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2020.12.20

過去との対話から時を超える「絵画」を生み出す。ミヒャエル・ボレマンスインタビュー

美術史上に名を残す多くの作家を輩出してきたベルギーを拠点とし、独特の想像力を携えた絵画作品で知られるミヒャエル・ボレマンス。金沢21世紀美術館でのマーク・マンダースとの二人展に際して、企画を担当したキュレーターが話を聞いた。

文=黒澤浩美(金沢21世紀美術館チーフ・キュレーター)

ミヒャエル・ボレマンス Photo by Alex Salinas 写真提供=金沢21世紀美術館
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絵画という過去との対話

 ミヒャエル・ボレマンスは1963年、ベルギーのゲラールスベルゲンに生まれた。ベルギーとフランス北部を含むフランドル地方は15〜16世紀の北方ルネサンス発祥の地でもあり、デューイ、ブリューゲル、ファン・エイクといった多くの芸術家が生まれている。とくに絵画においては、非現実的な設定や奇想のイメージが見る者に不穏で落ち着かない感覚を抱かせる、特徴的な作風がある。ボレマンスもまた、そうした伝統を引き継ぐ現代美術作家のひとりだ。

 ボレマンスは幼少の頃から絵を描くことが好きで、6歳の頃には、描くことは自分のものだと悟ったという。複製画を画集で眺めることも好きだった。敬虔なカトリック教徒の両親のもと、毎週欠かさずミサに通った教会にも、宗教画や使徒が描かれたステンドグラスがあったが、どのイメージも子供心に怖かったと回想する。「当時、教会は自分の世界の一部だった。そこは宗教画、とくにフランドルの中世の絵画の伝統であるゴシックの美学にあふれ、しばしば待ち伏せられているかのように残酷な場面に出会う。その圧倒的なイメージの数々は、確かに私の潜在意識に影響を与えたと思う。10歳頃になると、いよいよここ(教会)から逃げなくちゃと、本気で思うようになった」と苦笑する。そのいっぽうで、宗教画や聖人像における視覚言語は魅惑的で、強く惹かれたと言う。いまでも祭服のようなローブをまとった人物像を描き、「天使」「クロス」といった作品タイトル、うつむいた少女が口に運ぶ「パン」など、作品の多くには宗教的なキーワードが散りばめられている。

 青年期には美術学校に入学して絵を学ぼうとしたが、絵具を使うのは複雑すぎると思い、製図とエッチングを選んだ。フラゴナールの画集で素描を学び、その後、ディエゴ・ベラスケスのほうが自分の表現に合っていると発見した。本格的に絵画制作に移行したのは30代に入ってからだ。

 学生時代に学んだ美術史で、それまで慣れ親しんでいた中世の作品とは違う、革命的とも言えるマルセル・デュシャン以後の価値の転換を知った。19〜20世紀の美術が、ある意味で教会美術や伝統からボレマンスを自由にしたのだ。しかし、前衛的と言われたデュシャンが絵画を手放したいっぽう、ボレマンスはなぜ絵画というメディアを選んだのだろうか。写真や映画など、様々な可能性が広がった時代に学び、いまでも絵画以外に素描、映像、彫刻などの作品も発表しているため、メディアの選択と意味付けについてよく質問を受けると言う。しかし、「メディアについての議論は相変わらずあるけれど、私の意見では、メディアはたんなるメディアでしかない。すべてのものがデジタル化していく現代にあって、メディアとしてのデジタルに意味を見出すなど、少しばかげている。自分が表現したいものに合ったメディアを使用するだけ。それはとてもシンプルな話でしょう?」と答える。

 メディアとしての絵画とその有効性には疑問があると言われるが、「絵画はとても魅力的だ。何よりも絵画には長く豊かな歴史があり、その形態をとることで、過去とのなんらかの対話のなかにいられるから。私たちはすべて過去の結果だ。私の芸術の実践も同じで、最初からまったく新しい言葉をつくることはできない。芸術にかぎらずどんなときでも、私たちは過去の先にいる」と話す。

