EXHIBITIONS
師・黒田清輝 妻・鴇田とみ
藤田嗣治 東京美術学校から渡仏へ
1905年、東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝の指導を受けた藤田嗣治。卒業後の13年に渡仏した藤田は、パリの美術潮流に触れ、東京美術学校での教育を批判することになった。
フランスでアカデミックな絵画教育を受け、西洋画を日本に移植しようとした黒田。いっぽう、西洋と日本を融合させた独自の画風をパリで確立した藤田。2人の画家は西洋美術の深奥を感じ取り、そのうえでそれぞれの画業を展開させた。
本展は、渡仏前の藤田の活動に焦点を当て、東京美術学校在学中に制作した人物画、近年発見された《榛名湖》などの風景画を展示。また、藤田が渡仏後に新婚の妻・鴇田とみへ差し出した書簡を公開し、画家として目指した方向性や妻への思いを紹介する。
そして黒田については、在仏中の作品、および帰国後に描いた「構想画」の下絵などを展観。あわせて黒田が監修した東京駅壁画の資料から、日本の近代化と向き合った画家の姿を浮かび上がらせる。
フランスでアカデミックな絵画教育を受け、西洋画を日本に移植しようとした黒田。いっぽう、西洋と日本を融合させた独自の画風をパリで確立した藤田。2人の画家は西洋美術の深奥を感じ取り、そのうえでそれぞれの画業を展開させた。
本展は、渡仏前の藤田の活動に焦点を当て、東京美術学校在学中に制作した人物画、近年発見された《榛名湖》などの風景画を展示。また、藤田が渡仏後に新婚の妻・鴇田とみへ差し出した書簡を公開し、画家として目指した方向性や妻への思いを紹介する。
そして黒田については、在仏中の作品、および帰国後に描いた「構想画」の下絵などを展観。あわせて黒田が監修した東京駅壁画の資料から、日本の近代化と向き合った画家の姿を浮かび上がらせる。