創作の場を求めるアーティストが利用できる新たなスペース「START Box」。東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が運営するこの事業はアーティストたちに何をもたらしているのだろうか? 実際に利用した経験を持つ3人のアーティストに話を聞いた。
若手アーティストに制作、交流および作品発表の場を提供し、継続的な活動を支援することを目的に2023年にスタートした事業「START Box」。都営住宅や公社住宅の空き店舗を有効活用し、利用しやすい料金でアトリエとして貸し出すこの事業は、まず2023年4月に、渋谷区の笹塚、幡ヶ谷の2拠点、計7室(1室は交流スペースとして活用)の「START Box ササハタハツ」としてオープンした。1部屋が約15〜17平米の個室タイプで、道路に面しており、開放感があることが特徴となっている。
そして同年11月、港区台場にある集合住宅の空き店舗を活用し、約57平米の広いスペースを有する「START Box お台場」をオープン。「ササハタハツ」は個人向けアトリエとして貸し出されているが、「お台場」は広いスペースを自由に利用でき、グループでの創作や大型作品の制作も可能となっている。
他にも、作品制作に留まらず、若手アーティストに交流および作品発表の場を提供することも目的としており、定期的に地域交流イベントやワークショップ、「START Box EXHIBITION」と題する展覧会を実施。さらには、「MEET YOUR ART FESTIVAL」にも二度出展している。
今回は、2024年4月から9月まで「ササハタハツ」を利用した中村亮一、24年10月から12月まで同じく「ササハタハツ」を利用したYUH TAKUNO、そして24年10月から25年3月まで「お台場」を利用している尾形凌の3名に話を聞いた。
人と交流できるアトリエ
──まず、それぞれどのような作品を制作しているのか、どういう経緯で「START Box」に応募されたのかお聞かせください。
中村亮一(以下、中村) 私は日本社会におけるマイノリティをコンセプトに制作をしています。その経緯としては、2002年に東京造形大学に入学したのですが、1年休学するかたちでベルリンに長期滞在する機会がありました。そのとき初めて、自分がマイノリティとして悪気のない差別や偏見を受け、同時に自分が、日本でマジョリティとして暮らしてきて無意識に差別的なものの見方をしていたことに気づかされました。ベルリンはヨーロッパでも移民が多いインターナショナルな都市なので、そもそもマジョリティとは何か、マイノリティとは何か、ということも考えるきっかけになりました。
それから2003年から5年ほどベルリンに住むことを決め、東京造形大学は自主退学したのですが、それ以来、マイノリティをコンセプトに制作するようになりました。START Boxに応募しようと思ったのは、それまで基本的に個人で制作をしていたので、他者と交流し、共同制作を発展させられる場になるのではないかと考えたことがきっかけです。地域交流イベントでの、ワークショップを通じて参加者と共同制作することで、マイノリティや差別というテーマについて考えを深められるのではないかと思いました。
YUH TAKUNO(以下、TAKUNO) 私は主に絵画を制作しているのですが、手や腕で直接画材を扱い、制作過程での偶発的な発見を意識しながら、キャンバス作品や壁画を手掛けています。自分が大切にしているのは、動的なペインティングを行いながら、作品との距離を意識し、一定の規律性を持って作品を制作するという行為です。動的なアプローチもありながら、時間が止まったような静寂も共存している、様々な側面のある作品を見て鑑賞者が抱く思考によって作品が完結する。そんなイメージをもっています。
アーティストの友達からSTART Boxの募集のことを教えてもらったのですが、アトリエをもったほうが作品に変化があるよ、という話を聞いていたので、今回期間限定ですが、アトリエ生活を体験しようと思い応募しました。
尾形凌(以下、尾形) 都市や現代社会における妖怪というテーマで、絵画や立体作品を制作しています。最初に興味をもって描き始めたきっかけは、江戸時代の絵師などの作品からの影響で、高校生ぐらいのときに妖怪や民衆の表情を模写することから始めました。前に居酒屋で展示をしたことがあるのですが、人間がコミュニケーションし、コミュニティとして機能する場所で作品を展示したいという思いもあるので、コミュニケーション自体も描くモチーフとして意識して制作しています。それと、平面だけではなく立体作品も制作しています。動きのある絵だと評価してもらえることもあるので、立体にしてその動きを表現できないかと考えたのがきっかけです。大きな作品を粘土でつくるのですが、木彫のように引いていくのではなく、かたちを足していくようにしてつくります。