ミヒャエル・ボレマンス 天使 2013 Photo by Peter Cox Courtesy of Zeno X Gallery, Antwerp

オブジェクトとして人を描く

 もっとも影響を受けた作家は間違いなくジャン・シメオン・シャルダン(フランス、1699〜1779)、とくに静物画か、カードプレイヤーを描いた作品だと言う。18世紀のロココ時代の絵画は、ルイ14世の治世の荘厳さや威圧感から離れた、繊細で親しみやすく、理想の美が描かれた優美な作風が特徴である。ブーシェやフラゴナールに代表される、紅潮した頬と丸みを帯びた体型の天使が飛び交う華やかな宗教画や、神話などが描かれるべきものとされた。ロココ様式は宮廷が実権を失うフランス革命まで続いたが、そのなかにあってシャルダンは、庶民の日常を題材とした風俗画や静物画など、当時の絵画のテーマとしてはヒエラルキーの低い題材を実直に描いた異彩の画家だ。ボレマンスは、シャルダンが描いたバスケットのイチゴには18世紀全体が反映されていて、それは彼の資質によるものと評する。

 「作品を見るかぎり、彼は私と違って忍耐強く静かな男だったろう。でなければ、こんなふうには描けないし、私の性分ではできないことだ。しかし、シャルダンは風変わりな画家だと思わないか?姿勢というか、態度というか。自画像はスカーフを頭に巻いて赤いリボン付きの帽子をかぶって老婦人のようだし、イーゼルと猿の絵は自画像だろう?」。

 しかし、技法以上にシャルダンから影響を受けたのは、情報がほとんど含まれていない絵画を制作したことだ。伝えるのではなく、見る側がそこに何かを投影する。つまり、絵画で何かを物語るのではなく、描かれた絵画それ自体の存在に意味を見出す作品であるということだ。ボレマンスの作品もまた、構図はシンプルで、複雑さや混乱とは無縁だ。そして作品が何を語っているかを探るには、手掛かりが少なすぎる。タイトルも画のなかの何かを直接的に示唆しないばかりか、「ジャック」や「エミリー」といった名前の由来さえわからない。結局のところ、その人が知っている以上のものは見えないのだから、過去の人生経験が、あなたにその絵をそのように見せているだけだと言わんばかりだ。ボレマンスは、描かれたイメージが人々にどのように受け止められるのか、イメージに期待される意味を裏切ったり剥ぎ取ったりすればどのような不満を向けられるのか、人々はイメージをどのように利用するのか、そしてイメージの限界は何か、ということに強い関心を寄せる。

 「私は、人物をオブジェクトとして描きたい。あるいはレンダリングしていると言ってもいい。画中の人物が鑑賞者を見ていれば、その人物はたちまち特定の誰かになって、その作品は肖像画になる。しかし私は肖像画を描かない。私は人間の姿を、より一般的な要素を集めることで描きたいのだ」。

「ダブル・サイレンス」展展示風景より、左からマーク・マンダース《椅子の上の乾いた像》(2011-15、東京都現代美術館蔵)、
ミヒャエル・ボレマンス《オートマトⅠ》(2008) 撮影=木奥惠三 画像提供=金沢21世紀美術館

 そういった人間の描き方を考えるうえでは、15歳のときに、ゲントで見たフランシスコ・デ・ゴヤの展覧会も印象的だったと言う。ゴヤは、ボレマンスが絵画技術の師と仰ぐベラスケスとともに、スペイン美術の双璧をなす。不安定なスペインの内政や、ゴヤ自身が病に苦しんでいたことから、作品の多くは暗く、死と隣り合わせの人間の暗部が描かれている。ボレマンスは優れた観察力と高い批評性に強く影響を受け、生涯、現実に目を背けることなく、技巧においても挑戦し続けた画家としての姿勢にも惹かれると言う。例えばゴヤの絶筆と言われる《ミルク売りの少女》(1825〜27頃)には、陽光に包まれた少女が画面全体を使って描かれているが、わずかな要素も見逃さずにとらえると、ロバの背に揺られている画となって立ち現れてくる。画家は、いつの・どこの・誰のイメージであるかを超えて、鑑賞者が描かれた少女に何を見出すかを期待しているのだ。ここにボレマンスの作品との共通点を見出すことができる。

