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2024.7.1

マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)

アイヌであることで経験する出来事を起点に、それを徹底して「個人」の観点から分析して作品にするアーティスト、マユンキキ。彼女は、東京都現代美術館で開催中の企画展「翻訳できない わたしの言葉」(4月18日〜7月7日)で、展示室を訪れる観客一人ひとりにも「その人自身」の認識を問いかける仕掛けを導入している。作品の背景にある考え、そして近年の先住民をめぐる言説に感じることとは? 会場のベッドの上で、彼女の経験を通訳として、そして友人として共有する田村かのこが聞いた(記事は前後編)。 *本記事は『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)のインタビューを未掲載分も含めて再構成したものである。記事は8月1日からプレミアム会員限定公開。

聞き手・構成=田村かのこ 撮影=池田宏(⁑を除く) 編集=杉原環樹、三澤麦

マユンキキ。「翻訳できない わたしの言葉」展(東京都現代美術館)の会場につくられた、マユンキキの自室を模した展示室にて
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足を踏み入れるまえに

田村かのこ(以下、田村) まずは、いま私たちがいる東京都現代美術館で展示中の《イタカㇱ》(2024)の話から聞こうかな。映像作品が2点と、マユンさん自ら「展示品」として存在することもある自室のような空間で構成されていて、観客は部屋に入る前に、「パスポート」にサインするよう促される。このパスポートの着想は、2023年に二人でオーストラリアに滞在したとき、フッツクレイ・コミュニティ・アーツ(以下、フッツクレイ、*1)のプロデューサー、ダン・ミッチェル(*2)さんに見せてもらった「Wominjekaパスポート」(*3)から得たものだよね。

マユンキキ そう。先住民主体の音楽フェスの入り口で非先住民の観客に対して配られるもので、自分が何を知っているか、どういう心持ちでフェスに参加するのかを自問自答するための質問が書かれている。しかも、運営側はその答えをチェックするわけではない、というのがとてもいい。自分が何を知っていて何を知らないかを、自分で確認するってすごく重要だなと。

「翻訳できない わたしの言葉」展(東京都現代美術館)の展示風景より、マユンキキの展示室前に置かれたパスポートのコーナー

田村 人にチェックされるより覚悟を問われる感じがするよね。フッツクレイのパスポートはオーストラリア先住民についての知識を問うものだったけど、今回のパスポートはマユンさん個人と関係を築くため、と書いてある。

マユンキキ 私の作品だから、大きな枠組みに対しての知識というよりは、私がその相手と関係を築くうえで知っていてほしい、考えてみてほしい、と思う質問に絞った。「アイヌ」を対象にしてしまうと、責任が取れないし、大きな主語では語らないと決めているので。それに、自分の部屋に誰でも招き入れたりしないでしょう? だから、たとえ答えがノーだったり、これまで考えたことがなかったりしても、私からの問いかけに対して一度立ち止まって考えてくれる人に入ってきてほしいと思った。そういう人なら私も安心して対話ができるし。

田村 マユンさんが観客と直に向き合うこともある今回の展示のしつらえは、美術館という守られた場所だからできるとも言っていたね。

マユンキキ うん。いま、アイヌであるというのは、日々身の危険を感じるということ。あちこちでヘイトスピーチが横行していて、SNSを開かなくても見えてしまったり、聞こえてしまったりすることが多い。とくに北海道では目に見えるかたちでアイヌへの差別がたくさんある。不特定多数の人と向き合う今回の構成は、東京の美術館だから実現できた。これを例えば北海道の美術館でやってくださいって言われたら、たぶんまだ怖くてできない。なぜそんなに怖くて辛いのかというのは、全員に理解されなくてもいいけど、パスポートで一回止められるのはどうしてなんだろう、と思ってもらう必要はあると思っている。私が公に何かをするときっていつでも怖いから。

パスポートにはマユンキキと関係性を築くための質問として、「私はアイヌが日本の先住民族であることを知っている」など、観客自身の認識を尋ねる項目が並び、サイン欄がある。自分の回答を提出する必要はない

田村 パスポートを持って入る部屋の外には、マユンさんが写真家の金サジさんや私とそれぞれ対話する映像が流れているね。マユンさんは映像作品をこれまでにも何点かつくっているけど、いつもマユンさんがほかの人に話を聞くスタイルだよね。

