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まちの語りに耳をすます「ドキュメンタリーアクティング」。筒 | tsu-tsuインタビュー

十和田市現代美術館 サテライト会場「space」で、9月3日まで筒 | tsu-tsu による個展「地上」が開催されている。今回の展示で十和田市に滞在し、まちに暮らす人を取材して演じる過程を公開している筒に、表現手法である「ドキュメンタリーアクティング」とその可能性について聞いた。

聞き手・文=望月花妃(ウェブ版「美術手帖」編集部)

サテライト会場「space」にて、アクリプトを設置する筒 | tsu-tsu撮影=板倉勇人 Itakura Hayato

──まず、表現手法の「ドキュメンタリーアクティング」について教えてください。

 実在の人物を取材し、演じるというプロセスを公開しています。最終的に出来上がるパフォーマンス単体が作品というわけではなく、相手と出会って、関係性を結び、インタビューをして、「アクリプト(acript)」と呼ぶ演技のための地図をつくる。それを相手に見せて「こんな言い方しないよ」とか「いや、ネクタイのつけ方はこうだ」と言われたりしながら、だんだんとその人が自分の身体に書き刻まれていく、その一連の過程を「ドキュメンタリーアクティング」と名付けました。

──ドキュメンタリーアクターとしての名前である「筒」にも、意味が込めれていると伺いました。

 私は小さい頃から日本舞踊を習っていました。神社で神楽を奉納する際に、超越的ななにかの通り道になることが目指され、フロー状態みたいな話かもしれませんが、実際にそのような身体感覚を覚えました。以来、人間誰しもが筒であり、そこに言葉や偏見が詰まって人格ができていくと考えるようになりました。 

 その頃に始めた演技も、自分のパーソナリティを抜いて他者のパーソナリティを入れていく行為ととらえています。演じようとしてみても、なれる部分となれない部分があって、なれない部分は26年間培ってきた自分自身だと認識しています。そして、あらゆる人に共通する、人格の容れ物としての「筒」を浮き彫りにする遠心分離器のような装置として「ドキュメンタリーアクティング」に取り組むようになりました。

撮影=板倉勇人 Itakura Hayato

「日課」による展示はいかにして生まれたのか

──今回の展示は、どのような経緯で実現したのでしょうか。

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