EXHIBITIONS
八木幣二郎「誤植」
グラフィックデザイナー・八木幣二郎の個展「誤植」がThe 5th Floorで開催される。本展キュレーションは布施琳太郎。
これまで八木は、ファッションや現代美術、映画、音楽における広報物やカタログ、ウェブサイトなどのデザインで大きな注目を集めてきた。その仕事は、「人類にとって文字とは何か」「印刷とは何か」という深淵な問いに支えられたものである。
「詩人やキュレーターではなく、デザイナーと書家だけが文字に触れることができる」、「日本語で『文字』と呼ばれる対象は、英訳するなら『creature』なのだ」と言う八木は、ZBrushをはじめとした3DCGのモデリングソフトやレンダリングソフトのなかで演算された筆触を用いて、文字がクリーチャーであった記憶を再生する。クリーチャーであると同時に、文体を操作する、文字の記憶の操作、それこそが八木にとってのデザインの両義性であり、本展はこの両義性をデザイナーとして改めて結晶化するものだ。
本展で八木は様々なクリエイターと協働し、「誤植」をテーマとした陶芸や音楽、印刷物、映像を通じて、ひとつの「デザイン」を提示する。
コラボレーターのひとり、ミュージシャンのPrius Missileは、八木がつくり出した「文字(creature)」の読み解きによって、新たな音楽作品を制作。また陶芸家の神保淳とともに粘土を練り、焼くことで、私たちと身体の耐用年数を遥かに上回るデザインの支持体をつくり出し、そこに八木によるクリーチャーとしての文字が定着される。
本展のねらいは、「文字」がいくつもの仕方で読み取られ、定着され、展覧会というひとつの環境を構築する素材となり、ひとつの「誤植」をかたちづくるプロセス自体を「デザイン」として提示すること。八木のつくり出す文字は、サイエンスフィクションにおけるガジェット以上のリアリティで、私たちの認識へと侵蝕し、ありえるかもしれない文字文化へアクセスさせてくれるだろう。
これまで八木は、ファッションや現代美術、映画、音楽における広報物やカタログ、ウェブサイトなどのデザインで大きな注目を集めてきた。その仕事は、「人類にとって文字とは何か」「印刷とは何か」という深淵な問いに支えられたものである。
「詩人やキュレーターではなく、デザイナーと書家だけが文字に触れることができる」、「日本語で『文字』と呼ばれる対象は、英訳するなら『creature』なのだ」と言う八木は、ZBrushをはじめとした3DCGのモデリングソフトやレンダリングソフトのなかで演算された筆触を用いて、文字がクリーチャーであった記憶を再生する。クリーチャーであると同時に、文体を操作する、文字の記憶の操作、それこそが八木にとってのデザインの両義性であり、本展はこの両義性をデザイナーとして改めて結晶化するものだ。
本展で八木は様々なクリエイターと協働し、「誤植」をテーマとした陶芸や音楽、印刷物、映像を通じて、ひとつの「デザイン」を提示する。
コラボレーターのひとり、ミュージシャンのPrius Missileは、八木がつくり出した「文字(creature)」の読み解きによって、新たな音楽作品を制作。また陶芸家の神保淳とともに粘土を練り、焼くことで、私たちと身体の耐用年数を遥かに上回るデザインの支持体をつくり出し、そこに八木によるクリーチャーとしての文字が定着される。
本展のねらいは、「文字」がいくつもの仕方で読み取られ、定着され、展覧会というひとつの環境を構築する素材となり、ひとつの「誤植」をかたちづくるプロセス自体を「デザイン」として提示すること。八木のつくり出す文字は、サイエンスフィクションにおけるガジェット以上のリアリティで、私たちの認識へと侵蝕し、ありえるかもしれない文字文化へアクセスさせてくれるだろう。