マユンキキ 自分ひとりでできることって本当になくて。誰かに何かを聞いていくことで、初めて自分の思い悩んでいたことが見えてきて、やりたいことがはっきりしていくから。そういうふうにしかつくる技量がない。金サジさんやかのこと映像のなかで話した内容も、べつに普段から二人と話していることだけど、それがすごく重要で。外ではなかなか話す機会がないけど、多くの人がそのことを知っていれば、もうちょっと生きやすくなる人がいたり、他者に対して慮(おもんぱか)ることができるようになったりするんじゃないかと思っている。

田村 映像の編集も人に一任しているね。

マユンキキ そう。インタビューを撮影してもらったら、最終的な時間だけ指定して、編集箇所は映像担当者に任せる。ここを使ってくださいとか、何を伝えたいとかは一切言わない。これまでの作品は全部そうしている。文章にして出すときも、文章の編集者に任せる。私が手を入れちゃうと、すごく作為的なものにしかならないし、コントロールしたくなっちゃうから。だから他者に、信頼している仲間に全部を託す。

《Itak=as イタカㇱ》(2024)より、映像「言葉をめぐる対話 サジと」の展示風景。マユンキキと在日韓国人三世の写真家・金サジが、本来自身の第一言語になりえていたかもしれない言語を学ぶことについて語り合う

田村 でも、内容はすごく個人的なものだよね。

マユンキキ うん、でも超個人的なことってじつは、誰しもが思うことと通じているんだなって思うの。私の話は、あくまで北海道で生まれて、家庭環境とかいろんな状況や背景があったうえで生きているアイヌの女としての個人的な悩みじゃない? それは誰ともかぶらないように思うけど、実際はすごく普遍的な話で。全然違う属性の人が思い悩んでいることと共鳴したりする。生きづらさをどう解消していくかとか、悩みをなくすために何をしているかとか。何かを代表して言うよりも、共感を得やすいのかもしれない。

つねに個人を想像する

田村 展示品に個人的な解説を書くということもやっているね。

マユンキキ 博物館の収蔵品に付いているキャプションは、収集した人の視点で書かれていることが多い。例えばアイヌの民具に、どこで何年に収集されて、なんと呼ばれていたってだけ書かれていると、過去の遺物にしか見えない。でも本当は、誰かにとってすごく大切で、思い出深いものだったかもしれない。だから世界の博物館に収蔵されているアイヌ関連のものの解説文を、私の言葉で上書きするというプロジェクト(*4)をやっている。私が個人的な思い入れを示すことで、アイヌはいまも昔もこれからも生きていて、博物館で見るようなものたちをいまもまだ大事にしている人がいるのだと伝えたい。

 今回の作品では、私の持ち物全部に解説を書いた。誰でも手に入るような、本来キャプションなんか付いていないものだから、一見すごく違和感があると思う。でも例えば、このまま100年経って、この展示が博物館に収蔵されたら、違和感もなくなるでしょう。でも、100年経たなきゃそうならないのはおかしい。過去にならなくても、それぞれのものに価値はあるし、それに関わる人の存在も絶対あるはずだから。それに気づくための装置としてのキャプション。誰の家にもあるかもしれないようなもの一つひとつに、すごく向き合って、見た人が、あ、大事なものなのかなとか、こういう思い出があるのかな、という想像につながることを書こうとしたの。

展示室に置かれた、マユンキキが愛着を持つ持ちものたち。展示品にはそれぞれ、マユンキキとそのものとの個人的な関係を記したキャプションが付されている。画面中央にある複数の熊のぬいぐるみが通称「クママツ」

田村 ただのモノじゃなくて、パーソナルな持ち物だと思える。

マユンキキ 鑑賞者も、誰かの個人的なものであると認識すると、不思議と主語が大きくならないのよね。これまで自分の思っていたイメージが、ちょっと崩れるきっかけになるのかも。自分が思い描いていたアイヌ像は、もしかしたら違ったかもしれないとか。そうやって「アイヌ」とか、集団的な呼称から引き離すことで、大きな枠組みに対しての働きかけになるし、博物館で人がものを見る視点を変えられるのでは、と思って。だからこの部屋の展示はたぶんここだけでは完結できなくて、この先、人が博物館で他の展示品を見たときに、なにか作用するのではと期待している。

