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横尾忠則とともに振り返る、横尾忠則現代美術館の10年とこれから

兵庫県神戸市にある横尾忠則現代美術館が今年、開館から10年を迎える。数多くの展覧会を開催し、横尾忠則の様々な側面を見せてきた同館10年の歩みとこれからについて、前半は同館館長補佐兼学芸課長を務める山本淳夫にインタビュー。後半では、甲南大学文学部教授で元横尾忠則現代美術館学芸員の服部正と横尾忠則のメールインタビューをお届けする。

文・美術館撮影=中島良平 ポートレート撮影=マチェイ・クーチャ 構成=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

 2008年、世田谷美術館と兵庫県立美術館で「冒険王・横尾忠則」と題する巡回展が開催された。それを機に兵庫県に通うことが増えた横尾は、膨大な点数の作品を収蔵する場所を都内ではなく、出身県でもある兵庫県に持つことができないだろうかと考えた。兵庫県立美術館に勤める旧知の学芸員に相談したことから話は急展開し、収蔵設備を備えた美術館を開館することが決まった。世界を舞台に活躍する兵庫県出身のアーティストの作品を所蔵し、いつでも触れられる美術館をつくることは県民にとっても文化的な利益は大きく、また、収蔵と研究を進められる施設としても貴重だ。横尾が神戸新聞社に勤めていた当時に住んでいた場所からもほど近く、縁のある場所として、兵庫県立美術館王子分館(旧兵庫県立近代美術館)の西館をリニューアルすることになった。開館1年前の準備段階で声がかかった山本淳夫は、次のように語る。

横尾忠則現代美術館外観

「当時は滋賀県立近代美術館に勤めていて、改修工事が始まろうかという段階でこちらへの勤務が決まりました。2階と3階に展示室をつくり、4階をアーカイブルームとしてデザイナー時代の資料なども収蔵することはすでに決まっていたのですが、所蔵品を核としながら、ときによっては新作を制作していただいたり、他館から作品をお借りしたりしながら毎回企画性を持った展示を行う方向性としました。年に3本のペースを基本として展覧会を開催していますが、あれだけ作品のバリエーションも点数もある横尾先生だから、これだけ様々な切り口で企画展を続けてこられたのだと思っています」。

横尾忠則現代美術館でこれまで開催された展覧会の図録。どれも横尾本人がディレクションしている

 企画展のコンセプトと展示予定作品を横尾に提案すると、「旧作に手を加えたいと仰って、その作品が変わり果てた姿(笑)になって返ってくることもあります」と話すように、作品が完成したらそれで終わりではなく、常に変化や展開を目指す姿勢に裏打ちされている。そして企画展示ごとにポスターは横尾がデザインするのも貴重だ。つまり、この美術館の最大の魅力は、横尾忠則が現役の作家であることを感じられる点にあるといえるだろう。すべての企画が印象的で、横尾との11年に及ぶやりとりは強烈な記憶となって残っているというが、この館の特徴的な展示を山本は次のように説明する。

「去年から今年にかけて開催された『恐怖の館』展も、エレベーターに血糊を塗りつけるなどして全体的な演出をしましたが、美術館が違うものに化けるというシリーズは定期的に続けています。開館2年目には、美術館の向かいにある王子動物園から大量の剥製をお借りし、横尾さんの絵と組み合わせてインスタレーションにしましたし、『ようこそ!横尾温泉郷』という展示では、展示室に風呂桶を、1階には卓球台を置くなどして美術館全体を温泉に見立てました」。

「恐怖の館」展展示風景より
「恐怖の館」展で血塗りの演出が施されたエレベーター
「ようこそ!横尾温泉郷」展示風景より 提供=横尾忠則現代美術館
「ようこそ!横尾温泉郷」展示風景より 提供=横尾忠則現代美術館

 「横尾先生の作品はポップで遊び心があるので、企画を通した“悪ふざけ”を許容されると感じます。コロナ禍の初期、2020年2月からは『兵庫県立横尾救急病院展』と題する展示を行ったのですが、そのときはちょうど県立病院の統廃合で不要になったベッドや点滴台などを提供いただけましたし、受付も監視も白衣を着て、オープニングでは出席者全員にマスクを配って撮影も行いました。横尾先生はその集合写真のマスクの部分に舌の絵をコラージュして作品にしましたが、全員がマスクする異様な光景もいまでは当たり前になりましたし、それも時代を予見したような作品になりました。悪ふざけから時代批評的なシリアスな意味を持つようになり、それも横尾先生らしい引きの強さかなと感じます」。

