青と黄金色が揺らぐ地平
ふたつの丸い壁掛け時計がほんの少しずれながら時を刻んでいる。フェリックス・ゴンザレス=トレスの《無題(Perfect Lovers)》(1987-90)だ。寄り添いながらも異なるふたつの存在を予告しながら、展示は始まる(余談だが、この記事ではアーティストにより接近するために、以降2人をファーストネームで呼ぶこととする)。
床に直接置かれた、ニュアンスの違う青色をした円筒形がいくつか目に入ってくる。近年のロニの代表作《Well and Truly》(2009-10)だ。空を仰ぐ面はあふれる直前に停止した水のように透き通る。じつは超冷却させたガラスでできていて、不動だが周囲のわずかな動きも反映する。なにかの仮説のようなこれらの井戸には、なにかの象徴のように天井から降りてくるフェリックスによる《無題(for Stockholm)》(1992)の暖色の照明が映り込んでいる。その水平線は、見る者の角度によって交わったり、歪んだりする。
この2作品の作者と部屋を満たしたふたつの色の関係も入れ替えが可能だ。フェリックスは昔から青を好み、ロニも子供のときから質屋の父親が商う金を観察していた経験が、のちにこの物質を扱った作品の動機になっている。
また、水や空が青く見えるのは太陽光線のスペクトルによる虚像でもあるが、その青を増長するように、次の部屋ではフェリックスの水色のカーテン《無題(Loverboy)》(1989)が窓の前に引かれている。補色関係にもある揺らぐ電球はこの青い部屋にも設置されていて、静かだが網膜に焼きつくほど眩しく、空間の隅々に広がる。金とは異なる儚さで、電源を落とせば消えてしまう弱さと同時に、まばたきをしたときにはもう残像をのこしている。
この光景の前で、青空と黄金色の穀物が広がる2層からなるウクライナの国旗を想起するのはナイーブだろうか? 穀物倉庫だったブルス・ドゥ・コマルスの歴史は偶然の一致だが、2人の作品に感じられる死や無常の存在も相まり、ここ数ヶ月間、圧倒的な暴力や国際社会の機能不全を静観せざるをえない状況がフラッシュバックする。