EXHIBITIONS
原弘と造型:1920年代の新興美術運動から
日本の近代デザインを切り拓いたグラフィックデザイナーのひとり・原弘(はら・ひろむ、1903〜86)。その展覧会「原弘と造型:1920年代の新興美術運動から」が武蔵野美術大学 美術館・図書館で開催されている。
原は長野県飯田市出身。1921年東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)を卒業し、戦前は同校の教員を勤めながら携わった新装花王石鹸のパッケージデザインで世に広く知られるようになった。30~40年代には日本工房、中央工房、東方社など諸団体の設立に参加。51年、戦後初のグラフィックデザイナーの全国組織である日本宣伝美術会の結成に参画し、60年には亀倉雄策らとともに日本デザインセンターを設立した。
1964年東京オリンピックではポスターなどの書体の統一および広報物のデザインを担当。生前に手がけた仕事は装幀やポスター、パッケージデザイン、雑誌のアート・ディレクションなど多岐にわたり、日本のグラフィックデザインの進展に大きく貢献した。
本展では「三科」や「造型」をはじめ、原が新興美術運動に身を投じた1920年代の作品を起点として、アートディレクターの太田英茂や岡田桑三、また写真家の木村伊兵衛や渡辺義雄らとともに活動し、のちの制作姿勢の礎となった30年代から40年代にかけての仕事をたどる。
出品作は武蔵野美術大学所蔵のポスターや書籍、資料などに、特種東海製紙株式会社の原弘アーカイヴ資料も加えて展観し、原の造型思考の検証を試みる。
原は長野県飯田市出身。1921年東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)を卒業し、戦前は同校の教員を勤めながら携わった新装花王石鹸のパッケージデザインで世に広く知られるようになった。30~40年代には日本工房、中央工房、東方社など諸団体の設立に参加。51年、戦後初のグラフィックデザイナーの全国組織である日本宣伝美術会の結成に参画し、60年には亀倉雄策らとともに日本デザインセンターを設立した。
1964年東京オリンピックではポスターなどの書体の統一および広報物のデザインを担当。生前に手がけた仕事は装幀やポスター、パッケージデザイン、雑誌のアート・ディレクションなど多岐にわたり、日本のグラフィックデザインの進展に大きく貢献した。
本展では「三科」や「造型」をはじめ、原が新興美術運動に身を投じた1920年代の作品を起点として、アートディレクターの太田英茂や岡田桑三、また写真家の木村伊兵衛や渡辺義雄らとともに活動し、のちの制作姿勢の礎となった30年代から40年代にかけての仕事をたどる。
出品作は武蔵野美術大学所蔵のポスターや書籍、資料などに、特種東海製紙株式会社の原弘アーカイヴ資料も加えて展観し、原の造型思考の検証を試みる。