるのですが、それは狙い通りで、『ここまでやると絵画っぽい』あるいは『絵画っぽくないけど、絵のフォーマットは使っている』というようなことを考えていました」。
大学時代は油画を専攻。途中から絵画の枠組みや、絵画の成立ということ自体に興味を抱くようになった。「自分にとっては何を描いても一緒だな、と思い始めたんです。人を描いても、風景を描いても、完成してしまえば同じというか......。自分の作品が完成するときは、テーマがあろうとなかろうと決まっている。『あ、これで成立したな』と思えるまで手を加える。結局、自分が絵の後を追っていっているだけのような感じ」。
選抜展では一転、ディスプレイを使ったインスタレーション《美術の歩み[下]》を発表した。「『美術の歩み』という美術書の上に、小石を置いて、その様子を毎日写真で撮影したものを、1秒ごとにつないで映像にしました。『美術の歩み』の上に小石を置き、これまでの歴史の上に、今の自分ができる簡単な行為を、自分の時間軸のなかで重ねるということ。それ自体はくだらない行為なのですが、私は石を置き、写真を撮りながら、ぼんやりと今ではない時間のことを考えることもできる。絵画から出発した自分の興味は、もっとさまざまな認識、それをどう捉えるどう壊すか。ということに広がっているように思います。下巻なのは、そこでこの本が完結しているからです」。
はじめから映像作品にすることを目指していたのではなく、なんとなく写真を撮り溜めていた。「やってみようというほどのことでもなく、結果的にそうなっただけ」と極めて淡々としている星野だが、何を重要視して作品制作にのぞんでいるのだろうか。「ちょっとした"きっかけ"と、制作上で起きるすべて、ですね。ちょっと引っかかる何かを絵の具や写真などの何かしらの素材に変換するのが出発点です」。
「外枠がひっくり返るような瞬間が見たい」。既存の認識、あるいはとらわれごとなどに対し、違う視点からアプローチすることを試み続ける。