クママツたちについてのキャプション。英語表記は自動翻訳による

田村 マユンさんの部屋にある個人的なものと、世界中の博物館にあるアイヌの民具とが対になって、作品として成立する感じがする。だってアイヌだけじゃなくて、先住民の展示品となっているもの、大英博物館とかに入っているようなものって、ほとんどすべて、もとは誰かが手でつくった個人の持ち物で、個人の部屋に置いてあったわけでしょう。そう考えると、鳥肌が立つ。

マユンキキ しかもその持ち主たちは、博物館に飾ってくれと頼んでもいないし、それについて語ってもいない。その人たちが自らの意思で、これをここにぜひ飾ってくださいってお願いして、自分たちがそれに対してどう思っているかを解説に書いているなら、まだいいと思う。選択して置いているから。でも、選択できていないことが問題。

 パスポートを書いてもらって、入るかどうかを選択するとか、ここに土足で入るっていう選択をしてもらうのも同じこと。私は普段生きているなかで、土足で踏みにじられている、と思うことが多い。でも、それを怒りたくない。「土足で入っていいんですか」って聞いてくれたら、「あ、大丈夫ですよ。土足でどうぞ」って言えるし、聞いたほうも、その先自分が土足であることを気にしないでここを踏める。そういうなにか、一個一個の仕掛けみたいなものをたくさん散りばめておいて、あとでどこかのタイミングで、あのときのあれはこういうことだったのかも、みたいになったらいいなと思っている。

田村 自分自身も展示品となって来場者と会話をしているけど、それはやってみてどうだった?

マユンキキ 私がこの場にいると、すぐ集団カウンセリング場みたいになるの。悩みを抱える人たちが集まってきて。でも、それはすごくありがたい。私とまったく違う出自を持った人が作品を見て、自分も同じことを思ったことがあったんですとか、自分がそれに悩んでいたことに気付けました、とか言ってくれる。その人にとっては直接的に同じことじゃないはずなんだけど、私の映像作品を見ることで、自分を振り返る契機になっているなら、すごく尊いと思って。

マユンキキの展示室の風景。自室を模した「セーフスペース」としての空間に、作家にとって大切な様々なものが並ぶ。展示室のベッドの上には、会期中、マユンキキや彼女が信頼する友人らが滞在し、訪れた鑑賞者と言葉を交わす

田村 弱さを出してもいいと思えるのかもね。

マユンキキ うん。あとは、このことで悩んで、解決しようとあがいてもいいんだ、と思えるとかね。本当は何かやらなきゃいけない、向き合わなきゃいけないと思っているようなことでもさ、悩んでいていいって言われるだけで、楽じゃない?

田村 マユンさん自身も、いつも悩んでいるしね。

マユンキキ そう。そんなことでウジウジしないで、と言われるようなことであっても、いや、だって辛いんだもん、もう嫌なんだもん、ってちゃんと言いたいから。言える世界のほうが優しいでしょ。

なぜ表現するのか

田村 美術表現を始める前は、そういう抱えさせられている気持ちはどうしていたの?

マユンキキ 抱えていた。いまよりもっとウジウジしていた。私はもともと美術を見るのがすごく好きで、自分でつくろうなんて一度も思わなかった。印象派が好きで、モネが好きで。これまで何千人という人が、モネの絵を後世に残そうと尽力した結果、私も見ることができるという事実にすごく感動して。だから現代のものよりも、たくさんの人の気持ちが込められて残された古い作品を見るのが好きだったし、そういうものだけ見て生きていたかった。でも、そうはいかないじゃない? 現実って。だから、現代美術もどんどん見ていくようになっちゃって。

田村 困ったね。自分で作品をつくるようになったのは、ブルック・アンドリュー(*5)との出会いがきっかけ?

マユンキキ そうね。「シドニー・ビエンナーレ2018」で片岡真実さん(キュレーター、森美術館館長)がディレクターになったとき、ブルックは参加アーティストの一人で、北海道にアイヌのことをリサーチしに来ていて知り合った。その後にあちこちを回るというから、せっかくだからご案内しますよと言って、冬だったけど、ばあちゃんに形見分けでもらったアミㇷ゚(アイヌの着物)を着て、シヌイェ(アイヌの伝統的な文身・入れ墨)を描いて待ち合わせをした。そうしたらそれを見たブルックが「マジ最高」みたいに言ってくれて意気投合して、旭川や北海道博物館に一緒に行く道中ずっと、ブルックと話したの。真実さんが通訳してくれながら。それで入れ墨を自分で入れている映像の話をしたら、「それを作品の一部として使わせてくれ」となって。そのあとビエンナーレの会期中初めて一人で海外に行って、ブルックの映像作品が流れている前で、1曲歌うというパフォーマンスをやった。まったく英語もわからないなか、よく頑張ったと思うわ。ブルックがずっと助けてくれていた。

