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2020.6.13

ある黒人キュレーターの告発から見えた、白人多数のアメリカ美術界の問題

今月初め、グッゲンハイム美術館が「Blackout Tuesday」に賛同したことに、ツイッター上で強く反発した人物が注目を集めた。それは同館で昨年ゲスト・キュレーターを務めたチェードリア・ラブビエだった。同館と彼女のあいだに何があったのか。その背景を追ってみる。

文=國上直子

グッゲンハイム美術館 Photo by David Heald (C) Solomon R. Guggenheim Foundation, New York.
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美術館における多様性の実情

 ミネアポリスの警察官によってジョージ・フロイドが殺害されたことをきっかけに、全米各地で大規模な「Black Lives Matter」を掲げた人種差別への抗議行動が起こっているのを受け、企業や組織などが、相次いでこの動きへの支持を表明している。

 美術界もこの流れに乗っているものの、業界全体では依然有色人種の占める割合が少ないのが現状である。アンドリュー・W・メロン財団が2019年に発表した報告書によると、キュレーターにおいては84パーセント、運営に関わるポジションでは88パーセントが白人で占められている。国勢調査で自らの人種を「白人」と回答した割合が76.5パーセント(2019年)であることを考慮すると、社会の実態よりも白人優勢の業界であると言える。

出典=アンドリュー・W・メロン財団が昨年発表した「美術館従業員人口調査2018」

 同財団は、「アメリカの美術館が、この国の豊かな多様性を象徴し、受容する場になることで、コレクションやプログラムが全ての人々にとって意味を持ち、喜びとともに享受できるものになっていく」と訴えている。その点で、組織としてのビジョンを定めるリーダー的ポジションに多様性を確保することは重要となる。しかし実際の現場で人種の多様性がいまだ実現できていない場合、そうした文化施設から発せられる「人種差別反対」の声は、どれだけ真摯なものとしてとらえられるのだろうか。

グッゲンハイム美術館の「Blackout Tuesday」参加に真っ向から批判

 6月2日に行われた「Blackout Tuesday」には、美術館らが相次いで参加したが、そこにグッゲンハイム美術館が名を連ねたことに真っ向から反発したのが、チェードリア・ラブビエだった。ラブビエは、昨年6月から11月まで同館で開催された「Basquiat’s “Defacement”: The Untold Story」展で、ゲスト・キュレーターを務めた人物である。

 同館において、黒人がキュレーターとして参加した例としては、1996年にオクウィ・エンヴェゾーが共同オーガナイザーとして参加した展覧会と、昨年キャリー・メイ・ウィームスとジュリー・メーレトゥが、他4名のアーティストとともにキュレーターを務めた展覧会が挙げられる。しかし単独で展覧会を取りまとめる黒人キュレーターとしては、開館80年の歴史のなか、ラブビエが初となった。

 同展の中心となったのは、ジャン=ミシェル・バスキアの《マイケル・スチュワートの死》という1983年の作品。この作品では1983年に警官によって殺害された黒人男性マイケル・スチュワートの事件が主題になっている。当時25歳だったスチュワートは、ニューヨークの地下鉄の駅の壁に落書きをしているところを警官に捕まり、激しい暴行が加えられた末、昏睡状態に陥り13日後亡くなった事件である。

 若いアーティストだったスチュワートの死は当時、ニューヨーク・ダウンタウンのアーティストたちに、大きな衝撃を与えた。バスキアはスチュワートとは共通の友人がいる間柄で、スチュワートは事件当時バスキアの元交際相手だったスザンヌ・マロークと交際中だった。共通項の多かったスチュワートの死に、バスキアは大きなショックを受けたという。そして事件の1週間後、友人だったキース・ヘリングの家の壁に描かれたのが、この作品だった。

 本展は、バスキアのこの作品を軸に、同様にスチュワート事件へ反応したキース・ヘリングやアンディ・ウォーホールなどの作品も併せて展示し、当時この事件をきっかけにアート界に広がったセンチメントを振り返る内容であった。また「警察による黒人への暴力」が、40年近くたったいまも大きな問題であることを改めて提示した。

 この展覧会を取り上げたニューヨーク・タイムズ紙の記事のなかで、当時のニューヨークの状況をよく知るギャラリストのジェフリー・ダイチは「バスキアの知名度と作品の値段は上がるいっぽうだが、彼に関する研究はまだ乏しい。スチュワートの事件は数年にわたって、アートコミュニティに影を落とし、怒り、アクティビズム、そして作品制作の引き金となった。ラブビエのような若い女性が、新たな視点で当時のアート界を見つめ直してくれる機会が来ることを、40年間待ち望んでいた」と語っている。

 ラブビエは、ライター、アクティビスト、ジャーナリストなど様々な肩書を持つかたわら、バスキアやキース・ヘリングの研究も行なってきた人物。バスキアに関しては、18歳のときに興味を持って以降、15年をかけ研究を重ねてきた。グッゲンハイム史上、初の黒人ソロ・キュレーターとしての大抜擢に、満を持して臨んだラブビエだったが、同館のリーダー層、とくに主任キュレーター兼アーティスティック・ディレクターのナンシー・スペクターと仕事をするなかで、数々の軋轢が生じたという。

