日本初公開! サウジアラビア王国の至宝400件でひもとく100万年の
足跡

古代より交易路が張りめぐらされ、人々と様々な文明が行き交ったアラビア半島。その歴史と文化を示すサウジアラビア王国の至宝が、日本で初めて公開される。アラビアの先史時代から20世紀に至るまでの文化財400件以上が紹介される「アラビアの道 -サウジアラビア王国の至宝」展の見どころを、担当研究員の白井克也、小野塚拓造、ゲストキュレーターの徳永里砂が語る。

聞き手・構成=杉原環樹、ポートレイト撮影=稲葉真

葬送用マスク テル・アッザーイル 1世紀頃 金 17.5×13cm サウジアラビア国立博物館蔵

人類の足跡を刻む半島

――2010年から世界巡回をしてきた本展では、サウジアラビアの考古資料を通してアラビア半島の歴史が紹介されています。この展覧会の画期性とはなんでしょう?

小野塚 アラビア半島は、長く見過ごされがちな地域でした。例えば古代文明というとエジプトやメソポタミアが強調され、アラビアは影が薄い。しかしアフリカと地中海、南アジアを結ぶこの場所は、人類がつねに往来してきた重要な地域です。とくに現在、その大部分を占めるサウジの考古資料を集めると、そのままアラビア半島の歴史を語れる。今回は、そんな質量ともに充実した内容が紹介できる機会になります。

小野塚拓造(東京国立博物館研究員)

徳永 この地域には人が訪れる理由があったんです。現在は石油が有名ですが、かつては香料を求めて交易路が発達し、7世紀のイスラーム教誕生後はマッカ(メッカ)とマディーナの二大聖地に向かう巡礼路が栄えました。そのなかで国際的で多様な文化が育ったのです。

白井 宗教、民族、環境の混交から文化が発展した。それが一番わかるのが中東地域だと思います。東京国立博物館にはイスラーム関連の収蔵品が少なく、紹介の機会がほとんどなかった。多くの実物に触れていただける機会は貴重です。

ダーダーン文字碑文 ウラー 前5~前2世紀頃 砂岩 23×23cm キング・サウード 大学博物館蔵

――展示物にはどんなものが?

白井 歴史のスケールを感じさせる展示物が多いですが、先史時代を扱う第1章で貴重なのは100万年以上前の旧石器群。アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸へと移動するとき、現在の調査ではシナイ半島を経由せず、アラビア半島の南側を通ったことがわかってきた。石器群は、そんな人類の足跡を示すものです。

古代南アラビア文字による墓碑 カルヤト・アルファーウ 前5~前1世紀頃 石灰岩 48×60cm サウジアラビア国立博物館蔵

小野塚 当時のアラビアはいまとは異なり、湿潤地帯だったんです。その後、前6000年頃から乾燥が進み、遊牧民や狩猟採集民が活動し始めます。同じ章の「人形石柱」は、この乾燥地帯で生きた人々が祭事で建てたモニュメントと考えられています。シンプルな造形が特徴ですが、そこからは精神面の重視も感じられます。

人形石柱 カルヤト・アルカァファ(ハーイル) 前3500-約2500頃 砂岩 92×21cm サウジアラビア国立博物館蔵

――第2章では前2500年頃の、メソポタミアの都市文明の成立以後が扱われています。

小野塚 この時期、アラビア湾にメソポタミアとインダスの都市間を結ぶ海洋ルートが生まれました。第2章では、この交易で栄えた人々の残したものが展示されています。それらを見ると、アラビア半島の人々が都市文明の影響を受けつつ、そこに独自の解釈を加えていたことがわかる。例えばアラビアの「祈る男」の像には、メソポタミアのシュメール人による像と同じ特徴がありますが、大きさや衣服の表現は違います。

白井 交易で重要な「物流センター」になったのがタールート島です。石製容器も目玉ですが、これらはイランなどでつくられ、タールート島経由でメソポタミアに輸出されていた。象眼による文様表現やヤシの絵があるものなど、様々な文化が交わっていたことがわかります。歴史の断片から、まさに文明の道が見えてきます。

白井克也(東京国立博物館研究員)

文字表現の広がり

――展示では、香料の交易で栄えた都市の出土品にも光が当てられています(第3章)。半島北西部のタイマーが重要とのことですが、どんな背景があるのですか?

