朝鮮半島を分断する北緯38度線を越え、「線を無くす」ことを夢見るようになったひとりのアーティストがいる。北から南に来た彼は、やがて「分断の鉄条網(休戦線)がなくなってほしい」という願いを「夢」のままではなく「実現」させるために、「ソンム=線無(Sun Mu)」と名乗り、表現を始める。人は彼を「脱北者」アーティストと呼ぶ。だが、ソンムは祖国──朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮または北)の服をいったん脱ぎはしたが、その身体と心には「赤い水(イデオロギー)」が沈潜し、その水で培われた美学を捨ててはいない。むしろ朝鮮半島の現実を見据えながら、南の韓国という場で、身から沸き立つ北の美意識を変容させ、独創的に表出している。そんな分断の「異端者」ソンムの昨今の活動と、それをとりまく韓国美術の様相を見つめてみよう。
「線無」への道のり
1972年に北朝鮮の黄海道に生まれたソンムは、1980年代に金日成(キム・イルソン)主席が絵を描く子供たちを励ます様子をテレビで見て、画家になることを心に決めたという。1990年代後半、北朝鮮では「苦難の行軍」と言われた食糧難の時期、地方の美大生だったソンムは1998年に中国の親戚を頼って豆満江を渡った。家族を助け、食べるため、生きるために。その後、中国・ラオス・タイを経て必死で生き延び、2002年に韓国に入る。脱北者を受け入れ韓国での定着を支援する機関「ハナ院」で教育を受けたのち、美術への志を捨てられず弘益大学絵画科へ入学、同大学院を卒業した。
ちなみに韓国では元来、北から南に来た者を「越南者」と言い、朝鮮戦争停戦後は「北韓離脱住民」、その略語が「脱北者」だった。1990年代以降、北朝鮮の経済難による食糧難や政治的理由から居住地を脱出し中国など近隣国家に滞留した人々を、「脱北者」と呼ぶようになった(*1)。だが、北はソンムにとってかけがえのない故郷であり、南の韓国に生きようとも地続きになった自分の分身とも言える場だ。だからこそ北に残した家族を配慮し、いまも公には顔も本名も隠し活動する。
ソンムの初個展は2008年。金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)にアディダスとナイキのトレーニングウェアを着せ、パロディ化した作品《金正日》(2008)で観客の度肝を抜いた。北では「太陽」として崇められた神聖なる指導者たちは、南ではソンムの手によって、資本主義のイメージまでも付与されながら痛烈に描写される。そうしたソンムの作品は、民主化された韓国といえども「不穏な作品」と見なされ、時に検閲や作品撤去の対象にもなった。「国家保安法」が作動し、分断の頸木(くびき)は南北どちらにいてもつきまとう。自身の表現と存在そのものが、いまだに南の人々に潜在的な「恐怖」や「不安」を呼び起こし、それによって自らに跳ね返ってくる“飛び火”をくらいながら、それでもソンムは韓国をはじめニューヨーク、北京(ただし在中北朝鮮大使館の圧力により中国公安当局が展示場を封鎖)、ドイツなどで作品を発表している。今年6月にはソウル、続く9月にはベルリンで、そして11月には韓国最南端の済州島での個展を終えたばかりだ。
ソウル、ベルリン、済州島──「境界で」「北と向き合う」、そして「境界のなかで」
ソウル展「境界で」(2023年6月7日~17日、ファイン・ペーパーギャラリー)では、2014年の中国での展示開催直前に公安に押収された作品《線を越えて》(2011)を取り戻し再展示、そのオープニング・パフォーマンスでは自作の山水画《春の江山》(2020)に「右から南の国歌を、左から北の国歌を」書いた。朝鮮特有の書体で記された2つの国の歌は画面で合わさって、まるでひとつの叙事詩のようだ。
ベルリン展「北と向き合う、私はソンムだ/FACING NORTH KOREA, I AM SUN MU」(2023年8月19日〜9月10日、古い醸造場にある企画展示空間マインブラウ)には、ドイツ内外から多くの人々が集まった。そのころ奇しくも日米韓首脳会談が行われたが、これを受けソンムは、「米朝関係の進展は南北関係を促進させる」と主張したうえで、「米朝間のしこりがほどけること」を願い、展覧会場の外壁に北朝鮮の国旗と星条旗を結ぶパフォーマンスを行った。
