静岡県東部に位置し、日本一高い富士山と日本一深い駿河湾に囲まれた都市・沼津市。案内されたのは、駅近くの高層マンションの一室で、玄関を開けた途端、思わず声を上げてしまった。廊下から広がる左右の壁が天井近くから床面までびっしりと手描きのイラストで埋め尽くされている。とくに消防士の数が微妙に異なる真っ赤な消防自動車の絵画に至っては、複数枚描かれており、さながらポップ・アートのようにも思えてくる。
作者は、この家に住む15歳の立川幹大(たちかわ・かんた)くんで、母親が幹大くんの描いた絵を額装して飾っていたところ、10歳ごろから自分でも壁に貼り出してしまったようだ。驚いたことに、それは廊下の壁だけではなかった。自室やトイレ、リビングなど家中のほとんどの壁面が幹大くんの作品で占拠された状態になっている。「コロナ禍で中学校入学が6月に延びたときに、本人が全部剥がしたんです。丸めて捨ててしまったものもありましたけど、『これは!』というものは私が保管しておきました。『ぼくは中学生になる、ぼくは大人だよ』という意思表示だったのかなと思います」と母の菜美さんは教えてくれた。
幹大くんは、2007年にひとりっ子として生まれた。3歳児検診で発達の遅れを指摘され、市内の幼稚園へ入園したものの、集団の中に入ることができず、ミニカーを並べてひとり遊びをしていることがあった。母親は当時の様子を「荷物にこだわりがあって、帰りの時間まで背負っていました。『みんなと一緒にやろうね』と言われても、泣いてひとりで園長先生の部屋でお絵描きをしたり園庭で遊んだりしていました。運動会や音楽発表会なども、みんなと一緒に参加することはできなかったですね」と振り返る。
「幼稚園のとき、マンションのエレベーターが開いた瞬間にひとりで下へ降りて行ったことがあって、すぐに追いかけて近所を探したんですけど見つからず、警察へ通報したんです。1時間半ほど探しても行方が分からなくて大がかりな捜索が必要になるかも知れないと言われたときに、ここから30キロ近く離れた御殿場市で発見されたんです。家族でよく御殿場プレミアム・アウトレットに行っていたから、その道のりを覚えていて電車やバスを乗り継いで同様のルートを通ったみたいで」。
4歳からは、市内の幼稚園を離れ、発達に課題のある子供たちが利用する保育園への通園を開始した。手厚い療育を受けながら、苦手なことにも挑戦していったところ、次第に集団に適応できるようになったようだ。翌年からは再び幼稚園へ戻り、加配教員の支援を受けながら、みんなと一緒に卒園することができた。
その時期から幹大くんは、乗り物や人物などの絵を描き始めた。小さい頃から工事現場のブルドーザーや貨物列車といった大型の乗り物が好きで、現在でも電車が一望できる公園にひとりで頻繁に行くことのある幹大くんは、とにかく乗り物の絵をよく描いている。不思議なことに、すべて横向きで描いているが、近年では大好きなアニメ『カーズ』の影響を受けて、運転席の窓に「目」を入れて擬人化した作品も多い。最初は線画のみだったが、1年半ほど前からマジックで彩色を始め、大型トラックの荷台には、果物や数字、番号の付いた服を着た人の姿など独自のデコレーションを施すようになった。
そして、レゴブロックが好きで現在でも誕生日とクリスマスには必ずレゴを欲しがるという幹大くんは、レゴブロックの世界から飛び出してきたかのような人物画も描いている。大人数での合唱を描いた場面をはじめ、大半の人物画は集団で描かれており、特に警察官や消防士、医者や料理人などが並んだ作品は、母親曰く、彼の興味関心が制服にあることに起因しているというからなんとも面白い。最近では、カップルやダンサー、ウェイトレスなど多彩な属柄の人々が登場する桑田佳祐の『君にサヨナラを』のミュージックビデオが好きになり、YouTubeで繰り返し視聴するだけでなく、そこからインスパイアされた絵もたくさん描いている。リビングの棚の壁面に目をやると、踊っているダンサーの髪やミニスカートが揺れる様子を、まるでストップモーションのようにとらえた絵画も貼ってあるし、お気に入りの動画の連続した動きを印刷したコラージュもある。
A4サイズの紙を自ら短冊状に裁断してセロハンテープで連結させた上から絵を描いており、最長で50メートルにおよぶ作品もあるそうだ。電車やトラック、そして人々が連なっていく様を描くために、自ら編み出した技法なのだろう。
自閉症スペクトラム障害の幹大くんは、言葉によるコミュニケーションが苦手で、一見するとひとりでいることを好み、自分の殻に閉じこもっているように思えてしまうかも知れない。しかし、母親の話では、小学校の頃、特別支援学級に在籍していたが、交流学級の時間が好きで、普通学級の同級生たちに面倒を見てもらうことも多かったようだ。みんなと一緒に過ごすことを何より好み、当時の日記にはそうした事実はなくても毎日必ず「みんなと一緒に何々をしました」と記していたのだという。うまく自分の言葉では表現できないけれど、幹大くんは様々な思いを日記の中に記したり絵に描いたりしている。僕らに必要なのは、そうした言葉にならないメッセージを受け取め、彼の気持ちを推察することだ。
一般的に自閉症スペクトラムの人は聴覚よりも視覚優位であると言われている。つまり、耳で聞いた情報よりも目で見た情報のほうが記憶として定着する。だから、幹大くんは何度も同じ映像の気に入った場面を繰り返し眺めているのかも知れない。変化を嫌う自閉症スペクトラムの人にとって、時刻通りに決められた路線を走る列車やバスは、そのフォルムだけでなく、そうした規則正しさこそが魅力の対象なのだろう。幹大くんは、ときどき指を顔の前で離したり近づけたりしてクネクネとくねらせては、声色を変えて独り言をつぶやいている。まるで両手の指を使って色々な人を演じているようにも思えるが、もしかすると目のピントを外したり合わせたりする視覚刺激や自身の声色を変化させる聴覚刺激を取り入れることで、ディズニーランドのような光や音の幻想的な効果を自らつくり出しているのかも知れない。こんな風に、彼から発せられるメッセージから僕たちは多様な想像を膨らませることができる。それが本当の意味で、障害のある人に寄り添うということなのだろう。
考えてみれば、壁に貼った作品もすぐに制止したり剥がしてしまえば、ここまで広がることはなかったはずだ。でも、あえてそれをしていないところに、僕は両親の愛情を感じてしまう。それは「あなたの表現を見つめているよ」という両親からの返答なのだ。両親からの深い愛情を受けて、幹大くんは今後どんな成長を見せてくれるのだろうか。イラストの上から貼られたセロハンテープが蛍光灯の灯りに反射してキラキラと輝いている。