歴史と寄り添い、個人的な体験に基づいて他者とコミュニケートする絵画とパフォーマンス
ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)にピカソの《男と女》という作品があります。男性が女性の性器にナイフを突きつけている絵で、あるとき私がそれを眺めていると、男性の警備員が冗談っぽく笑いながら『ピカソはブタ野郎だよ』と話しかけてきました。そのとき、なんだか考えさせられてしまって。というのも、私もピカソと同じように(女性の)恋人を描いたら『ブタ野郎』になるのかなと思ったんです」。
「女性の目線」で女性を描く
ミヅマアートギャラリーで、今年、大和日英基金アートプライズを受賞したケイト・グルービーのアジア初個展が開かれた。冒頭で紹介した彼女の言葉は、本展「ピュア・プレジャー(純粋な喜び)」のタイトルにもなった新シリーズを制作するきっかけになったエピソードであり、のみならず、彼女の作品を理解するうえで重要な2つのモチーフが登場している。そのモチーフとは、ひとつはピカソ、もうひとつは女性性である。
一見してわかるように、グルービーの作品にはピカソやマティスといった「モダン・マスターズ」からの影響がはっきりと見て取れる。しかしながらその手つきは、彼らを過去のものとして見下ろしシミュレートするわけではなく、彼らと同じ目線に立って、ピカソやマティスらと同一空間で自らのアイデンティティを示そうとしているように見える。それはどういうことか。彼女自身が語る「目線」の話から始めることにしよう。「ピカソやマティス、セザンヌといったアーティストたちは私のヒーローです。彼らに触発されて絵を始めたと言っても過言ではありません。でももちろん彼らとの違いもあって、何よりも、彼らは男性の目線で女性を描いていました。それでは反対に、女性の目線で女性を描いたらどうなるのかなと思ったんです」。
グルービーがこのように語る背景には、彼女が「ピュア・プレジャー」で描く女性のモデルが、彼女の恋人ジーナであることも関係している。もちろん、「女性の目線」で作品をつくるということ自体は美術史においてはなんら新規的な試みではない。むしろ、括弧つきの「女性アーティスト」による表現としては紋切り型であると言ってもよいだろう。それでは、グルービーは自身の制作の特徴をどのような点に見出しているのだろうか。