「光の美術館」で見せる中間発表
──今回の個展「EXPERIMENT」は、清春芸術村の安藤忠雄が設計した「光の美術館」が舞台です。この、コンクリートが打ち放たれた特殊な環境で展示を行うためにどのようなことを考えましたか?
「光の美術館」は内部に照明がなく、その名のとおり採光は外光のみの特殊な環境となります。そのため、朝から夜までつねに館内の光が変化し続ける空間になっています。
まさにこの環境を活かした作品が《Teleffectence》ですね。これは、長坂コミュニティセンターと美術館をオンラインで接続して相互関係を構築した作品で、こちら側のディスプレイをカメラで撮影し、撮影した映像をさらにディスプレイに表示して、ということを繰り返して無限に広がる空間をつくっています。美術館の時間によって変化する光の様子をリアルタイムに、まったく異なる環境である長坂コミュニティセンターへ伝える、という点では環境を活かした作品と言えるのではないでしょうか。
──いっぽうで展示スペースが広くはないので、これまで真鍋さんが主宰するライゾマティクスが行ってきたような、大型のモニターやプロジェクションを使用したインタラクティブな展示をすることは難しい環境でもありますよね。
今回の展覧会は自分がこれまで研究してきたことの中間発表的な位置づけです。体験をしてもらうというよりは、シミュレーションそのものを見てもらって未来の技術や表現を感じてもらうとともに、自分の今後の作品につなげていきたい、というのが狙いです。
たしかに、ライゾマティクスの展示は大がかりなシアターやステージパフォーマンスが多く装置を使ったものが多いですが、今回は平面の映像という制約のなかでやってみたいというところもあったかもしれません。ライゾマティクスのチームとしての仕事と、真鍋大度個人としての仕事は、自分のなかでは線引きがあるので、今回は後者ということですね。自分が興味があることや実験してきたことを、どこかで作品のかたちで発表したかったんです。
AIの流行のその先を見据えて
──マウスの脳細胞に刺激を与えてイメージをつくりだすという作品《Cells:A Generation》は、生体細胞を利用してアートをつくるという試みです。昨今よく話題にあがる人工知能(AI)のさらにその先を見据えた作品にも感じられて、衝撃的でした。
《Cells:A Generation》はシャーレで培養したマウスの脳細胞に刺激を与え、そこに学習システムを組み合わせることでイメージをつくりだした作品です。最近は色々な場所でAIによるアートを見かけるようになりましたし、その活用についても議論されています。ただ「AIに何をさせるのか」とか「AIにどういった命令をしたらより良い答えが出てくるか」とか、フロントのエンジニアリングの部分ではすごく盛り上がっていますが、僕はそもそもの「人間とは何か」「生命とは何か」みたいな根本的な問いに興味があるんですよね。だから、AIの次に何が来るのか、というのが個人的なテーマになっています。
本作に協力してもらった京都大学の神谷之康研究室では、共感覚を人工的につくるということを研究しています。すべて脳の中で完結している人間のイメージを外に出してみたいんです。そういった本質的に人間を知るために、技術を使いたいと思うんですね。こうした研究が進めば、「この音はこういった共感覚を生むので、このようなビジュアルにしよう」というように、表現も変わっていく可能性があります。
──マウスの脳細胞に刺激を与えてイメージを発出させるという発想には、倫理的な問いかけも感じました。
生体細胞を使うときの、いちばん難しい部分でもありますよね。もっと過激なことをやろうと思えばできます。倫理の部分にフォーカスしてコンセプトをつくっていったり、それによって発生するハザードを想起させたり、といった作品の制作方法ももちろんあると思うのですが、僕はどちらかというとエンジニアリングに興味がある。
学習速度の効率化など、まだまだできることがありますし、シャーレ上の細胞がもう少し複雑なタスクをこなすことができる可能性もある。例えば障害物を避けたり、自動運転を行ったり。あと、iPS細胞を使って自分の脳細胞を培養してみたい。
おっしゃるように、ここから先は本当に倫理の問題になってきますよね。新しい技術を使うときにはリスクももちろんあるのですが、その点でも研究者と組むことが大事だと思っています。専門の研究者と組んでいる以上、たんに自分がやりたいというだけで何でもできるわけではありませんから。
──ライゾマティクスは、人をはじめとした動きをコンピューターで解析し、音楽のライブパフォーマンスやエンターテイメントと組み合わせる表現で広く知られるようになりました。しかし、現在は同様の表現を多くの後発の企業や作家が手がけ、様々なかたちで広がりを見せています。本展を見ると、ライゾマティクス、あるいは真鍋さん自身はもう少し違う表現のステージに進もうとしているようにも感じました。
ライゾマティクスの初期の活動は、コンピュータで人の動きを解析しそれを描画するということをメインでやっていましたよね。当時は解析の方がメインで、描画についてはいまほどリッチなことはできなかった。でもいまは技術の進歩や研究の進展、経験の蓄積によって解析そのものの難易度は下がっているし、それをいかに面白く、美しく描画するのかということがみんなの課題になっていると思います。
ただ、僕としてはそこで勝負し続けるのもちょっと違う気がしていて。アルゴリズムには興味があるけど、アウトプットとしてどういう絵をつくるのか、ということに僕はそこまで興味がなかったりします。もちろん、レンダリングとかライティングとかはやりますけど、本当の興味は人間の探求など、もっとプリミティブなところにあります。