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映画の衣装デザインの真髄。アカデミー賞受賞作『ファントム・スレッド』を衣装デザイナーが語る

優れた映画の衣装デザインは、画面を華やかに彩るだけでなく、ときに登場人物の心の機微を代弁し、物語の核心を駆動させる。本年度アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した『ファントム・スレッド』は、まさにそんな雄弁で魅力的な衣装が次々と登場する、豪華で甘美な作品だ。ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作であり、オートクチュールのデザイナーとそのミューズの愛と駆け引きを描いた本作について、衣装デザインを手掛けたマーク・ブリッジズに聞いた。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

 『ブギーナイツ』(1997)、『マグノリア』(1999)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)などで知られるポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作『ファントム・スレッド』が、5月26日より全国で公開される。タッグを組むのは名優ダニエル・デイ=ルイスで、彼が本作で俳優業引退を表明していることでも大きな話題を集めている。デイ=ルイスが演じるのは、「レイノルズ・ウッドコック」という架空のオートクチュールの仕立て屋。1950年代のイギリスを舞台に、ファッション界の中心に君臨するレイノルズが、素朴なウェイトレスであるアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会い、彼女を自分のドレスづくりのミューズにするところから物語は始まる。仕立て屋とモデルの関係を超え、愛を加速させていくふたり。しかし一見ロマンティックなシンデレラ・ストーリーのようでありながら、ふたりの関係はいびつな支配/被支配のバランスの上に成り立っていて、その心理戦はやがて背筋がゾッとするホラーさながらの展開へ……。

 そんな本作において重要な役割を果たすのが、豪華で優美な衣装の数々だ。レイノルズは文字通り命がけでオートクチュールのドレスづくりに心血を注ぐ孤高の職人で、その鬼気迫る仕事ぶりには圧倒されずにはいられない。ものをつくる人間の、純粋すぎる情熱とエゴイスティックなまでの業の深さ—それを視覚的に表現するのが、本作の衣装デザインの仕事だ。衣装デザインを手掛けたマーク・ブリッジズは、これまでも数々の映画に携わり、本作で見事、第90回アカデミー賞衣装デザイン賞に輝いた。本記事のための電話インタビューに応じてくれたマーク・ブリッジズに、『ファントム・スレッド』やポール・トーマス・アンダーソン監督について、そして映画における衣装の役割について聞いた。

徹底したリサーチに基づく衣装づくり

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――マーク・ブリッジズさんは、1996年の『ハードエイト』以来、今回の『ファントム・スレッド』を含むポール・トーマス・アンダーソン監督の長編映画全8作の衣装デザインを手掛けています。『ファントム・スレッド』での仕事は、これまで経験されたほかの映画での仕事と、どのような違いがありましたか? 

 本作ではすべての衣装をいちからつくらなければいけなかったことが、これまでのポールの作品や、ほかの映画監督との仕事と違いました。ポールの作品、例えば『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)、『ザ・マスター』(2012)、『インヒアレント・ヴァイス』(2014)などでは、リアルクローズを見つけてきて、色調や質感の参考にしていることが多い。しかし『ファントム・スレッド』に登場する衣装は、劇中のレイノルズ・ウッドコックが営むアトリエで生まれた服という設定なので、そのように見えなければいけない。(ヴィンテージの服を借りるという選択肢はなかったので)それらをいちからつくることが、いちばん大変でした。

――監督と、主役レイノルズ・ウッドコックを演じるダニエル・デイ=ルイスは、映画制作のアイデア段階から連絡を取り合い、本作で扱うオートクチュールに関するリサーチを行ってきたと聞きました。レイノルズの人物像を考える過程で、第二次世界大戦後のロンドンのデザイナーやハウス(衣装店)のあり方に注目したそうですね。デイ=ルイスは役づくりのために実際に洋裁を学び、バレンシアガのスーツを複製できる腕前にまでなったとか。ブリッジズさんが本作に関わり始めたときには、脚本やデザインの方向性は定まっていたのでしょうか? 

 僕は撮影の1年ほど前から本作に関わり始めて、そのときにはもう脚本はでき上がっていました。ポールが家に呼んでくれて、(リサーチ過程で監督に大きなインスピレーションを与えた)クリストル・バレンシアガの伝記をもらったり、彼がイメージしている服も渡されました。撮影の8ヶ月前にはニューヨークでダニエルと2日間ミーティングをし、彼の意見を取り入れながら、レイノルズがつくるドレスの方向性を決めたんです。そのあとロンドンへ行き、ダニエルの衣装のための生地などを選んだり、ヴィッキー(・クリープス/アルマ役)にも会いました。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――レイノルズというデザイナーや彼がつくるドレスについて、着想のもとになった実在のデザイナーやメゾンなどはありますか?

