静岡県のほぼ中央に位置し、豊かな水産物に恵まれ、水産業を起点として発展した焼津市。市内の一角に「ギャラリーくすくす」の看板を掲げる小さな工房がある。中を覗くと、《リョーマの休日》や《電柱でござる》など、思わず微笑んでしまうようなユーモア溢れる彫刻作品が至る所に陳列されている。作者は、日本で唯一の「笑刻家」を自称する岩﨑祐司さんだ。岩﨑さんは、1946年に静岡県焼津市で4人兄弟の長男として生まれた。小さい頃は大人しい性格で、ものづくりが好きな子供だったという。
「子供のときは、木で鉄人28号や木刀をつくって遊んでいました。中学を卒業した後は、静岡市内にある自動車整備の専門学校へ2年ほど通いました。その後は、とくに夢もなかったから父が戦後に創業した自転車店『マリンサイクル』を20歳から手伝い始めたんです」。
30歳ごろに店を譲り受け、結婚を機に新店舗で働くようになった。そんな岩﨑さんにとって最初の転機となったのは、35歳のときのこと。それまで日曜大工が好きで色々なものをつくっていたが、「形あるものをつくりたい」と高さ30センチ程の観音様を自作した。木彫りを教えてくれる人が近くにいなかったため、本を見ながら独学で彫り始めたようだ。以後は木彫り制作に没頭し、高さ150センチほどの大きな仏像も制作したこともあった。ところが、次第に仏像だけでは飽き足らなくなり、ピエロや人物像をモチーフにした制作を始めた。
「県の展覧会などに出展しても、入選はしたけど高い評価は得られなかったんです。次第に本格的に木彫り制作を続けていくことに対して限界を感じるようになったんですよね」。
50歳のとき、悩んだ末に「もっと面白くて自分だけの作品をつくりたい」と一念発起。1週間ほど思案しながら形を削り、「バナナの皮を剥いたらトウモロコシだった」という《そんなバナナ》という木彫り作品を制作した。馴染みの画廊喫茶に持ち込んでみたところ、「面白いじゃないか」と好評を得たことで、火がついた。ダジャレと木彫を融合させた作品を「パロディ笑彫」と名付け、以後25年間に渡って彫り続けている。
「気持ちが開放されるというか、アイデアがどんどん出てくるんです。20代のときに、ギャグやダジャレを考えるのが好きで、どこにも発表していなくて誰にも見せていないんですけど、何百と考えてはノートに綴っていました。そのアイデアがベースになっていますね。『みなしごはっち』『おだまり』など作品化したものもありますよ」。
やがて作品は話題を集め、数々のメディアでも取り上げられるようになり、1998年には松坂屋静岡店で初めてとなる個展を開催した。「ちょうど世の中が落ち込んでいるときで、『岩﨑さんの作品で人々を元気付けて欲しい』と頼まれたんです」と当時を振り返る。個展の成功を受け、主に県外から出展依頼が舞い込むようになり、雑誌やテレビでも数多く取り上げられるようになった。岩﨑さんによると、これまで制作した作品は700点にものぼるという。
「夏休みに5ヶ所で展覧会を開催したことがあって、どの会場でも『代表作を展示してほしい』という声が上がったんですよ。展覧会などでの貸し出し依頼も増えてきたから、同じ作品を複数つくるようにしたんです。だから、作品の種類で言えば330種ほどなんです」。
ひとつの作品は早ければ3日程度で、長くても1ヶ月半ほどで仕上げてしまう。驚くことに、精密な設計図などを描くことはないそうだ。ノートに下書きとして簡単なイラストを描いたら、それを元にクスノキの丸太をバンドソーという電動工具で裁断して、試作品を荒削りしていく。本番では、その試作品を参考にもっと面白いポーズに変化させていくようだ。それにしても、二次元の手描きイラストだけで一木彫りの立体作品がつくれてしまうのだから、その空間認知能力の高さには感服してしまう。
「松坂屋で展覧会をやったときは、40種類しか作品がなくて100種類までできるかどうか考えながら進めていったんです。でも、気づけば22年間で330種類にもなりました。やっていくうちにパロディの切り口が色々とできるようになったんです」。
「ギャラリーくすくす」で展示されている作品は、いくつかのコーナー分けがなされている。《ネコに交番》《田中からぼたもち》など、ことわざをテーマにしたものや《はなさんかじじい》《赤い靴吐いてた女の子》など名作や童謡がモチーフになった作品、そして《アインは勝つ》《あたしのジョー》など有名キャラクターをモデルにしたものまで様々だ。岩﨑さんの手にかかれば、あらゆる素材が彫刻として料理されてしまうのだが、手を出さないジャンルもあるようだ。
「10年先には通用しなくなるから、流行を反映したものはつくらないようにしています。あと、お客さんから『アルチュウハイマー』をつくってくれと言われるんだけど、『それは病名だから駄目だ』って言ってるんです。基本的に、病気や社会風刺、差別的な表現などを題材にした作品はつくりません。あまりセクシーな表現もしないですね。ひとつだけつくった『ケーキ乳頭』が限界ですよ。面白ければ良いってもんじゃないから」。
有名人に似せた作品を制作する際などは、本や写真などを参考にすることはあるものの、「あまりリアルになると面白くないから」と実物に似せることにはそれほど拘ってはいない。あくまで、見た人が思わずくすくすと吹き出してしまうような笑いを求めて、作品の数で勝負しているのだ。「ときどき、『高齢になって笑ったことがないけど久しぶりに笑いました』なんて感想を頂くと嬉しくなっちゃいますよね」と微笑む。
仏像制作を続けていた頃は、評価されないことや周囲が美大で学んできた人たちばかりだったということにコンプレックスを抱えていたという岩﨑さんだが、「パロディ笑彫」を始めてからは、自分だけの表現に思いっきり振り切ることができている。「仏像をやってた頃は正確さが求められてたんだけど、いまは自由につくれているからね」と語る岩崎さんの言葉に、僕は人が表現することの本質を垣間見る。なんのために、なぜ人は表現するのだろうか。誰もライバルのいない無限の荒野で岩﨑さんは今日もつくり続けている。