ドローイングを中心に、自己と世界の関わりや、それに伴って生じる変化をモチーフとした作品を制作する川内理香子さん。この春、多摩美術大学大学院を卒業した彼女は、在学中から国内外で展覧会に参加している、新進気鋭のアーティストのひとり。活動のバックグラウンドになっている(かもしれない)作品や手作りのお菓子まで、川内さんにとっての思い入れある品々と、それぞれについてのエピソードを、取材風景のチェキと一緒にご紹介します♡
カップケーキ
昔から、特定のものを食べ続ける時期があるという川内さん。「食べ物って、食べた後身体にすごく直接的に影響してきますよね。例えば満腹状態を自分でコントロールすることはできない。自分の身体にも手に負えない部分があるということを、食べる行為によって再認識させられてしまうんです」。同じものを食べ続ければ、影響も把握できるので「わからない」状態になりにくい安心感があると考え、中学生のとき「永遠に」食べていたのがカップケーキでした。また、料理を目の前にすると、調理の過程や食材がどうつくられてきたのかにも思いをめぐらせてしまうと言います。食べ物をモチーフにした作品も多く制作している川内さんにとって、「自分の思考が展開するきっかけは食べ物かもしれない」。身体への影響を予感して思うように食べられないとき、食べ物を描くことで食欲を昇華することもあったそうです。
ヘミングウェイと夏目漱石の小説
「ヘミングウェイは高校のときに片っ端から読んだ時期がありました」。小説においては作者が「神」として、すべての因果関係を司ることもできるけれど、ヘミングウェイの短編は淡々と情景描写だけが続くのが特徴。「簡素な文章だけどそこから空間や雰囲気そのものが立ち現れ、読み取れることがいろいろあるんです」。そういった構造は、作者により恣意的に選ばれた要素だけでなく、取り巻くすべてのものが影響を及ぼしあう可能性がある、現実世界のあり方に近いと思う、と話します。「シンプルな文章にいろんなものが凝縮されて詰まってる。私もシンプルな線にいろいろな要素を込められたら、と思って描いているので、ヘミングウェイは憧れなんです」。
夏目漱石は、『それから』と『草枕』の赤色の使い方が印象に残っているそう。「淡々と思考していた主人公が狂気に陥ってしまうラストシーンで、世界が真っ赤に染まる描写があります。赤いポストが目に入るところから始まり、どんどん赤くないものも赤く見えるようになっていく。その終わり方がすごく好きなんです」。「草枕」でも椿の花が湖に落ちるシーンや、戦場で流れる血の描写などで、赤が象徴的に登場。他のシーンの静かな雰囲気とは対照的に、赤い色をきっかけに主人公の秘めていた部分が見え、生々しさを感じさせられると言います。「感覚的に選択しているのですが、私の作品にも赤がよく出てきます。色自体というよりは、それが表す、存在しているのに隠れていたものが見えるときの強さや生々しさに感じるところがあるんです」。
THE FACESのCD
ロッド・スチュワートも参加していたイギリスのロックバンド、THE FACES(フェイセズ)のCDも馴染みあるもの。「すごくラフでがちゃがちゃしているけど、聞いていて気持ちいい作品です。上手さを追求するのではなく、洗練されていない『生の状態』までをも許容しているのがかっこいいし、楽しい気持ちになれるんです」。
『THE ART OF WALT DISNEY』
子供の頃から『リトル・マーメイド』や『アラジン』など、ディズニーの長編アニメに親しみ、ディズニー好きの母親から譲り受けたという、アニメーションからテーマパークの建設まで、ディズニーの歴史を網羅した画集『THE ART OF WALT DISNEY』を大切にしています。「ディズニーのアニメって基本的にコミカルだし、いまはキャラクターもある意味記号化されているけれど、初期のアニメにはブラックなストーリーも結構あるんです。例えば、落ち葉やホットケーキを焼くときの煙まで、すべてのものが人格を持ち、それらがミッキーに意地悪したり、誘惑したりするもの。さらには自分の身体の一部が意思を持ちはじめ、それに振り回される描写なんかもあります」。自分の身体の「手に負えなさ」は川内さんの作品においても重要な要素のひとつとなっており、共感していたのかもしれないと話します。
また、ウォルト・ディズニーがつくり上げる徹底された世界観に対する憧れもあるとか。「彼は少年時代、父親が事業に失敗し、貧しい生活を送ったそうです。現実が過酷だったからこそ、心の中ではこんなにも完璧な『もうひとつの世界』をつくれたのかな、と考えたりします」。
川内さんの作品
紹介してくれたのは、フルーツをモチーフとしたものなど、最近のドローイング作品。川内さんには活動全体におけるテーマがあるわけでなく、そのとき強く思っていること、自分の中で焦点が当たっていることを作品化しています。「そもそも、テーマにできるほど絶対的なものがあるかわからない。結局、自分も周りの環境によってつくられているものだし、他のものとの関係性が物事を輪郭づけていくと思っています。すべてを変化を続ける流動的なものとしてとらえながら、瞬間の強さも見つめていたい」と話してくれました。
好きなアーティストを尋ねると「死者の書やピラミッドをつくったエジプトの職人たちや、洞窟壁画を描いた古代の画家」と答える川内さんは、時代も場所も関係なく「人間が共感できるもの」に興味を持ち、制作をしていると語ります。シンプルな構成の中に多層的な要素を含む作品を生み出せるのは、幅広いジャンルの事物を冷静に見つめながら、そこに普遍的なテーマを見出し、思考してきたからかもしれません。