 デザイナーとしては、ジョン・カバナーや、本作の舞台となる時代にイギリスで人気を博したクチュリエであるハーディ・エイミスからインスピレーションを得たましたね。でも、実在のデザイナーのただの模倣にはしたくなかったし、よく知られているドレスの型を使ってしまうと裁判になりかねないので、そのまま使用するということは一切ありませんでした。ある作品のネックラインを参考に、またある作品のディティールを参考に……。というように、様々な作品からインスピレーションをもらいました。ペチコートをいろいろな色でつくっているのは、チャールズ・ジェームズっぽいかな。様々なデザイナーや、各時代のスタイルからもってきた要素を組み合わせて、レイノルズならこうかもしれないという新しいかたちをつくっていきました。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――リサーチでは『ヴォーグ』『ハーパース バザー』のバックナンバーや、当時のイギリスのニュース映像、世界中のヴィンテージの洋服などを参考にしたそうですね。なかでもヴィクトリア&アルバート博物館に保管されている、バレンシアガやハーディ・エイミスなどのドレスを間近でご覧になったことは、本作の大きな助けになったと思います。その経験はどのようなものでしたか?

 博物館では当時のレースがどんなふうにつくられていたのかを実際に見ることができ、とても気づきが多かったです。多くの服がじつはとてもシンプルにつくられていることや、綿密なディティールも、本物を手にしたからこそわかったことです。基本的な部分がどのようにほかの部分と縫い合わされているのかや、インシームの仕上げや馬の毛を使っていることなどにも気づきました。ドレスがフォーマルな見た目に反して軽く仕上げられているなど、技術的な部分にはっとすることが多かったですね。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――本作の衣装には、貴重なヴィンテージの生地など、重要な役割を果たした素材はありますか?

 本作の衣装には、新しい素材を使っていません。すべてアンティーク、つまり1950年代当時に使われていて、手に入る生地でつくっています。色はもちろん、スーツのウールの感触など、その当時の生地だからこそつくれるかたちがある。体へのフィット感や光沢も、新しい生地では決して当時のような雰囲気を表現することができない。17世紀につくられたレースなど、アンティークを用いました。例えば、劇中のファッションショーで登場する、裏地と上着の色が合っているジャケットに使われているのも、ヴィンテージの生地。ただヴィンテージものはぎりぎりの布の量しか残っていないので、それで衣装をつくることができたのは本当にラッキーでした。ヴィンテージものはダメージを受けているものも多いですから。

衣装デザイナー、マーク・ブリッジスによるスケッチ画 © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

撮影を意識したデザインとは

――リサーチや監督との話し合いを経て、ハウス・オブ・ウッドコックの特長として「深くてリッチな色合いと、ふんだんなレース、生地にはベルベットとサテンをもちいたスタイル」を設定したそうですね。本作のストーリーやキャラクターの人物像と、このハウスの特長には、どのような影響関係があるか、教えて下さい。

 レイノルズが自分の母親からドレスのデザインを学んだという設定がとても面白いと思っています。おそらく彼が慣れ親しんだ生地は、母親が仕事をしていた20世紀初頭のもの。そのこと自体が、彼がどこから来ているか、その出自みたいなものを表現しています。スカートの幅は時代にあわせて変えているにしても、どこか古風な空気感が彼のスタイルにはありますからね。レースの多用や、けばだったベルベットを使うところは、1950年代の終わりから60年代初頭にしては伝統的。彼が手掛けた服を見ると、レイノルズは5年後にはもしかしたらモードから置いていかれるのかもしれない、ということを予見させます。彼のスタイルの選択には、彼が誰であるか、どこから来たのか、これからどのような先に向かっていくのかということが、すべて表現されています。

ダニエル・デイ=ルイスとポール・トーマス・アンダーソン監督 © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――第二次世界大戦後のロンドンのモードに着想を得た衣装をデザインすることと、「映画のための衣装として」それらをデザインすることには大きな違いがあると思います。映画のための衣装づくりは、そのほかの衣装デザインとは異なるどのような工夫や作業が必要とされるのでしょうか?

 フォトジェニックな生地であることをいつも気にしています。黒もなるべく避けますね。生地には少し光沢のあるものを選ぶことが多く、本作ではサテンを重用しています。ラグジュアリー感があるし、撮ったときにより魅力的に見えますから。日常で身に着ける服よりワンランクアップした、ラグジュアリーで写真映えのいい、美しいクチュールを目指しました。また僕はいつも、どこかはっとさせられる部分をもつデザインや服を手掛けるようにしていて、それは感触もそうだし、光の反射の仕方が魅力的なものだったりします。

 例えば主人公レイノルズの姉・シリルが着る衣装に関しては、当初ポールからは「ぜんぶ黒で」という意向を伝えられていました。だけど、僕は黒を使いたくなかったので、チャコールグレーにした。映りがよくなるだけでなく、少しエッジーな感じになるし、何より演じるレスリー・マンヴィルにとても似合っていた。これはすごくうまくいったと思っています。レイノルズの場合は、スーツに繊細でさりげないストライプを入れたり、ウールも少し光沢が感じられるものを意識して使いました。彼がディナーのシーンで着るスーツも、じつは身頃と襟の質感が違う。そういう撮影を意識したデザインが、本作ではうまくできたと思っています。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

