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エコロジーという脅迫:「フォスター+パートナーズ展」を見て

イギリスの建築家ノーマン・フォスターによって1967年に設立された国際的建築設計組織「フォスター+(アンド)パートナーズ」は、これまで世界45か国で300のプロジェクトを遂行し、革新的なアイデアで建築や都市を創造し続けている。その日本初の大規模展覧会が、森美術館の主催により、2016年1月1日〜2月14日、六本木ヒルズ展望台 東京シティビューにあるスカイギャラリーで開催された。さまざまな資料とともに「フォスター+パートナーズ」の軌跡を紹介する本展を、「3.11以後の建築」展を企画した金沢21世紀美術館の鷲田めるろが読み解く。

鷲田めるろ

フォスター+パートナーズ スイス・リ本社ビル(30セント・メアリー・アックス) 1997-2004 イギリス・ロンドン Photo by Nigel Young, Foster + Partners

美術館を訪れて鑑賞するとき、作品をつくる人と展示をする人が別であることに私たちは慣れている。アーティストがつくった作品の横には学芸員が書いた解説文が添えられているかもしれない。しかし、近年、この作品と解説文との古典的な関係は自明ではなくなってきている。アーティストが自らの手で作品をつくらず、レディメイドのファウンド・オブジェも自らの作品と称するようになって以来、アーティストと学芸員の境界は徐々に曖昧になった。いまや「アートプロジェクト」と呼ばれるようなかたちで、展覧会のアートディレクションや企画までもアーティストがおこなうことは珍しくない。ましてや建築の展覧会となれば、展示が建築家自身によってつくられることが多い。

建築展では、作品としての建築物自体を展示会場に移動させることはできないがゆえに、模型や図面、写真や動画で建築物が表象され、展示される。コンセプトを説明するテキストも展示の一部となる。学芸員が、建築物から図面を起こし、建物の撮影のディレクションをし、模型を制作することは不可能ではない。しかし、特に存命する建築家の場合、図面や模型の制作、写真や動画のディレクションは、建築家によっておこなわれることが多い。制作費も一部は美術館側が用意するとはいえ、自らの事務所の広報宣伝のために、費用を建築家側が支出することも多いだろう。大きな組織と資金力を持つ設計事務所は、さらにその傾向が強い。

森美術館(展望台 東京シティビュー内スカイギャラリー)で開催された「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」展、展示風景 撮影=古川裕也 画像提供=森美術館(東京)

森美術館で開催された「フォスター+パートナーズ展」を見ても、しっかりとした素材で細部までつくり込まれた模型はもちろん、英語から訳されたことが明らかな生硬な和訳の解説文に至るまで、美術館の語りではなく建築家自身の語りによって構成されていることがよくわかる。しかし、私はここで美術館や学芸員の無力さを批判したり、嘆いたりしたいわけではない。内部的な事情は展覧会を見ただけでは知り得ないが、仮に展覧会に必要な費用の大部分を出品者側が負担し、美術館側は経費を節約しながら観客の動員を得られるとした場合、美術館側のしたたかな戦略であると言えなくもない。それは、内部的な情報も踏まえて総合的にしか判断できない。

私は、そんな同展を非常に楽しんだ。それは、ノーマン・フォスター自身が自分の半世紀にわたる仕事を現時点から見て大胆に語り直しているからだ。言うなれば、フォスターの自伝のようなものであった。

森美術館(展望台 東京シティビュー内スカイギャラリー)で開催された「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」展、展示風景 撮影=古川裕也 画像提供=森美術館(東京)

建築のコンセプトを示すドローイングが展示されている。フォスター自身が描いたものであることまでを疑う必要はないだろう。だが、そのドローイングがどのタイミングで描かれたものであるかは、キャプションやドローイングの中に書き込まれた管理記号を見てもよくわからない。最初に考えを思いついたときに描いたものかもしれないし、かなり設計が進んだ段階で、あるいは竣工後に、説明のために描いたものかもしれない。

スタディ模型も要所要所に展示してあり、実現した建物とは異なる別の可能性が示されていて大変興味深い。これらの模型こそは建築展の醍醐味とも言えるが、これとて、いつ制作されたものかはわからない。実際にスタディしていたときにつくられたものかもしれないし、今回の展覧会で見せるために再制作したものかもしれない。模型の完成度から推測すると、おそらくは事後的につくられたものではないだろうか。