僕はいま大学院生で両親と実家暮らしなのですが、自室で描いていると大きな作品では限界があるので、START Boxに応募しました。母がMXTVで募集情報を見て、教えてくれたのがきっかけです。自宅が芝浦なのでゆりかもめですぐですし、立地的にも恵まれています。今年の6月に、茨城県笠間市の常陸国出雲大社にあるギャラリー桜林で展示することが決まっているので、それに向けて4点組の新作を制作しています。
ワークショップで得られる経験
──実際に利用してみての感想を聞かせてください。
中村 ベルリンに滞在中は、廃墟となったデパートをアーティストが占拠していて、そこで制作していたのですが、いろいろな人たちが訪れてすごくいい刺激になっていました。「ササハタハツ」で滞在した部屋も、道路に面したオープンな場所だったので、地域とつながって、知らない方と交流が生まれる場所としてとても心地よかったです。
──ワークショップはどのように行ったのですか。
中村 まずキャンバスに油絵具を塗り、それを偽物の金箔で覆った絵画を私が制作します。その作品は有楽町で開催された「START Box EXHIBIITION vol. 2」(2024年9月3日〜8日)でも展示したのですが、鑑賞者の方に参加していただく際は、箔を一緒に削る作業を進め、作業しながらそれぞれが思う差別について、マイノリティという言葉から考えることについての意見を交換しました。
──制作とコミュニケーションが並行して進むワークショップであり、プロジェクト形式の作品だともいえますね。
中村 制作を通して関心を共有し、理解を深めていくというプロセスからは得るものが多く、とても貴重な経験でした。個人として作品を制作することはもちろん続けますが、計画段階から誰かに関わってもらって共同制作することにも興味が向きましたし、ワークショップ形式をもっと探っていきたいです。
──TAKUNOさんも「ササハタハツ」の道路に面したアトリエを利用されていますが、その立地の利点はいかがでしょうか。
TAKUNO 私は大型作品も描ける広い環境がほしいという思いがあるのですが、それに加えて、人が出入りする環境も良いなと思っています。フラッと近所の子が遊びに立ち寄れたり、祭りがあったら前を神輿が通って遊びに来た子と一緒に掛け声をかけたり、街の文化の中に溶け込むようなアトリエに憧れます。もともと音楽のある場所でライブペインティングもしてきましたし、どこかで依頼されて壁画を描く場合も、見られる環境で制作しているので、そういうのには慣れているというか、むしろ好きかもしれません。「ここに描いてあるの何?」とか「これなんでこの色なの?」とか聞かれるのもイヤじゃないですし、そういう質問から気づきがあったりもします。集中したいときは鍵を閉め切ってしまうかもしれませんが(笑)。
──ワークショップも行われたそうですね。
TAKUNO 地域に住むお子さんや家族連れをターゲットに企画しました。そのときはペインティングではなく、木彫りの熊からイメージを受けたかたちに断熱材を切り、着色した立体を用意しました。来てくださった方に立体を選んでいただいて、そこに私の作品をプリントしたものを切り貼りして立体にコラージュするようなワークショップを行いました。持って帰れることを喜んでくれる子も多くて、一緒の作業を通じて楽しんでもらえる経験はとても新鮮でした。
掃除から展示のアドバイスまで、行き届いたケア
──アトリエを得たことで絵画作品の制作にも展開がありましたか。
TAKUNO 主題や技法を含め、作品の成長は大きなテーマです。これまで絵具を腕で伸ばす方法で描いてきたのですが、今は広い空間で、120号ぐらいの作品を描いていて、絵具を重ねて削ることで生まれる効果や、絵具をタコ糸でパンと弾いてグリッドを引くような手法なども試し、近年興味を持った「存在の曖昧さ」に言及するような絵画表現を模索しています。
そうした技法を集中的に試せる要因として、広さはもちろんですが、お手洗いなども含めて週1回掃除に来てくださるスタッフの方がいたり、ゴミも定期的に回収してくださったり、普通は自分がするべきことをお任せできて、制作に集中できるのは大きいです。こういう環境で制作することで、作品に集中できますし、恵まれた環境で制作に臨むことの重要さを強く感じます。
中村 本当にそうですね。アーティストとして制作に集中できることは、作家としての自覚にもつながり、思考を深めることができます。その一方で、ひとりで集中していて思考が偏りがちなこともありますが、道路に面している立地もそうですし、「ササハタハツ」の共有スペースや展示の機会で他の参加者と交流し、自分に新鮮な空気を取り入れられたことも良かったです。
──尾形さんが入居している「お台場」は、広さも違いますし、「ササハタハツ」とはまた少し異なる環境ですね。
尾形 駅からここに来るまでの道ではほとんど人と会わず、駐車場の中なのであまり物音もしません。異次元に飛ばされた感覚で制作に向かうことができるので、すごく集中できますね。行き詰まって外に出ると、水辺から近いのでスッと気持ちを入れ替えられますし、かなり特殊で恵まれた環境かもしれません。もともと描いていた場所が狭かったですし、ベッドや本などが置いてある部屋なので、そういうものを気にせずに大きな絵を描ける空間での環境の変化もすごく大きいです。自宅で衣食住が身近な空間で描くのも、助かる環境ではありますが、やはり生活感を排した空間で描けるとメリハリがあります。