キャラクターの心理や存在感を印象づける

――本作はロマンチックな恋愛ドラマでもありますが、物語の後半、レイノルズとアルマの関係性には常軌を逸した緊張感も生まれてきますね。アルマが素朴なウェイトレスから、献身的なモデル、そしてレイノルズを掌握する唯一無二の存在へと変わっていくありようはとてもスリリングです。ブリッジズさんは、アルマという人物像をどう解釈し、彼女の変化を衣装でどう表現しようとしましたか?

 アルマはレイノルズとの関係に、頭から飛び込んでいったのだと思います。二人が出会って、最初にデートに行くときも赤いドレスを着ていますね。とても象徴的で、(言い方は悪いが)始めからやる気満々。自分がレイノルズに惹かれているということにまったく羞恥心がないし、彼女が恋に向かっていくのを感じさせます。二人がともに暮らし始めたあと、彼女がレイノルズのためにディナーをつくるシーンで身に着けていたドレスは、アルマ自身がデザインしたという設定なんです。レイノルズは皮肉めいて「なるほど、面白いな」と言うけれども、全然フレッシュではなく、色目は美しいけれどデザイン的には襟なんか5年遅れだし、全体的にもっさりしていて、彼女にデザイナーとしての才能がほとんどないと感じさせる。

 次のターニングポイントは、大晦日から新年にかけてのシーン。アルマが着ていた黒に赤いディティールが入ったドレスは、映画の最初に出てきたレイノルズの元彼女のドレスを思い起こさせる効果を狙っています。そのあとにアルマがパーティーに着ていくドレスは、特別にレイノルズにつくってもらったドレス。このドレスは、見る人によっていろいろな感じ方があるでしょうね。レイノルズに対する彼女の復讐心を感じる人もいれば、ふたりの関係において彼女が再び何かを捕らえようとしているのではないかと思う人もいる。彼女はふたりの関係性における支配権を奪おうとしているし、物語はレイノルズがそのアルマによるコントロールに参加できるかたちを最終的に見つける、という道のりなのだと思います。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

――レイノルズの姉・シリルの衣装は、エレガントで抑制の効いたもので、ハウスをマネージメントする厳格な彼女の人柄を象徴するようでした。またレイノルズの様々な衣装、リボンタイの色の微妙な違いなども、それぞれのシーンを引き立てていましたね。

 シリルの衣装は非常に控えめで、美しいカットを意識しました。彼女は小柄なので、その体系に合うものでなければいけなかった。シリルはハウス・オブ・ウッドコックの“顔”なわけで、参考にしたのはバレンシアガのセールスウーマンたち。当時、彼女たちはネイビーの服を着て、髪型やジュエリーもとても控えめなものを身につけていました。本作ではそのネイビーをグレーに変えたんです。ラグジュアリーだけど、それでいて効率的な服をつくった。レイノルズの場合は、着ているのを忘れるかのような服であることが重要でしたね。本当にすばらしい仕立てだからこそ、彼のノンシャラン的な、あまり構えることのないエレガンスが自然に生まれてくる。またクラシカルでありながら控えめで、彼が着ていて魅力的であることを意識しました。

――ポール・トーマス・アンダーソン監督は、作品世界をつくるうえで、細部にまでこだわる完璧主義者として知られていますね。本作における監督からの要望で、苦労したこと、挑戦心をかきたてられたことなどがあればお教え下さい。

 いちばん大変だったのが、劇中で春のファッションショーをやりたいと言われたことです。ハウス・オブ・ウッドコックは深みのある色彩が特長的で、使う素材はウール、ベルベット、サテンが多い。つまり春っぽさがないし、レイノルズ本人の性格も軽妙さがありません。パリのクチュリエたちだったら演出したであろう、春の軽やかさがないんです。そんなレイノルズが仕立てる春のコレクションをイメージするのは苦労しました。だから僕は、レイノルズの気持ちになって、彼だったらどのようなファッションショーにするかを考え「きっと英国的なものになるだろう」「ツイードは対応するだろうな」「ベルベットも登場するかな」「色目はそこまで重くはないだろうけれど、いまの私たちが使う色調は使わないだろう」といったことを考えました。用いたフラワーも暗めで、紫とコバルトブルーの組み合わせも春っぽくないし、小物も傘だったりするんですよね。ウールとレースの組み合わせも、普通の春コレではヘビーすぎるようなものではあったけれども、レイノルズというデザイナーにとってロンドンの春を表現するのはぴったりだったと思います。これがひとつの大きな挑戦でした。

映画『ファントム・スレッド』より © 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

編集部

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