さらに済州島展「境界のなかで」(2023年10月24日〜11月9日、ポジション・ミン済州)は、「2023年4・3抗争75周年記念 4・3芸術交流展」の第1回目として4・3済州記念事業会の主催、済州民芸総、ポジション・ミン済州の主管により行われた。済州島といえば、日本による植民支配解放後、左右のイデオロギー対立により多くの済州島民が犠牲となり南北分断を決定づけた「済州4・3抗争(事件)」(*2)の地だ。いわば「分断」の傷の根っこのような歴史を抱えている。
左右の理念分裂を体験したドイツ、済州島という地で、ソンムの表現は、「北と向き合う」「境界のなかで」というタイトルのごとく、対立と分断という政治的拘束からの「解放」を促し、スティグマに疼く人々と痛みをともにしながら、普遍的な人間の願いを訴えるものとなった。
一連の個展を一望するとソンムの作品は、画面のなかで、あるいは空間のなかで北と南が出会い、境界が溶けて融合し、ひとつになっていくそのプロセス自体を刻印しているかのようだ。平和とは「分断」という言葉が消える日のこと、ソンムはそう繰り返し語り、描く。自分のもといた国への愛情を捨てず、その北の美術の語法で。
北の美術手法と美学
それではソンム独特の北の美術手法とはどのようなものであろうか。それは宣伝画と朝鮮画という形式だ。この2つを軸に、切り絵や現代的なインスタレーションが加わる。
まず際立つ特徴は、北の「出版美術」のひとつであり、党の政策や体制の維持および強化を伝えるための重要なメディアとして機能する「宣伝画(革命闘争および社会主義建設事業へと大衆を駆り立てる武器)」に倣った作品である。街頭や学校、軍隊など随所で見かけるスローガン入りの宣伝画は、北で育ったソンムにとってもっとも馴染みのある表現だ。金正恩(キム・ジョンウン)総書記とトランプ前大統領が並ぶ《私の願い》(2021)、金正恩総書記と文在寅(ムン・ジェイン)前大統領がチンダルレ(ツツジ)の花を手に歩み、青い背景には盧武鉉(ノ・ムヒョン)・金大中(キム・デジュン)元大統領のシルエットが浮かぶ《私たちの春》(2021)などは、2018年4月の南北首脳会談から2019年の米朝首脳会談を経た朝鮮半島情勢を代弁している。
あるいは「私たちは幸福です」「この世にうらやむものはない」などの文字入りで北朝鮮の少年少女たちが合唱する絵などもある。どれも反語的でアイロニカルなスローガンにユーモアを加味しながら、明快な形象と色面による強烈なメッセージを放つ。ポリティカル・ポップとでもいうような絶妙なスタイルだ。ソンムは、「宣伝画」という国家のためのプロパガンダ手法を、「自分のためのプロパガンダ」、すなわち「平和へのメッセージ」へと変換する。頻繁に登場する子供たちは、未来を語る旗印だ。
もうひとつの特徴は、没骨法の輪郭線で対象の動きを掴み、鮮明な色彩で朝鮮独特の字体による書を付与した「朝鮮画(東洋画)」の手法だ。それは、同じ東洋画でも韓国画や日本画とはまったく異なる社会主義リアリズムに基づく高度な写実性を備えている。1966年、金日成主席(当時)は「朝鮮人民の民族的感情と情緒を豊かに盛り込む」朝鮮画を美術の土台とするよう画家たちに指示した。朝鮮画は、ソンムはもちろん、北の画家たちにとって人間の感性を表す自然な手法であり、書による文字を書き入れるのも同様だ。
ソウル展での淡いピンクの花咲く木立に故郷の子供たちが戯れる《野遊び》(2021)、ベルリン展の入り口を飾った赤と青の波しぶきの狭間に魚がうち震える(それは自分の姿だという)《身悶え》(2021)、いずれも墨のかわりに油絵具を用いた朝鮮画の手法によるものだ。済州島展で注目を集めた、「行く道は険しくとも笑って行こう!」と記された《私の故郷の風景》(2016)もそうだ。
宣伝画も朝鮮画も、北の体制が長い時間をかけてつくり上げた独創的な表現であり、それは社会に内在するダイナミズムと不可分なのである。
そのほか、脱北の日々を綴った日記のような壁一面の切り絵も印象的だ。幼い頃、学校で手ほどきを受けた生活文化がソンムの手によって再生され、鮮やかな物語を構成している。切り絵にはそれぞれ、北から南にたどり着くまでのし烈なソンムの体験が刻まれている。それらは「生き残る」ための本能と夢の集積だ。
さらに、絡まり合いながら宙に浮いた薄い布による北朝鮮、韓国、米国、日本の国旗に、手をとり平和を願う子供たちの絵が透かし見えるインスタレーションが空間に緊張感を呼び、現実の政治情勢を体感させる。
韓国美術の様相