 そして、その次のシドニー・ビエンナーレでブルックが芸術監督になったとき、マユンの考えていることは絶対作品になるから、何かつくれって言われた。

第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」(シドニー現代美術館、2020)における、マユンキキと池田宏(写真)《SINUYE: Tattoos for Ainu Women》(2020)の展示風景 Photo by Zan Wimberley(⁑)(*6)

田村 どう思った?

マユンキキ できないよと思った。私、音楽しかやってないし、美術好きだからやりたくないと思って。でも、「どうにかするから。マユンに出てほしいんだよ、僕は。君の考えていることは、ちゃんと表に出すべきだ」みたいに、なかば強引に後押ししてくれて。

 それで結局、私は入れ墨の研究をしていたから、それはちゃんと現代美術の文脈に乗せられるんじゃないかと思って、プロジェクト・コーディネーター​​の細川麻沙美さんに手伝ってもらって、かたちにした。それが2020年。

田村 やってみてどうだった?

マユンキキ 最初は分からなかった。これが作品になり得ているのかも。でもブルックがさ、芸術祭の来場者が絶対誰も見逃さないような場所に展示してくれちゃって。見てくれた人が、すごく素晴らしい作品だったって、たくさん声を掛けてくれて。英語は何を言っているか分からないけど、とにかく褒めてくれていることだけは分かって。それが衝撃だった。

田村 音楽をやっているときは、そういう自分のもやもやしたものとか、悩んでいるものを表現するっていう気持ちではないの?

マユンキキ うん、音楽は楽しいだけで済んじゃうでしょう。もちろん、考えさせるものもたくさんあるけど、とりあえずノリとか好みとかだけで、盛り上がれちゃうじゃない。だからそこでは、私の悩んでいることを表現できなかった。とくに私はアイヌの伝統歌をやっているから、自分で手がけた音じゃないし、個人的な思いは邪魔になるんじゃないかと思って。アイヌを代表することになっちゃうから。

Ikon Gallery(バーミンガム)での個展「SIKNURE–Let me live」(2022)のオープニングで行われたMayunkiki & Surge Orchestraのパフォーマンス風景より Photo by Tegen Kimbley(⁑) Courtesy of Ikon Gallery
Photo by Tegen Kimbley(⁑) Courtesy of Ikon Gallery

田村 音楽はマユンさんにとって、印象派の楽しみ方に近いということだね。いっぽう、現代美術の文脈での表現活動は、2020年のシドニーをきっかけに、いまいろいろ展開していっているでしょう。それは自分ではどうとらえている?

マユンキキ ずっと悩んでいる。作品つくるのは毎回苦しいし、楽しくない。でも、日々嫌なことが起きたときに、よし、これも作品にしてやるぞ、って切り替えることができるようになったから、それは少し楽かな。いままでは、ただずっと抱えていたから。

「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(CAI03、2021)に出品された、マユンキキの父、母、姉、義兄、幼なじみという彼女にとって身近な5人にインタビューした作品《SINRIT シンリッ》。「シンリッ」とはアイヌ語で植物の根や、祖先という意味を持つ。マユンキキと出会う前と後の人生、それぞれとの関係性や、マユンキキに何を望むかなどを質問していくことで、一人の人間像が浮かび上がる 写真提供=マユンキキ(⁑)

田村 シドニーのあと、2021年に札幌で初めて開いた個展(「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」、CAI03​​)では、ご家族との映像作品も制作していたよね。家族との作品は、どういう思いでつくったの?

マユンキキ 美術作品をこれからもつくり続けるかどうか悩んでいたの。家族との作品をつくれたら続けよう、と賭けみたいな気持ちで挑んだ。これからもつくっていくなら、まず自分のことをまるっとさらけだそう、と。ルーツの話は、やっぱり一番重要だから。でも結局、家族や親友に、私という個人についての話をしてもらったところで、アイヌのことって外せないの。私がアイヌやめたいとか、アイヌから抜け出したいとか思ったところで、絡みついてきてしまうということが、映像にはっきり現れていた。

「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(CAI03、2021)の展示風景より 撮影=マユンキキ(⁑)
「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(CAI03、2021)の展示風景より 撮影=マユンキキ(⁑)

みんなで重いものを持つ

田村 アイヌであることから逃れられない、ということが、マユンさんの苦しみのもとでもあるし、作品の原動力にもなっているよね。そうなると、作品をどう見てもらうのがいちばん理想? 女性アーティストの作品を「女性」ありきで評価するな、というように、作品は作品で評価されるべきというのが定説だけど、マユンさんの作品からアイヌを引き剥がして「純粋に作品を評価する」ことは難しいでしょう?