──先ほど、前に居酒屋で展示をしたと話されていましたが、どのような展示だったのですか。
尾形 田町の焼鳥屋だったのですが、僕が小学校の時に入っていたサッカーチームのコーチがやっているお店で、子供の頃からサッカーをやりながら絵も描いていたので、いつかお店で展示できたらいいねと以前から話していて実現しました。飲食店で鑑賞を強制されない空間なので、お客さんが酔っ払ってきて、気がついたら作品について話してくれることになったりして、それを僕が遠目に見てスケッチする、というのは貴重な経験でした。
「START Box」は作家としての自覚がもてる場所
──2月には、「START Box EXHIBITION vol.3」が開催されます。中村さんはすでに「START Box EXHIBITION vol.2」での展示経験がおありですが、当時はどのような展示をされましたか。
中村 油絵の作品に箔を塗って展示して、鑑賞者と一緒に箔を剥がしながらコミュニケーションをとる作品をそこで発表したのですが、集荷から搬入、作品設置場所の相談なども丁寧にサポートしてもらえて、本当にストレスなしの展示でした。アトリエを借りられるだけではなく、発表の場を設けていただけるのもモチベーションになりますし、実際にそこで鑑賞者の方とのコミュニケーションから作品の構想が広がったので、とても貴重な機会でした。
──TAKUNOさんと尾形さんはすでに会場をご覧になったそうですね。
TAKUNO はい。ほかの方との兼ね合いもあると思いますが、いい壁面があったので、そこに120号の作品を展示できたらと考えています。これまで書店や商業施設での展示であったり、壁画の制作であったり、いわゆるホワイトキューブでの展示の機会があまりないので、どういう展示になるか楽しみにしています。今日中村さんと尾形さんにお会いできたのも嬉しかったですが、「START Box」を利用した作家の方とお会いして意見交換などができる機会としても「START Box EXHIBITION」が楽しみです。
尾形 僕は先ほど申し上げた、6月に笠間で発表する4枚組の新作のうち、2点を展示できればと考えています。笠間のギャラリーは大きな作品を展示しないと成立しにくい空間だと感じているのですが、大きな作品を描くことで自然と描くモチーフも大きくなって、「START Box」に来たことで表現に広がりをもたせることができたと感じています。滞在期間中に展示機会が決まっていると、自分の尻に火をつけてもらうような意味でもありがたいですね。
──尾形さんは来年3月までの期間で、オープンアトリエやワークショップなども予定していると伺いましたが、何か考えていることはありますか。
尾形 せっかくの機会なので何かやりたいですね。お台場は観光地でもあるので、地元に住んでいる方が来ることも含めて、どういうことができるか考えたいと思います。
──では最後に、START Boxで得た経験をどのように今後の作家活動に活かしていきたいか、また今後の展望などがありましたらお聞かせください。
中村 共同制作を試してみて、制作を通して誰かと関心を共有し、理解を深めていくというプロセスからは得るものが多く、とても貴重な経験でした。個人として作品を制作することはもちろん続けますが、計画段階から誰かに関わってもらって共同制作することにも興味が向きましたし、ワークショップ形式をもっと探っていきたいです。そこから考えが広がることを実感しましたし、新しい表現が生まれるのではないかと考えています。
TAKUNO 「START Box」は、制作に集中できることで作家としての自覚が強くなる場所だと感じました。世界各地でいろんなことが起こる時代の中で制作にのめり込み、作品を発表できる環境があることをとても幸せなことだと感じています。大きな絵画を描けるアトリエをもちたいという思いが強くなったのと、人との出会いやコミュニケーションの豊かさを改めて感じたので、作品を構成するもののことをもっと研究して、より良い作品を制作・発表していきたいと思っています。作品や制作活動を通しての人との交流や発見も増やしていきたいし、今までやったことのないことも試していきたい。今後も知らないこと・新しい知識を得続けていきたいです。
尾形 僕もやはり、「START Box」は作家としての自覚がもてる場所だと感じました。いまはまず笠間での作品に集中していますが、4月から修士課程の2年目に入り来年で修了予定なので、修了制作のことも考えています。立体を考えていて、土偶のようなものが大量に空間を埋めるようなものをイメージしています。今後は、いま描いている対象を突き詰めていきたいと思いますが、いずれ海外でも発表したいですし、いまも絵にデヴィッド・ボウイなどを描いたりミュージシャンを描くのも好きなのですが、バンドやミュージシャンと音楽を通した表現にも挑戦したいです。