ところで、日本に住む在日コリアンには済州島出身者が多いと言われている。かつて在日コリアンの一部の人々は、日本赤十字社による1959年12月から1984年7月までの「帰国事業」によって、北を「地上の楽園」と夢見て渡った現実もあり、分断に翻弄され生きざるをえなかった。
その在日コリアンに関わる注目すべき展覧会が、韓国で今夏から開催中である。ひとつは関東大震災から100年にあたり、日本による朝鮮人・中国人らの大虐殺を追悼し、記憶する「Yellow Memory」展だ(*3)。「タイトルの『Yellow Memory(黄色い記憶)』の黄色は、痛みと傷そして危機や歴史のなかで無名のまま消えていった人々、セウォル号の犠牲者(黄色いリボン)、『慰安婦』だったハルモニ(おばあさん)たち(黄色い蝶)を象徴している」と、総監督ユ・ジェヒョン(在独)は語る。
そして「市民の手で設立された『戦争と女性の人権博物館』と『植民地歴史博物館』という2つの場をつなげ、関東大震災をめぐる記憶文化(過去に関する社会の集団的知識)を現代アートによって提示」しようとしたという。オープニングで繰り広げられた、在日コリアン3世ハ・ジョンナムによる犠牲者を追悼する白装束姿のパフォーマンスには、民衆美術のフェミニスト作家チョン・ジョンヨプも加わり、観客を釘付けにした。
さらにハ・ジョンナムは、在日コリアン3世のイ・スンリョとの2人展をソウルのナムアート・ギャラリーで2023年11月29日から12月11日まで行った。ともに日本で朝鮮大学を卒業後、現在は韓国を拠点に活動している。こちらは歴史問題研究所の主催であるが、この展示を企画したのは、「Yellow Memory」展でも責任キュレーターを務めた稲葉真以(在韓国の美術史研究者)。2人展もまた、関東大震災100周忌を迎えるにあたり、「9月の記憶」を想起させるものであるが、稲葉は「人種差別と憎悪犯罪、戦争と大虐殺のニュースが相次ぐ現在、在日朝鮮人作家たちの表現が投げかける記憶の声に耳を傾けてほしい」と強調する(*4)。
ハ・ジョンナムの作品《違います、韓国人です》(2023)は、韓国に住んでからその話し方ゆえ、「日本人ですか?」と頻繁に問われることへの自身の応答だ。彼女は、関東大震災のとき、朝鮮人であることが発覚しないように「日本人であるふり」をせねばならなかった祖先を重ね合わせ、いまそれとまったく反対の主張をしている自分を発見する。このアイロニカルな体験をもとに、韓国の韓紙と日本の和紙によって死者の霊を表す「ノクチョン(魂箋)」をつくり、また《模様2023 KとJ》(2023)では、日韓の伝統文様の類似性に着目し、両者を融合させた切り紙を空間いっぱいに垂れ下げた。それは過去と現在、日本と韓国をつなぐ「記憶の森」だ。
いっぽうイ・スンリョは、人と人との関係に注目した絵画を制作してきた。祖先の関東大震災との関係を探る過程で、北へと渡り他界した祖父など波乱万丈だった祖先と家族の生を再構成し、「肖像画」として描き出す。絵のなかでは物を入れて運ぶ「ビニール袋」が使われているが、この素材は彼女にとって個と個を連結する象徴であり、記憶の軌跡となる。こうして、100年の記憶の延長線上にいる自身の自画像へと向かう。
最後にもうひとつ、「薬売りと約束の地」展(ボアン1942、2023年11月18日〜12月10日)を加えておこう。キュレーターのイム・ジョンウンは、「植民地、 分断、 戦争、 ディアスポラ……これら終わりのない分断は国境だけでなく、 未来に対する豊かな想像を遮り、 挫折させる。かつてのように宗教や理念ではなく、いまは資本と科学がまるで“薬売り”のように私たちの未来を約束しようとする。だが、いまこそ経済の論理や政治を超え、 アジアと朝鮮半島を貫く問題を見つめ、共存しうる共同体を“約束の地”と見立て、語ってみたい」と言う。
そこでは例えば、かつて2015年に日本の武蔵野美術大学と朝鮮大学の学生たちが両校舎のあいだに橋をかけ交流を図った記録も資料展示されている(李晶玉、市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶)。また休戦線の南側の監視所(GP)風景や平壌を象徴するタワーの写真(ノ・スンテク)は、分断の現場がどこにでもあることに気づかせる。あるいは、2004年から南北合作で稼働していた開城工業団地が南北関係の悪化で2016年に閉鎖されたのを惜しみ、当時、北の労働者たちが好んで食べたという南のチョコパイなどを販売する可動式屋台も登場した(イ・ブロク)(*5)。
ふたたびソンムへ、何を「脱ぎ」、何を「消す」のか?