マユンキキ 「アイヌの」って言われることは、しょうがないと思っている。いまは過渡期だし。アイヌの作家ということでしか、選ばれていないだろうと思うことのほうが多いし。でも、それは甘んじて受けるって決めている。甘んじて受けて、でもちゃんと評価される作品をつくる。

田村 きれいごと言わないで、腹割って話してくれたら引き受けるとも言っていたよね。

マユンキキ そう、はっきりと「この展示に一人、先住民入れときたいんっスよ」って言ってくれたらやる。

田村 でも理想は?

マユンキキ 本当は作品つくりたくない。

田村 作品をつくらなくていいのが理想?

マユンキキ そう。作品をつくらなくてよい世界にするために、作品をつくっている。

田村 ということは、アイヌであるってことと関係なくマユンさんの作品を語れる状態になったときには、マユンさんが作品をつくる必要がなくなるということ?

マユンキキ そう。こんなことをわざわざ作品にして主張しなくても、ほかの人に知ってもらわなくても、当たり前になっているといいなと思うから。私の作品が、50年後に誰かに見られたときに、「ああ、この時代はこんなことわざわざ言わなきゃいけなかったんだね」と思われる世界になっていてほしい。例えば、誰でも話す言語をいつでも選択できる、というのが当たり前になっていたら、わざわざサジさんやかのこと映像であんな話をしなくていいでしょう。本当なら自分の第一言語はこの言語だったはずなのに……みたいに感じることの苦しさを多くの人が分かっていれば、たぶん私もサジさんもこんなに悩まなくていいはず。でも、いま作品をつくることで、この時代はこんなふうに見せなきゃいけなかったんだ、まだ理解がなかったんだ、という証拠にはなると思っている。

《Itak=as イタカㇱ》(2024)より、映像「言葉をめぐる対話 かのこと」の展示風景。マユンキキと、彼女の英語通訳兼コラボレーターとして活動する田村かのこが、英語という覇権的言語を意図的に選択/非選択することの意義や、「通訳」という立場で現場に関わりながら、自身の当事者性に向き合うことについて語り合う

田村 主にマジョリティの側、悩まなくていい側の人たちが、もっと知っていてくれたらっていうことだね。

マユンキキ そう。いつも言うけど、多様性って、それまで3割の人が超重いものを持っていて、7割の人が持たずにいられたものを、7割の人にも渡して、全員でちょっと重いものを持つみたいなことでしょう。たぶん全員がちょっとモヤっとした気持ちになることでしか、多様性は得られない。みんながハッピーとかないの。

 これまで気づかずに過ごせていた人たちが、私とかサジの話を聞いて、いままで自分は知らないで済んでいたからその分持つよ、みたいに重たいものを一個でも持ってくれれば、少し軽くなる。作品を一個つくると、ちょっと軽くなる。でも、作品をつくらなきゃいけない状態である限りは、ずっと重い。

田村 そういうことに気づいてもらうために美術作品をつくることは、アクティヴィズムや提唱活動とはどう違うの?

マユンキキ 私は運が良くて、発表の機会を与えてもらえているから。与えられている限りは、美術でやってもいいんじゃないかと思っている。これまで本当に、アクティヴィズム的なことってやりたくないと思っていたけど、主張しないとか、抵抗しないのは、もう無理なの。よく美術とか音楽に政治性や主張を持ち込むな、みたいに言われるけど、そんなこと言うのは日本だけ。とくに先住民の作家なんかさ、もうそれでしかない。自分たちが抱えさせられてきたものに対する抵抗を、作品で示している。それは当たり前なのに、私はそれが当たり前じゃない国で育って、その国の言語を話しているから、もうちょっと人々が主張するために、音楽も美術もあっていいのだと言いたい。