美術館側との軋轢

 ラブビエは、展覧会終了後、その経緯をツイッター上で綴っていたが、今回グッゲンハイムへの反発を表明したタイミングで、改めて事の詳細を説明した。

 すべては、2016年にラブビエがウィリアムズ大学の附属美術館で、バスキアの《マイケル・スチュワートの死》を取り上げた展覧会が、ナンシー・スペクターの目を引いたことから始まった。17年にスペクターがグッゲンハイムの主任キュレーターに就任すると、ラブビエに《マイケル・スチュワートの死》を取り上げる展覧会を開かないかと持ちかけたという。

 ラブビエは、それ以前、黒人系の美術館や大学に展示企画を提示したが、すべて断られていた。この作品の紹介に意欲のある美術館で展示を行いたいという願いがあったため、スペクターの申し出に応えることにしたという。グッゲンハイム自体、黒人との関わりが希薄な美術館であるのは知っていたが、この展覧会がその歴史を変えるための一歩になると約束されたことも決め手の要因だった。

 18年に、展覧会の準備が始まった際、ラブビエは、自身の学術研究の版権を保持することを希望し、美術館側に渡さなかった。独自で積み上げた成果だったことに加え、専門外の人々に研究内容を手渡すのは得策ではないと判断した。しかし展覧会準備を通じて、スペクターは、ラブビエの研究になんとか自分の名も連ねようとしたという。

 作品の貸与を依頼する書面には、研究はラブビエとスペクターが共同で行ったような印象を与える文言が並び、スペクターは作品を確保するには、こうするしかないと主張した。さらにエッセーにおいては、スペクターらと共同執筆のかたちにし、ラブビエの専門知識で内容を底上げするような案を出してきたという。ラブビエはこれに断固として反対し、そこからスペクターとの関係が悪化した。

 ラブビエは、自身の学術研究のクレジットを美術館側に譲渡するのを拒否したがために、度重なる報復を受けることになり、美術館スタッフで彼女を擁護する人間もいなかったという。

 グッゲンハイム美術館の広報は、プレス関係者がラブビエとのインタビューを希望した際、本人に知らせることもなく、取材不可と退けた。そのため展覧会に関するインタビューやプレス活動は、ラブビエ本人がすべてアレンジした。さらに、デジタルガイド・コンテンツの制作、展覧会のプライベートツアー、展示の撤収など、キュレーターが通常関わる業務からことごとく排除された。報復のためには、展覧会自体が不発に終わることも厭わないような行動を取るスペクターと美術館サイドを目にする日々は悪夢のようだったとラブビエは言う。

 美術館内部で起こったことを外から計ることは難しい。しかし例外なのは、閉幕間近に開催された展覧会のパネルディスカッションだった。こうした場には、展示を担当したキュレーターが登場するのが一般的だが、ここからもラブビエは排除された。代わりに登壇したのは、ラブビエが執筆した展覧会カタログに寄稿した2名と、展覧会開始後に雇われたグッゲンハイム美術館初の黒人「フルタイム」キュレーター、そしてスペクターだった。質疑応答に移った段階で、ラブビエは直接客席から同館のあり方に抗議の声を上げ、その様子が動画にも収められた。ラブビエと美術館側の軋轢が、公衆の面前で露呈するかたちとなり、この一件は一部メディアでも取り上げられた。

 今回ラブビエが、グッゲンハイムの「団結」宣言に猛反発したことをきっかけに、彼女のグッゲンハイムでの経験が広く知られるようになった。ラブビエは、美術館側の振る舞いは、展覧会や研究から彼女の名を消し去ろうとする行為だったと考えている。「グッゲンハイム美術館でナンシー・スペクターやリーダー層と仕事をしたことは、これまでの職務のなかで、最も人種差別的な経験だった」とラブビエは綴る。

 ラブビエがこのような待遇を受けたのは、彼女が若いからなのか、黒人だからなのか、その両方だからなのか。いずれにしても「この展示を美術館の転機にする」という約束のもとスタートした企画のなかで、若い黒人研究者が長い年月をかけて築いた研究成果を横取りするような行為を主任キュレーターが率先し、従わなければ徹底的に報復するという美術館の体質に、今回厳しい視線が注がれることになった。

実態の伴わない「団結」表明の持つ意味

 はたしてこのような組織が人種差別反対に「団結」を表明すべき立場にあるのか。ラブビエの告発を受け、グッゲンハイムへの批判が広がるなか、6月9日同館は、取締役リチャード・アームストロング名義で、声明を発表した。ラブビエの事例には直接触れずにこう述べている。「この国の黒人やヒスパニックが経験してきた構造的抑圧に対する抗議活動を目にし、それを支持するいっぽうで、グッゲンハイムは自らの80年の歴史のなかで、いくつかのつまずきがあったことを認め、組織としてのあり方を再考しようとしています」。

 同声明では、約1年前に「Diversity, Equity, Accessibility, and Inclusion Initiative」という多様性と平等を組織内に広げる試みを始めたことがアピールされているが、これはスペクターらがこのイニシアチブ発足後に、ラブビエへの報復行為をしていたことになり、声明自体が空疎に響くのは否めない。

 「Black Lives Matter」に関しては、多くの企業や組織が団結を表明しているが、実態が伴ってない場合、内情を知る人物が告発するケースが続いている。そして、かたちばかりの表明はただのパフォーマンスだとして「パフォーマティブ・アクティビズム」という辛辣な言葉も投げかけられている。内省のない連帯表明が、これまで差別的に扱われてきた人々の尊厳を再び踏みにじる行為であるということが、今回のラブビエの一件で浮かび上がり、多様性の面でアメリカの美術界が抱える問題の深さが改めて提示されたように思う。