──昨年は1年間、次期芸術監督を務め、この4月に正式に芸術監督になりました。少し変わったプロセスですよね。
僕自身が芸術監督という立ち位置のことをよくわかっておらず、これまで創作活動をしてきたなかでも会社などの組織に属したことがなかったので、まずは埼玉県芸術文化振興財団という組織の人たちと一緒に仕事を始めるうえで、「はじめまして」という期間を設ける意味で1年間「次期」を名乗りました。
──2006年にコンドルズとして初めて彩の国さいたま芸術劇場で公演を行なって以来、近藤さんと劇場の付き合いは長いですよね。
舞踊部門のプロデューサーだった佐藤まいみさんにお声がけいただいて関係が始まったのですが、ネザーランド・ダンス・シアターやピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団など、海外のダンスカンパニーが公演を行う劇場というイメージがあったんで、「コンドルズがここでやってもいいんだ」というのが、恥ずかしながらラッキーみたいな感覚があったんですね。実際に最初の公演が終わって、劇場の人たちが楽屋で寿司を振る舞ってくれて、「ここを君たちのホームだと思って」と言ってくださったのはものすごく嬉しかったですね。
──それから毎年公演を行うようになっていったのですね。
5〜6年目くらいで、やっと積み重なってきた感じがしました。埼玉在住のお客さんも増えていきましたし、コンドルズの埼玉公演が面白いらしいぞ、みたいな感じで他の地域からもリピートしてくれる方が多くなりました。
──当時は芸術監督になるなんて想像もしていなかったですか。
まさかですよね(笑)。僕が歩く道の先には当時の芸術監督だった蜷川幸雄さんがいて、埼玉で上演するときの蜷川さんは、他でやるときよりもドンと構えている印象がありましたね。ここで創っていくぞ、という拠点になっていたと思うんです。ここに来るといつでも蜷川さんの存在を感じていました。だからこの劇場で高齢者を対象にしたさいたまゴールド・シアターを始めたり、若手のさいたまネクスト・シアターもやったり、そういう前例がないことを継続できたのは、蜷川さんが旗を振って、劇場がパワーを使ってきたからだと思うんです。そこは引き継いでいきたいですね。
──近藤さんが新しく始めたいこともありますか。
僕がいまフワッと劇場に現れて、急に「やるのだ!」といって何か始めようとしても、そんなに簡単なことではないですよね。ゴールド・シアターやネクスト・シアターの実績がありますし、僕もこれまで子供を相手にワークショップをやってきた経験もあるので、そういう年齢のくくりを取り払ったところで世代を超えてみんなが関わり合えるようなプロジェクトをできたらいいなとは思いますね。ただ、劇場がこの秋から改修のために休館に入るので、2024年春のリニューアルオープンに照準を合わせて考えていこうと思っています。
──休館期間中にはどのような活動をされるのですか。
「埼玉回遊」というプロジェクトを考えていて、(同じく財団が運営する)埼玉会館を拠点として、県内の色々なところに足を運んで地元との交流をしていこうと思っています。アウトリーチ的な活動が増えるイメージですね。
──芸術監督就任に際して、「クロッシング」というテーマを挙げられていました。地元に加えて他地域とも交流をしたり、異ジャンルの掛け合わせをしたり、コンドルズでもダンスに楽器の演奏や寸劇、影絵など色々な要素を取り入れてきた近藤さんらしいキーワードだと感じました。
これまでにコンドルズ以外でも、ピアニストの演奏に合わせて踊ったり色々やってきましたが、じつはダンスにも細かくジャンル分けがあるんですよね。もし僕がバレエ作品に出るとなったら、バレエを知っている人からしたら異ジャンルだと思われると思うんですが、一般の人からしたらダンスをやってる近藤さんがバレエに出る、くらいのものですよね。そのギャップに違和感を感じていて、そんなに自分をジャンルで囲う必要ってないと思ってるんです。僕も若い頃は挑むような感じというか、「あの人たちは別のところの人ですね」のような対抗意識みたいなものもありましたが、そうではなく、ジャンルに関係なく色々な人が行き交って、一緒に発信できたらいいなという理想はあります。
──15年以上前に、近藤さんが金森穣さん率いるNoismに演出振付された公演を見たのですが、そのときもNoismの新たな側面を引き出されていて、クロッシングを感じました。
当時はまだ若かったので、僕の中で「Noismに対抗」みたいな感覚は少しありました(笑)。ただ、Noismのダンサーたちに、彼らの世界だけではなく、僕が知ってるような世界にも面白いことがいっぱいあるんだよ、というのは伝えたいと思いました。よそから来た人と交わることで、「こういうやり方もありなんだ」とわかることもありますよね。そういう広がりが出るのはいいなと当時から思っていました。
──彩の国さいたま芸術劇場で毎年新作を発表されてきて、この劇場だからできたことはありますか。
コンドルズの作品のつくり方は、とにかく色々なアイディアをたくさん出して、ネタを広げるんです。それを作品にするためには、整頓して、作品として見せるために整えていくわけですが、ここには広い稽古場があって快適に準備ができて、舞台技術のスタッフたちがいて、劇場のシステムが働いているわけです。そうすると、僕たちが色々と出して散らかしたものが、ちゃんと整理できたときにはアートになるんですよ。それは僕たちだけでできるわけではなく、人に絵を見せるときに額縁が必要なように、舞台をつくるのは色々な人が関わる立体的なことなんだなと、この劇場で公演を続けてきて気付きましたね。