「兵庫県立横尾救急病院」展のオープニング風景 提供=横尾忠則現代美術館
横尾忠則現代美術館の一角

 10周年記念展として開催されるのは、「Forward to the Past 横尾忠則 寒山拾得への道」展。東京都現代美術館で開催された大規模展「GENKYO 横尾忠則[原郷から幻境へ、そして現況は?]」のクライマックスを飾った《寒山拾得 2020》をはじめとする最新作を集めた企画だ。コロナ禍でアトリエにこもり、制作に打ち込むことで生まれた新作の数々を横尾本人は「これまでの作品とは異なるタイプ」と語っている。唐の時代の僧で、山に暮らして詩を詠むも、奇行を重ねた寒山拾得をモチーフに、自身が「朦朧体」と呼ぶ新たな様式を獲得したまさに「現況」を見せる展示だ。

 「当館で2019年に公開制作した作品や動画を集めた『大公開制作劇場』という展示を行ったのですが、会期中に公開制作をしていただく機会がありました。その時は時間がなくてスピーディーに描かれたのですが、それまでの作品とは違う“ヘロヘロ”ともいえるような筆触が印象的だったんですね。横尾先生もその筆触からそれまでに描いた絵と違う感覚を得たらしく、その朦朧とした状態の作品を継続的に手がけるようになりました。

「大公開制作劇場」より、公開制作中の横尾 提供=横尾忠則現代美術館
横尾忠則現代美術館の鏡張りの空間。ここからは横尾が新婚時代に暮らした街が見える

 横尾先生は子供の頃に子供らしい落書きなどをしたことがなく、『GENKYO』展にも展示されていましたが、幼いころ描いた武蔵と小次郎の絵もきちんとデッサンの線が引けていて、誰もが通過する、なぐり描きを楽しむようなプロセスが欠落しているんだと思うんですね。あれだけ正確に描ける人が、いま『朦朧体』の境地に至って子供の頃に持つべきだった絵の体験の埋め合わせをしているのではないかとも感じています」。

 10周年記念展では、巨匠である横尾忠則が現役で表現を続けている作家であることが伝わってくると同時に、過去に手がけた版画作品などから、筆触やストロークに身体性が感じられる作品もあわせて展示される。さらには、かつてのアーカイブルームが改装されてコレクションギャラリーとなり、横尾が所有するマン・レイの写真作品なども展示されるようになり、横尾忠則という個人作家にフォーカスした美術館としてさらに凄みを増す。

「恐怖の館」展展示風景より
「恐怖の館」展展示風景より
美術館に併設された「ぱんだかふぇ」では横尾デザインの食器でコーヒーや食事が楽しめる

メールインタビュー:横尾忠則
“横尾忠則現代美術館は僕の分身”

服部正 大変ご無沙汰しております。学芸員として勤めさせていただいたのは開館1年目だけでしたが、その後も美術館の活動を身近に拝見してきました。そのことを振り返りながら、いくつか質問をさせていただきます。

 2020年の「兵庫県立横尾救急病院展」の開会式の記憶が強く残っています。参加者全員に入口でマスクが配られ、それを着けて記念撮影をしました。その後、この光景が現実のものになることを、まだ誰も想像できていませんでした。横尾先生がその後の風景を予見しておられたかのようです。そして、訪れることができなくなったその後の横尾忠則現代美術館を、遠方からどのようにご覧になっておられたのでしょうか。

横尾忠則 あの病院展は僕の病院への興味、関心を学芸員が察知して、コロナ以前に企画したもので、たまたま、WHOが武漢でコロナが発生したと発表し、それを受けて日本政府が新型コロナウイルス感染症を指定感染症と定めた時期と、横尾忠則現代美術館の「兵庫県立横尾救急病院展」のオープニングが重なっていました。最初はたんなるオープニングだったのですが、病院展をやるなら来客もあたかも病人と化すか、または病院という非日常空間への参入を象徴する、そんな来客への病院に対する意志の必要性のためには来客全員にマスクを配布するよう、オープニングの前日に電話で指示しました。どんな企画でも来客を巻き込む(参加した)ことによって、観念ではなく、肉体的な発想を学芸員自身がする必要があるという意味で、学芸員に対する企画の自覚も含めて、あのようにマスクを来客全員に着用してもらいました。