 「私が描くときには、現実をミラーリングする要素を最小限に抑えている。そうすると絵によりパワーを持たせ、もっと注意を向けさせることができる。またそのほうがもっと普遍的で、時の試練に耐えられる作品になると思う。要素を減らすことで、強力で緊張したイメージを制作したいと考えている」。

相互作用の実験

 開催中の「ダブル・サイレンス」展は、同じベルギーを拠点とするマーク・マンダースとの、美術館では世界初となる二人展だ。

 「この二人展は興味深い実験に思えた。だから引き受けた。もちろんリスクもあったが、回避すべきでないと考えたんだ。可能であれば実験すべきだと」。

 展示空間をともに構成したが、マンダースのボリュームのある彫刻作品を展示するには、物理的な空間の確保が最重要事項である。しかも、特定の展示室でなければ展示できない作品もあった。

 「だからマークを優先させて、私はできるだけ柔軟な姿勢でいようと考えた。彼は立体やインスタレーションの展示に長けていて、私は彼の仕事を賞賛し信頼していたから、ほとんどのことには同意できた。作品との組み合わせについての話し合いも、そう長くはかからなかった」。

 展示風景より、ミヒャエル・ボレマンス《貸し付け》(2011)。奥はマーク・マンダース《4つの黄色い縦のコンポジション》(2017–19)

 本展で、両者それぞれに挑戦があったことは確かである。マンダースのスタディを貫く「建物としてのセルフ・ポートレイト」は、通常、展覧会全体を通底する力強いコンセプトとして全体を覆っているが、今回初めてボレマンスとのコラボレーションにより、「セルフ・ポートレイト」の一部に風穴を開けた。作品同士の「相性」という面では申し分ないいっぽう、マンダースの「セルフ・ポートレイト」を変容させずに共鳴させることが求められたわけだ。

 「(コロナ禍のため来日が叶わず)実際に展示室で見てみるまでは断言できないが、これが非常に豊かな展覧会であることはわかる。作品同士や空間との対話によって、なんらかの相互作用が起こっていると感じる。私の作品が別のアーティストの別のインスタレーションに関与するのは、通常は非常に難しいことだが、今回は面白そうだと思えた」。

 2人の作品はどれも、何かによって補完される必要がない、パーフェクトな完成品だ。しかしいまでは、まるで魔法にかかったように、どちらかがないことが想像できないほど空間で溶け合っている。現代の分析癖をもってしても、両者の作品のあいだで具体的に何が起きているかについて説明づけられるとは思えないが、抽象的だが確かなことだ。

ミヒャエル・ボレマンス カラーコーンII 2020 Courtesy of Zeno X Gallery, Antwerp 撮影=木奥惠三 画像提供=金沢21世紀美術館

 ボレマンスは、世界が一斉に沈黙した現在の状況について、「いま私たちの時代に起こっていることは、もちろん奇妙なことであり、間違いなく私の絵に影響を与えていると思う。ただ、私はつねにそれを意識しているわけではなく、5年後や10年後に、それがなんであったかという証拠を、作品を通じて見るだけだろう」と言う。最新作の「カラーコーン」のシリーズは、スタジオに置いてあった生地のサンプルの色味を見ようと、円錐形にして並べたところ「絵のように美しい被写体」だと思い、家族の肖像画のように配置した。およそ30色の色見本から彼が好みで選んだ5色はすべからくエレガントで、生地の皺や向きによって、抽象的で無機質な造形に人間的な性格を与えたように見える。

 「いまは実際にモデルをスタジオに呼ぶことはできないから、コーンが私のモデルだよ。だんだんとキャラクターが見えてきた。ひとつは教皇だ。でも鑑賞者にどう見られるかは、また別の話だ」。

 ボレマンスの絵画は、見る人に無意識的な交流ゲームのように作用する。イメージに接点を見つけることは難しいが、見る主体の「私」を投影することで見えてくるものがあるはずだ。(『美術手帖』2020年12月号「ARTIST PICK UP」より)