──ライブハウスを借りてライブをするのと、ホールに呼ばれてライブをすることの違いのようなものですね。
ただの学芸会とは呼ばせないぞ、ってね(笑)。照明が当たって、ダンサーたちの動きが合わさって、そうすると劇場のアートになって心を動かすものになるんです。劇場の持つ力があって、スタッフたちの技術があって、すごいと思いますね。
──芸術監督になって第一弾の企画として、ジャンル・クロス I 近藤良平 with 長塚圭史『新世界』という新作を発表されます。劇作家で演出家の長塚圭史さんを迎えるほか、現代サーカスのアーティストやミュージシャンなども参加されますね。
長塚圭史のことはずいぶん前から知っているし、異ジャンルといえるかどうかはわからないけれど、ひとつ大きく違う部分があるんですね。僕は身体から発信する発想があり、身体の役割のようなものが表現につきまとってくるんだけど、圭史の場合は、それが言葉なんです。彼は劇作家で、劇作家の苦悩が僕には全然わからないけれど、圭史にとってその孤独な苦悩がたまらないらしく、そういうのが組み合わさると面白いと思うんですよ。
──頭と身体が結びつくようなイメージですね。
もし「革命」という言葉があったとしたら、劇作家の彼はそこから原稿用紙に何枚も書けるわけで、僕は革命を身体で表現できると思うんですね。そういう違う角度から色々試せれば、新しいものが生まれるきっかけになりますよね。
──そのタイトルが『新世界』。色々と想像させる言葉です。
色々な意味合いがあって、僕が芸術監督として拓いていく「新世界」という側面もあるし、コロナ禍が続くなかでは「新世界」を願うし、コロナ以前に戻った世界が「新世界」でもいいんだけど。どのようにもとらえられる言葉ですよね。シェイクスピアの『テンペスト』の終わりの方に、「素晴らしい新世界」という台詞があって、そこから引用したんですが、『テンペスト』にはその台詞に出てくる新世界は描かれていないので、それを描けないかと思っています。
──『新世界』が終わると、間もなく恒例のコンドルズの新作公演ですね。ジョン・レノンの曲名からとった『Starting Over』には、芸術監督になり始動する決意表明のようなものが感じられます。
芸術監督になったからといって変わることはあまりないですけど、コンドルズの持っている強度みたいなものがあって、長年かけて築き上げた集団としての蓄積を見せられればいいですね。コンドルズのメンバー全員が「さあやるか」という感じになっているので、そういう風に気持ちが高まっているときにはいいものが生まれますよ。ここまでメンバーの年齢が上がり、でも堂々と、飄々と舞台に立てるなんて驚きですよね。
──『Starting Over』というタイトルには『新世界』とクロスするイメージもありますよね。
新しく何かを始めるイメージを持てると、つくりがいがありますよね。コロナ禍だし、戦争が起こっているし、そこに直接メッセージを込めるわけではないですけど、コンドルズではまた散らかし放題やるでしょうし、そこから何か新しいものが生まれるかもしれません。
──コンドルズの作品もそうではない作品も含め、色々な方と創作するうえで、大事にしていることは何ですか。
作品によってつくり方は色々ですが、イメージの共有が大事なのかな。イメージが共有できていれば、小さなタネもいろんな転がし方を試し、展開できますよね。だからイメージの共有は心がけていますね。
──「公演が成功した」というときには、どういうイメージを思い浮かべますか。
どんな舞台でもそうですけど、75分とか90分の公演があったとして、モソモソした気分で劇場に来ますよね。席に着き、幕が開いたら舞台上の光や動きや音を浴びて、喜怒哀楽が色々あって、ザワザワもするしドキドキもするし、シクシクするかもしれない。そして75分か90分後には、なんか幸せだなって気分になり、生きる希望を持つようになれたらいいな、というイメージはあります。たまたま劇場に居合わせた人たちと、そういうものを共有するというか、それぞれが感じて、それぞれが楽しい帰り道になる、みたいなのがいいですね。
──では、舞台に携わっていて好きな瞬間や、これがあるから止められない、といえる要素などはありますか。
結局、稽古場でつくっている時間が楽しいんですよ。稽古場に通う。そういう風に通う場所があって、そこで稽古して何かをつくれる。本番は必死だし、忙しいからよくわからないまま過ぎていきますが、稽古場に通い、いろんな人に会い、共感したりするルーティンが好きなんですね。
──最後に、劇場がどのように機能することが近藤さんにとって理想ですか。
ありきたりかもしれないけれど、サンクチュアリっていうのが正しいのかな。ここにふらっと寄りたくなったり、ちょっと入ってみようかと思って入るとワクワクがいっぱいあって、思索モードになったり、憧れの人に会えたり、自分も表現したいと思ったり、そういうことが安心してできて、それが蓄積されている場所が劇場だと思うんですよ。彩の国さいたま芸術劇場が、そういう場所になることを目指したいですね。