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俵屋宗達

Sotatsu Tawaraya

 俵屋宗達は17世紀前半に京都で活躍した絵師。国宝《風神雷神図屏風》の作者であり、公卿や当時の富裕な町衆の支持を得て、金箔地を生かした華やかで装飾性の高い《舞楽図屏風》や、たらし込み技法を用いた水墨画《蓮池水禽図》など数々の優品を遺している。しかし本人に関する資料はきわめて乏しく、生没年も不詳。親交のあった文化人・角倉素庵(1571-1632)や公卿・烏丸光廣(1579-1638)らと同世代と考えられている。京都で俵屋という絵屋、あるいは扇屋を営んでおり、後年は一派で制作をしていたと推測される。絵師としての活動の早い時期に厳島神社の平家納経の補修事業への参画が確認されており、1630(寛永7)年までに町絵師としては破格の法橋位を与えられている。本阿弥光悦との合作《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》が存在することから、こうした宗達の出世に光悦の後ろ楯を指摘する声もある。桃山から江戸へ政権が移り変わる動乱の時代に、奇をてらうことなく、京都の伝統的な文化基盤に根ざした新たな作風を模索し、尾形光琳という次代の才能を生んだ。