こうした史料の曖昧さが、実際に過去にあったことよりも現在の視点を強めている。過去の建築物を表象する資料が歴史的な史実であるかどうかとは別に、過去につくった建築について、いまフォスターが語っていること自体は、現在の彼を示す事実である。「現在そのように語っている」こと自体の真実性は担保される。

フォスター+パートナーズ ウィリス・フェイバー・デュマス本社ビル 1975 イギリス・イプスウィッチ Photo by TimStreet Porter

本展でのフォスターの語りは、最初のバックミンスター・フラーとのコラボレーションから最後のアップル・キャンパスにいたるまで、エコロジーや地球環境のサステナビリティを軸に整理されている。テクノロジーは、自然と対立し、自然を破壊するものではけっしてなく、むしろ自然の破壊を最小限にし、人間にとって快適な環境を得るために最大の効果を上げるのだ、という主張で統一されている。可能なかぎり少ない部材で皮膜のような建築をつくることに自分は生涯取り組んできたのだ、高層ビルは必要な機能を集約し緑を生み出すためだったのだ、と声高に語り続ける。

1990年代に妹島和世が登場したとき、記号をちりばめた表現過多なデコンストラクティビズム(脱構築主義)の建築に対して、軽く、透明な建築は新鮮であった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)建築部門のチーフ・キュレーター、テレンス・ライリーは、95年に「ライト・コンストラクション」というタイトルの展覧会で、その傾向をとらえた。

その頃、この傾向の先輩格と見なされたのは、ノーマン・フォスターをはじめとする1970年代後半からの「ハイテック」の建築家たちであった。軽やかでシャープな表現はそれ自体が美的な価値を持っていたが、以降、少なくともゼロ年代中頃までは、それらが語られる際に、さほどエコロジーの観点は強調されていなかったと記憶している。

フォスター+パートナーズ ウィリス・フェイバー・デュマス本社ビル 1975 イギリス・イプスウィッチ Photo by TimStreet Porter

今回の「フォスター+パートナーズ展」を見て、過去に実際にはどうだったかは別として、エコロジーを軸としたフォスターの現在の語り直しの徹底ぶりに、私は建築家の本気を感じた。いまはここまでエコロジーを主張しないと、生き残れないのかと。「今後10年のうちに中国に400の空港がつくられる。ならば建築家は、エネルギー消費の少ない空港をつくってモデルとして示さなければならない」という主張は明快である。エコロジーは地球規模で考えなければならない。ならば、もっとも建設を進めている場所で、建設による自然環境の破壊を最小限にするのが効果的である。

このような使命感を前にすると、過疎の村を生きながらえさせたり、リノベーションでエネルギー消費を押さえようとしたりすることに活路を見出す日本の若手アトリエ系建築家たちの取り組みは、それが日本の将来にとって極めて重要な課題であるとはいえ、ドメスティックで狭いところへと入り込んでしまっているようにすら思われてくる。

だが、エコロジーにせよ、人口減少への対応にせよ、建築が社会的な要請に応えようとしているという点では共通しており、近年その度合いはますます強まっていると感じる。そのなかで、展覧会の冒頭で紹介されていた、バックミンスター・フラーがフォスターに問いかけた「自分の設計した建物の重さを知っているか」という言葉は、フォスターが自らのエコロジーの文脈に回収しようとしてもしきれない、空想的で詩的な魅力をたたえているように私には感じられた。

PROFILE

わしだ・めるろ 1973年京都府生まれ。金沢21世紀美術館キュレーター。東京大学大学院美術史学修士課程修了。これまで担当した主な建築展は、「妹島和世+西沢立衛/SANAA」(2005)、「アトリエ・ワン:いきいきプロジェクト in 金沢」(2007)、「中村好文:小屋においでよ」(2014、ギャラリー間からの巡回)、「3.11以後の建築」(2014〜15、水戸芸術館へ巡回)など。都市、建築、美術を横断する開かれた場をつくることを目指し、金沢在住の若手美術・建築関係者によって、2007年結成されたグループCAAK(Center for Art & Architecture, Kanazawa)のメンバー。

編集部

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