横尾忠則 アトリエにて撮影

服部 来客として訪問した私も、美術館で病院のベッドを見ているのか、病院で作品を見ているのか、ふと分からなくなるほど、あのマスクの効果は絶大でした。

横尾 芸術的創造の霊感は未来の時間から受信する必要があります。そのために頭脳的になる以前に肉体的でなければなりません。また芸術家は予言者的資質を持つ必要があると思います。コロナ禍で美術館へ行けないのが、この時からずっと続いていますが、美術館の様子は全て透視しています。肉眼で見なくても霊眼で見ています。また学芸員もその感覚を感じとっているはずです。

服部 霊眼!ですか。確かに、横尾忠則現代美術館で展示を見ていると、横尾先生が近くにおられるような、独特の緊張感というか、背筋が伸びるような感じがあります。学芸員の皆さんはさらに強くそれを感じているでしょうね。いっぽうで、コロナ禍のなかでも横尾先生はますます精力的にご活躍され、東京や海外での大規模なプロジェクトが続いています。それらと比べると神戸の美術館は小規模で派手さはありません。ですが、そこには巨大プロジェクトの祝祭感とは別の継続性・日常性があります。今は難しいですが、開会式に先生が来られて、地元西脇のお友達と旧交を温めておられる姿も印象的です。先生にとって、横尾忠則現代美術館とはどのような場所ですか。

横尾 横尾忠則現代美術館は僕の分身です。そこから心が離れるということはありません。と同時に、あそこは僕の墓でもあります。また神戸に住んでいた時の青谷とは目と鼻の先で、シャケが子供を産むために、自分の故郷に帰って来たのです。だから僕はシャケです。

服部 シャケは大海を泳ぎ回り、そして最後に故郷の川に帰って来ます。横尾先生は、いまも大海と川を自由に行き来しておられるようです。

横尾 最近は絵を描くのに飽きています。嫌々描いています。五感も傷だらけです。そんな肉体と精神のハンデキャップの状態です。老齢になるとハンデキャップを自然体にすることで、延命しています。絵は考えないで描くべきです。考えないことは老齢の自由の扉かも知れません。

横尾忠則 アトリエにて撮影

服部 私が横尾忠則現代美術館に勤めていた頃、横尾先生が「服部さんは理屈で考えるけど、私は感覚で考えます」とおっしゃったことが今も心に残っています。横尾先生は著作やTwitterでも老いや病気のことを繰り返し発言しておられますが、最新の「寒山拾得」シリーズはまさにそのような肉体的な感覚がそのまま作品化されているようで、生きることは描くことという究極的な画家の在り方のように思えます。

横尾 生きることと死ぬことの間に境界線がありません。現世での行為そのものが、死後、向こうで具現化します。此岸と彼岸は相対的なものです。死んだら無になるという発想はあり得ません。現世で無になれない者は死んでも無にはなれません。寒山拾得は多元的な宇宙の縮図化された人物で、寒山拾得はすべての人の中に存在しています。その自覚と実践に人生をゆだねる必要があります。

服部 観る人の生き方や人生観が問われる、寒山拾得の真の姿がそこにあるのですね。横尾忠則現代美術館での展覧会を振り返ると、資料を隅々まで調査した綿密でマニアックなものから遊び心溢れたものまで、非常に変化に富んでいます。横尾先生の展覧会をやり続けてきたからこそ出てきた企画や展示方法かと思いますが、先生は横尾忠則現代美術館の学芸員に何を求めますか。

横尾 学芸員に求めるものは、ただひとつ「自由」です。観念的な脳の作用から解放することです。そして、自らの肉体そのものを脳化することを求めます。画家の生き方を眺めるのではなく、学芸員自らの生き方を実践することです。とにかく常に常識、慣例を疑うことです。そこからしか新しいものは生まれません。そして社会的自由よりも、自らの「私からの自由」が何より必要です。

編集部