櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:ベッドの下の宝物

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第43回は85歳になってからフェルト製の人形をつくり続けているきよゑさんを紹介する。

文=櫛野展正

きよゑさんがつくった「ぼけぼー」
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 フェルトや綿、布のリボンなどの手芸用品を使ってつくられた個性豊かな動物たち。一見すると、熊なのか猫なのか分からないキャラクターもいるが、そのゆるくて可愛い色鮮やかな造形美に、ひと目見たときから心を鷲掴みにされてしまった。これらは、静岡県沼津市在住で94歳になるきよゑさんが一つひとつ手づくりで制作したフェルト製の人形だ。ボケ防止のために始めたことから「ぼけぼー」という愛称で親しまれている。

きよゑさんがつくった「ぼけぼー」

 「祖母が85歳のとき、近所に住むおばあさんから『私はつくれないけど、あんたは器用だからやってみな』とミッキーマウスのフェルトマスコットをつくるキットを譲り受けたんです。祖母は折り紙やペットボトルのキャップを使って置物などをつくっていたこともあり、手先が器用だったんですね。人形の目を自分で付け替えるなど自分なりにアレンジして制作したところ、周りから話題になったのが嬉しくて、フェルトを使って人形をつくるようになったみたいです」。

きよゑさんがつくった「ぼけぼー」

 そう語るのは、孫でこの「ぼけぼー」の広報担当を務めている志賀春香さんだ。きよゑさんが初めてミッキーマウスのフェルトマスコットをつくって3ヶ月ほどが過ぎた頃、志賀さんが実家に帰省した際に「最近こんなのつくってるんだよ」と祖母から見せられたのが、煎餅の空き箱にたくさん詰められた「ぼけぼー」だった。「可愛いとは言えないけど、とてつもないユーモアとエネルギーを持っているものを見せられた気がして、ここで眠らせておくより、多くの人に見てもらいたいと思ったんです」と志賀さんは当時を振り返る。2012年6月には、そのとき働いていた東京・中野の日替わりカフェの一角で、初めての展覧会を開催。すでに80個ほどを展示したというから、きよゑさんの制作スピードには驚かされてしまう。志賀さんによると、きよゑさんは制作にあたって基本的に下書きなどはせず、折ったフェルトに直接でハサミを入れていくようだ。即興で裁断していくため、つくっている途中で形を変えてしまう作品も多いが、現在も1日平均で5個ほどをつくっているというから、その制作意欲は尽きることがない。

制作中のきよゑさん

 「つくり始めた当初は、近所の小学生や親戚に無料で配っていたようです。『すぐにペッチャンコになっちゃった』『サイズが大きすぎたり小さすぎたりしている』など意見を貰うことで、中綿を入れるようになったり4本足で自立するようになったりとだんだんと洗練されていったようです。祖母の感性をそのまま生かして貰ったほうがいいので、私はなんのアドバイスもしていないんですが、気づいたらボンドやグルーガンまで使いこなすようになっていたんですよね」。

志賀春香さん

 志賀さんによると、きよゑさんは現在も制作を続けており、その数は8000点にのぼるという。足が悪いためマッサージチェアに座りながら制作を続け、完成品はジッパーで封をして頭の後ろの段ボール箱に入れていく。山積みになってきたところで、志賀さんが車で「ぼけぼー」を受け取りに行き、そのうちの何点かを販売しているようだ。「最初は1つ200円で売り出して、いまは300円に値上げしたんですけど、値段設定を間違えましたね」と笑う。ネットショップへ定期的に出展しても、すぐに完売してしまうほどの人気ぶりだという。

きよゑさんによる「ぼけぼー」

 1987年に生まれた志賀さんは、両親が共働きだったため、きよゑさんにご飯をつくってもらうことも多かった。いわゆる「おばあちゃん子」として育った志賀さんにとって、そのときの恩返しをするように、2012年から東京近郊や静岡、長野、熊本など全国各地で「ぼけぼー」の展示を続けている。志賀さんの両親と弟と同居をするきよゑさんにとっては、「ぼけぼー」の制作は、できあがった作品を家族で称え合うなど、家族間のコミュニケーションのひとつにもなっているようだ。当初は、作品が知れ渡ることを恥ずかしがっていたというきよゑさんだが、展覧会場で記された感想ノートをいまも大事にベッドの下に仕舞っているというから、たくさんの人の声援がいかに彼女の制作を後押ししているかが分かるだろう。

感想ノートを手に取るきよゑさん

 「祖母の励みになっていることが一番だと思って、活動を続けています。私の義務は、この『ぼけぼー』たちを今後どうしていくかだと思っていて、できるだけ多くの人の手に渡って欲しいと考えています」。

 そう話す志賀さんは、「ぼけぼー」のなかでも珍しいものは、自分でコレクションするなど、彼女自身もすっかりきよゑさんがつくった作品に魅了されているようだ。販売するためにひとつひとつを包装してパッケージのイラストを描いていくうちに、イラストレーターとして活動する志賀さん自身の創作活動も刺激されていったというから、これまで介護される存在として考えられてきた「高齢者」の存在が制作を通じて逆転しているのが、なんとも面白い。これがアートの力なのだろう。

制作中のきよゑさん

 「ぼけぼー」のような作品は、世間一般では「おかんアート」として認識されている。「おかんアート」とは、主に中高年の主婦(母親=おかん)が余暇を利用して創作する自宅装飾用芸術作品の総称で、2003年3月に「2ちゃんねる」で専用スレッドが立てられたことで、その存在が広く知られるようになった。神戸の下町、兵庫や長田を街歩きする団体『下町レトロに首っ丈の会』の山下香さんの報告によると、「おかんアート」には楽しむことを重視した作品と技術や質を重視した作品に大別されるという。きよゑさんの場合は、前者であり、そうした作品には、制作者の遊び心が含まれているからこそ、見る側に意図せぬ笑いを生み出しているようだ。全国各地で生み出される「おかんアート」は、すべてアマチュアのつくり手たちによって生み出されている。プロフェッショナルがいない世界だからこそ、楽しめる領域は存在する。歳を重ねても自分たちがつくりたいものをつくることができて、それを喜んでくれる人がいるならば、これほど嬉しいことはないだろう。僕らが年齢を重ねていったとき、僕らのベッドの下には、いったいどんな宝物を残すことができるだろうか。

ぼけぼー