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ギュスターヴ・クールベ

Gustave Courbet

 ギュスターヴ・クールベは新古典主義やロマン主義と対立した写実主義の創始者。1819年フランス・オルナン生まれ。カトリック系の中学校でデッサンを学び、18歳のときに画家のフランジューロに師事。40年、父の希望である法律家を目指すため、パリで勉学に励むが、自ら絵の道に進む。アカデミー・スイスに通い、ルーヴル美術館でオールド・マスターを模写。44年、《黒い犬を連れたクールベ》(1844)でサロンに初入選する。この頃、詩人のシャルル・ボードレールや美術評論家のシャンフルーリと知り合う。48年、社会主義思想に賛同し、2月革命に参加。50年に横幅およそ6メートルの大作《オルナンの埋葬》を発表し、物議を醸す。それまでの西洋絵画において、大型の作品は歴史や宗教を主題に扱うことが通例だったが、クールベは名も知れない庶民の葬式を、威厳をもって描き、当時の美術界に衝撃を与えた。

 53年に《浴女たち》を発表。水浴びをする女性の美化されていない身体表現が非難の的となった。55年のパリ万国博覧会で、《オルナンの埋葬》と《画家のアトリエ》(1855)の出品が拒否されると、自費で博覧会の会場前の建物を借り、「レアリスム館」と名づけて世界初の個展を開催。自分が生きた時代の出来事を理想化することなく、目に見えるままに描く「レアリスム宣言」を掲げる。「わが芸術的生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画」と題された《画家のアトリエ》では、中心に風景画を描く自分、右側に無政府主義の父ピエール・ジョゼフ・プルードン、ボードレールやシャンフルーリら親しい人々や支援者、そして左側には商人、労働者、ロマン主義のモチーフに好まれた品々などを配し、画家としての芸術的・社会的思想を表している。

 挑戦的な作品のいっぽう、風景画や狩猟画も制作。とくにフランス革命以後に狩猟が一般化したことも後押しして、狩猟画の注文が相次ぐ。クールベも狩猟を趣味としており、大型のキャンバスを用いてレアリスムを遺憾なく発揮する。60年代は官能的な女性像や裸婦画に着手。その後、60年代後半〜70年代前半は英仏の海峡をしばし訪れて海景画を描く。71年、パリ・コミューンに参加。ヴァンドーム広場の記念柱を倒壊した罪によって逮捕され、73年にスイスへ亡命。母国に戻ることなく77年に没。生前、「私は天使を見たことがないから描かない」という言葉を残している。2018年に、クールベのスキャンダラスな作品のひとつ《世界の起源》(1866)のモデルがバレリーナのコンスタンス・ケニオウであることが判明した。