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INSIGHT - 2018.8.10

バンコクの現状をアートで伝える。ワンタニー・シリパッタナーナンタクーンの個展を長谷川新がレビュー

タイ・バンコクにあるギャラリーVERで同地を拠点に活動するアーティスト、ワンタニー・シリパッタナーナンタクーンの個展「THE BROKEN LADDER」が行われた。タイの社会情勢を反映した作品を手がけるシリパッタナーナンタクーンが本展で主題としたのは家や土地。本展をインディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

文=長谷川新

「THE BROKEN LADDER」展よりワンタニー・シリパッタナーナンタクーン《The Reckoning》(2018)

「THE BROKEN LADDER」展よりワンタニー・シリパッタナーナンタクーン《The Reckoning》(2018)

「壊れた梯子」がつなぐもの
「THE BROKEN LADDER」展
長谷川新 評

 シラパコーン大学ワンタープラ・キャンパスが無期限閉鎖され、4つの学部―絵画・彫刻・グラフィック、建築、考古学、装飾芸術―は散り散りになった。「無期限」という言葉は、目下選挙日の「無期限延期」状態が続くタイにおいては(少なくとも本展の作家であり、シラパコーン大学で教鞭をとるワンタニー・シリパッタナーナンタクーンにとっては)一層の消耗を伴って響く。プラユット暫定首相は、2018年11月までの選挙をほのめかしていたが、今年に入って再度延期が決まり、早くとも選挙は2019年2月以降の実施となる。奇しくもこの原稿を書いている折に、AKB48の新曲に関する「世界選抜総選挙」に、バンコクに拠点をおくBNK48メンバーも立候補可能というニュースを耳にした。ここではグローバル資本と民主主義が奇妙な円舞を興じている。視線を展覧会会場へと向けよう。

 会場は2階建てのホワイトキューブである。1階には大きなガラス板と、大理石でできた台座が置かれている。台座にはアクリルケースが置かれ、中に一枚の紙切れ(請求書かなにかの複写であるようだ)が鎮座している。会場をゆっくりと歩いていると、床に18金のリヴェットが埋め込まれていることがわかる。

 リヴェットは全部で4つあり、それらを結ぶとギャラリー空間を二回りほど小さくした矩形になりそうだ。ここでは、軽く、傷つきやすく、シンプルで、それでいて一定の硬さをもった空間が目指されている。ミニマルであることこそがここでの作家の態度である、ということだけが、じゅうぶんに伝わってくる。階段を上がろう。

会場風景。中央の台座には《The Reckoning》(2018)が展示してある

 小ぶりなサイズの空間の壁にモニタがかけられている。車に乗りながらバンコク郊外の風景を撮影した映像が流されており、タイ語、次いで英語の声が聴こえる。声は、超高級団地における234の一戸建て住宅のうち、すでに100軒の売却が成立していることを告げている。住宅の価格は高いもので1億バーツ〔約3.4億円〕もする。不動産屋が顧客を口説く。「今日中にご購入を決めていただければ、4100万バーツ(約1.4億円)から3300万バーツ(約1.1億円)へとディスカウントさせていただけます」「地中海建築にインスパイアされております」。

 しかしカメラが映し出すのは、蒸し暑い東南アジアの風景であり、ここにそうした高級住宅が立ち並んでいくであろう近未来とのギャップである。再び階段を降りよう。

会場風景より《Castle in the air》(2018)

 ガラス板はワンタニーが購入した自宅の権利証書を10倍にしたものであり、床の4点の金のリヴェットがかたちづくる矩形は所有する土地の境界を示している。台座に置かれた請求書は、その自宅購入時のものにほかならない。

 ここには「安定した」タイのアーティストの「限界」が曝されている。大学講師であるとはいえ、彼女の給料では郊外の土地と家を購入することが限界であり、彼女が制作する作品の価格は展覧会すべてを合計しても、台座の上に置かれた請求書に記載された数字にはるかに及ばない。にもかかわらずそれはただの紙であり、サイズや境界線はあくまで概念的なものにすぎない。証書を10倍にするだけで、土地のサイズと変わらなくなってしまう。価格、価値、機能がうまく像を結ばないのだ。

 ここにきて私たちはタイトルである「壊れた梯子」を身体的に感得する。ギャラリー空間の1階と2階をつなぐ階段=梯子は、本当は壊れている。私たちはさきほど自分がやったようにそれぞれの階を自由に上ることはできない。「2階」にいる誰かは高級住宅を3000万円「割引サービス」されるだろう。「1階」にあるすべての労働とそれに費やされた時間をすべて足してもおそらくその額には及ばない。

会場風景。右が自宅の権利証書を10倍にしたガラス板の作品《We all live under the same sky, but we don’t all have the same horizon》(2018)

 さて、この展覧会は経済格差への、権力構造への怨嗟であろうか。哀しいニヒリズムであろうか。ここで執拗に費やされているミニマリズムへの志向は、ヨーロッパと東南アジアの非対称性と羨望、自虐と肥大した自意識の垂れ流しであろうか。そうではない。感情を排したオブジェクトとそのアレンジメント、すなわち作者が選び、配置したインスタレーションによって発生しているのは、不均衡と歪な構造におさまりきらない「アート」の性質である。

 コンセプチュアルアートとグローバルキャピタリズムの結託を理解したうえで、そのふたつの装置の接合部分で鳴っているわずかな不協和音を聴取しようとする意志である。ミニマリズムはそのノイズをエンハンスするために採用されている。絶望するために彼女はアートをやっていない。

 惜しむらくは、テキストで示唆されていた、大学への通勤バスの乗車位置をめぐる国家権力の介入のエピソードが、うまく展示空間内にまでインストールされていなかった点であろうが、そうだとしても、バンコクでアートへと、労働へと、生活へと人生を賭けていこうという意志、そして権力への反省性が明確に輪郭を与えられていた。