徳永 タイマーはメソポタミアとエジプトをつなぐ都市で、半島の南から来る人々の経由地でもありました。掌握すれば莫大な利益を手にできるため、多くの権力者が支配しようとしたのです。そんな折、前6世紀にメソポタミア南部の新バビロニアの王様がタイマーに遷都してきて、同地で10年間を過ごします。結果、展示している祭壇のようなメソポタミアとエジプトの影響が混在した文化が生まれました。

小野塚 当時は広域を支配する「帝国」が登場した時代で、少し後には有名なアレクサンドロス大王が出てくる。バビロニアはその先駆けです。西アジアの大部分、つまり当時の「世界」の大部分を支配する王様がタイマーに来たのは大事件でした。

アルアラーの息子アブドゥルジャッバールの娘アルガーリヤの墓碑 マッカ 9世紀 玄武岩 67×45×12cm サウジアラビア国立博物館蔵

徳永 またこの遷都は、当時の国際共通語・アラム語とともにアラム文字を北アラビアにもたらしたという意味で、文字史的にも重要でした。この文字はナバテア文字を経て、のちにアラビア文字の原型となるものです。アラム文字が伝わる以前にも、古代の半島には多様な文字が存在していました。これらは、レヴァント付近で生まれた初期アルファベットが半島各地に伝わって変化を遂げたもので、とくに美しいのは古代南アラビア文字。様々な文字が刻まれた碑文が展示されるので、見比べると面白いと思います。

――第4章では7世紀に誕生したイスラーム教以後の世界が取り上げられています。偶像崇拝を禁止したイスラームの教えも文字の造形に影響を与えたのでしょうか?

徳永 そうですね。人間や動物の絵を描けない一方で、神の言葉であるクルアーン(コーラン)を美しく表現しようと、文字の装飾性が発達していったのです。展示では、墓石に刻まれた周囲の文様と一体化した文字などにその美しさを感じられるはずです。また第4章では、ムスリムの聖域であるカァバ神殿に取り付けられていた、実際の扉が展示されますが、これも非常に貴重なものです。

小野塚 この扉は、17世紀から近年まで使用されていたもの。これだけ近くで見られる機会はほぼないでしょう。

カァバ神殿の扉 マッカ オスマン朝時代・1635または1636 木芯、打出銀張、鍍金 342×182cm サウジアラビア国立博物館蔵

徳永 遠い昔のものばかりではなく、第5章の展示品には現在のサウジの家庭でも使われているものがあります。例えば香炉。香を焚く習慣は古代から連綿と続いています。現代の香炉は古代のものとさしてかたちは変わりませんが、近頃では新種もあって、車のシガーソケットに差して使う香炉もあるんですよ。

香炉 タイマー ナバテア王国時代・前1~後1世紀頃 砂岩 40×15.5cm タイマー博物館蔵

白井 アラビアの美術には日本の文化と近い部分もあるんです。アラビアでは神の言葉として文字表現に力が入れられましたが、日本でも書道が諸芸術の頂点だった時代があります。それは文字によって統治の哲学や仏教の教えが表現されるからで、身分の高い人たちは当然の教養として書を学んだ。この展示は日本の美術への理解を深めるうえでも面白いはずです。

小野塚 ニュースの影響で、中東にネガティブな印象を持つ方もいるのかなと。しかし今回の展示については、「食わず嫌いは絶対に損をします」と言いたい(笑)。

徳永 アラビア半島の美術を、これだけ通史的に見られる機会はとても貴重。様々なものが展示されるので、人によっていろいろな点に注目できると思います。この地域の重要性を少しでも感じていただけたら嬉しいですね。

徳永里砂(アラブ イスラーム学院研究員、金沢大学国際文化資源学研究センター 客員准教授)

『美術手帖』2018年2月号より)

編集部

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