*1──メルボルン郊外のフッツクレイにあるアートセンター(1974年設立)。先住民、障害のある人、LGBTIQA+​​、文化的・言語的に多様な背景を持つ人など、すべてのコミュニティの人々の、文化の創造者としての価値が認められることをヴィジョンに活動する。「ファーストネーション・ファースト」というポリシーを掲げ、先住民のアドバイザリー・グループを設けるなどの取り組みも行う。マユンキキと田村は、公益財団法人セゾン文化財団の交流事業として、2023年と2024年の2度にわたって同施設を視察。現在も交流を続けている。
*2──Dumawul and the Djaara Corporationシニアクリエイティブ戦略プロデューサー。先住民族ワジュク・ヌンガー​​と、アイルランド系およびスウェーデン系​​の複数のルーツを持つ。フェスティバル、サーカス、演劇、音楽、パブリック・アート​​などのプロデューサーとして30年以上に渡り活動し、2019年にフッツクレイ・コミュニティ・アーツに着任。2024年4月の退任まで同施設で先住民文化プログラムを手がけた。ダン・ミッチェルに関しては、田村による以下のインタビューも参照されたい。「ダン・ミッチェル 先住民や移民のコミュニティとの対話を促進する フッツクレイ・コミュニティ・アーツ」Performing Arts Network Japan​​、2023年3月9日​​(​https://performingarts.jpf.go.jp/article/6856/​​)
*3──フッツクレイで2010年から開催されている先住民主導のイベント「Wominjeka Festival」で、非先住民のゲストや観客に配布されるパスポート。「あなたがいま住んでいる土地のアボリジナルの人々に、何が起きたのかを知っていますか?」「今年の1月26日に行われる侵略の日の行進に、昨年よりも5人多く友人や家族を連れて来られると思いますか?」などの質問が並び、その下にサイン欄がある(1月26日は、イギリスから到着した第一船団[ファースト・フリート]が1788年1月26日​​に入植を開始したことにちなむ国民の祝日[オーストラリア・デイ]だが、先住民からすればオーストラリア大陸への侵略と先住民への迫害が始まった「侵略の日」[Invasion Day]であり、近年、祝日の日付の変更を求めるなどの抗議運動が広がっている)。
*4──マユンキキがライフワークとして継続的に行うプロジェクト。世界の博物館に収蔵されているアイヌの民具や着物などと、それに付随する解説文をリサーチ。展示の際には、博物館から借りてきた収蔵品と、マユンキキや彼女に近しい人が作ったもの、もしくは普段から使っている同じもの(博物館にある作者不明の着物と、マユンキキが祖母から形見分けでもらった着物など)を並べて展示し、博物館にもとからある解説文と、マユンキキ自身がそのものに寄せる個人的な思いやエピソードを書いた新たな解説文を並べて提示する。
*5──アーティスト。1970年シドニー(オーストラリア)生まれ。現在はメルボルンを拠点に活動。先住民族であるウィラドゥリとナンナウォル(「ン」は小さい「ン」)、およびケルト​​のルーツを持つ母と、ケルトとユダヤのルーツを持つ父のもとに育つ。個人のアーティストとして支配的な文化や歴史観に対抗する作品を制作するほか、先住民主導のシンクタンク 「Powerhouse-galang」や、「保護」「 継続的な敬意」「癒し」を焦点に先住民的方法論の研究や実践をサポートするコレクティブ「BLAK C.O.R.E.」​​など、​​先住民のための場づくりも精力的に行う。芸術監督を務めた2020年の第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」で、マユンキキにアーティストとしての参加を依頼。アート分野での活動への道を開き、その後も交流を続けるなど、マユンキキのメンター的な存在でもある。主な個展に「Brook Andrew: The Right to Offend is Sacred」(ビクトリア国立美術館、2017)、国際展への参加に「シャルジャ・ビエンナーレ15」(2023)、「第60回ヴェネチア・ビエンナーレ」(2024)など。2023年にAudain Prize for the Visual Artsを受賞。ブルック・アンドリューについては、『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)での田村かのこによる作家解説も参照されたい。
*6──写真クレジット=Mayunkiki with photography by Hiroshi Ikeda, SINUYE: Tattoos for Ainu Women, 2020. Installation view for the 22nd Biennale of Sydney (2020), Museum of Contemporary Art Australia. Commissioned by the Biennale of Sydney with generous support from Open Society Foundations, and assistance from NIRIN 500 patrons. Courtesy the artist. Photograph: Zan Wimberley.

「マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(後編)」はこちら。