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コンスタンティン・ブランクーシ

Constantin Brâncuşi

 コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア出身の彫刻家。1876年ホビツァ村の農家に生まれ、クラヨーヴァとブカレストの美術学校で学んだのち、パリに出て1905年にエコール・デ・ボザールに入学。オーギュスト・ロダンに見出されるが、そのアトリエを去り独自の道を進む。07年頃より、粘土や石膏を使って模型から彫刻をつくる一般的な方法ではなく、木や石の素材の質感を生かした「直彫り」によって作品を制作。初期の直彫りの代表作《接吻》(1907)では抱き合う2人が一体となるように削り出され、以降の《眠れるミューズ》(1910)や《世界の始まり》(1924)などにおいてフォルムを単純化していく。

 19世紀に始まる民族美術への関心は20世紀に入っても続いており、ブランクーシもまた、原始的な造形や故郷ルーマニアの伝承などから制作の着想を得た。最初の大理石の作品《マイアストラ》(1911頃)はルーマニアの伝説の鳥をモチーフとしており、台座の上に立つ大理石は、丸い体つきやくちばしといった鳥の特徴をシンプルに表現している。3つの台座のうち、08年の作品《二重のカリアティード》が挟まれ、石灰石と大理石という異素材が作品を際立たせている。

 ブランクーシは主に人の頭部や円柱をモチーフとし、とくに「鳥」の作品に注力した。その試みは、自然に関わりのある主題の本質をとらえることであり、例えば、24年から始まる「空間の鳥」の連作では「飛ぶ」ことの本質を掴むべく、形状はよりシンプルに、ブロンズの表面は反射するまで磨き上げ、飛翔する鳥の動きの純化を探求し続けた。抽象彫刻の代表的な作例のひとつに挙げられる「空間の鳥」シリーズは、過去にニューヨークへ持ち運ばれた際、関税がこれを美術作品と認めなかったために裁判にまで発展し、工業製品と美術作品の境が問われる出来事となった(裁判はブランクーシ側が勝訴)。

 38年、ルーマニアのトゥルグ・ジウに戦没者を弔う鉄のモニュメント《無限柱》を設置。八面体状のモジュールが高さ約30メートルに連なってまっすぐ空へ伸び、同じくトゥルグ・ジウにある《接吻の門》《沈黙の円卓》と合わせて、ブランクーシのアンサンブルとも呼ばれている。そのほかの主な作品に、《プロメテウス》(1911)、《ポガニー嬢》(1913)、《王妃X》(1915〜16)、《頭》(1920)など。52年にフランスの国籍を得る。57年没。生前はマルセル・デュシャンやフェルナン・レジェ、マン・レイなどと交流し、イサム・ノグチをはじめ多くの芸術家たちに影響を与える。パリのポンピドゥー・センターではブランクーシのアトリエを再現して展示。日本ではアーティゾン美術館、箱根彫刻の森美術館、滋賀県立美術館などが作品を収蔵している。