こうした展覧会が展開されるなか、11月中旬にはソウルに「北韓人権博物館」がオープンした。その開館記念としてソンムの作品が一角に展示されている(*6)。
日本の植民統治解放後、「反共」を国是としつつ民主化を成し遂げた韓国では、現在、北について語ることはもはやタブーではなくなったかのようだ。だがソンムは「本当にそうだろうか?」と苦笑いする。確かに大国の動きによって南北関係は変動し、現在の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は対北強硬路線を邁進している。いまなお反共思想と冷戦思考を脱ぎ捨てることができない現代人は、ソンムを警戒し、彼の芸術を「プロパガンダ」に押し込めようとするかもしれない。しかしソンムは、ためらわない。「私が芸術家かどうか、それは私の問題ではない。私は私の道を行くだけだ」と。
関東大震災時の朝鮮人虐殺を想起し、若者たちが再び共同体の未来を語り始めるなか、今秋、ソウルでは韓国のKiafとイギリスの「フリーズ」という2つのアートフェアが同時開催され、好況をもたらした。華やかなアートマーケットと百花繚乱の韓国現代美術、だが、その時空間には「分断」が介在している。ソンムは何を「脱ぎ」「消そう」としているのか。私たちもまたその対象を見極めなくてはなるまい。
*1──韓国政府統一部によると2017年までに韓国への脱北者は3万1000名を超えたという。石坂浩一編著『北朝鮮を知るための55章第2版【第2版】』(明石書店、2019)
*2──済州島4・3抗争(事件)は、1948年4月3日、朝鮮半島の南北分断のおそれが高まるなか、米軍政が推進した南だけの単独選挙実施に済州島民の一部が反対、武装蜂起したことに端を発し、その武力鎮圧の過程で3万人を超える島民が犠牲となった事件。
*3──「Yellow Memory」展
主催:民族問題研究所、正義記憶連帯、ドイツArt5芸術協会
主管:植民地歴史博物館、戦争と女性の人権博物館
協力:在独韓国女性会
総監督:ユ・ジェヒョン
責任キュレーター:稲葉真以、キュレーター:オ・ミジン、パク・ヒョンス
参加作家:ミシャエラ・メリアン(ドイツ)、ノ・チャンウォン(韓国)、ハ・ジョンナム(韓国・日本)、イキバヴィクルル(韓国)
1st Memory(戦争と女性の人権博物館、2023年9月1日〜12月31日)
https://womenandwarmuseum.net/connect/notice/yellow-memory
2nd Memory(植民地歴史博物館、2023年11月10日〜12月31日)
https://historymuseum.or.kr
この展示については、北原恵「関東大震災100年を記憶する現代アート:2023夏、韓国」(『エトセトラ』VOL.10、2023)に詳しい。
*4──歴史問題研究所 関東大震大虐殺100周忌企画展「9月の記憶―ハ・ジョンナム、イ・スンリョ2人展」(ナムアート・ギャラリー、ソウル、2023年11月29日〜12月11日)。図録に収録の稲葉真以「企画者エッセイ」参照。
https://neolook.com/archives/20231129d
*5──「薬売りと約束の地」展 2023韓国文化芸術委員会視覚芸術創作室優秀展示支援選定作
会期:2023年11月18日〜12月10日
会場:ボアン1942(通義洞ボアン旅館)アートスペースボアン2,3
展示企画:イム・ジョンウン、協力キュレーター:キム・ジョンヒョン、担当コーデネーター:イ・セッピョル
参加作家:ノ・スンテク、アン・ユリ、イ・マリ、イ・ブロク、イム・スヨン、チョン・ソヨン、Irene Agrivina、Venzha Christ、李晶玉、市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶
https://www.e-flux.com/announcements/573550/snake-oil-salesmen-and-the-promised-land/
https://neolook.com/archives/20231118b
*6──「北韓人権博物館」(北韓=朝鮮民主主義人民共和国の韓国における略称)は、社団法人・北韓人権情報センター(NKDB)と北韓人権博物館建立推進委員会により、「北韓の人権」の非政治化のために、政府・民間が持続可能なガバナンス構築を目指し、2023年11月15日にソウル市鍾路区に開館。その常設展示室開館と併せ、2023年統一部北韓人権増進事業選定を得て、開館記念企画展「見慣れない言葉、表現の影」も同時開催。参加作家はソンム、キム・ヨンソプ。企画展は2023年11月15日〜2024年3月31日。
https://my.matterport.com/show/?m=8qAKSF3xnVj
*ソンムについての情報:https://sunmuart.com/、https://neolook.com/