ポイント① 「色彩」と「タッチ」で印象派の特徴をじっくり味わう
風景画では封印された「黒」
西洋では、絵画といえばルネサンス期以来長らく教会や宮殿の中で飾られる宗教画や歴史画が主流でした。外からの光が届かない薄暗い室内でロウソクの炎に照らされ、闇の中にぼーっと浮かび上がったときに神々しく見えるよう、聖人たちを描いた油絵の背景は黒や灰、茶色など暗い色で一様に塗りつぶされることも多かったのです。
しかし、19世紀後半になると、絵画は王侯貴族だけのものではなくなり、広く市民階層の自宅のリビングなどで楽しまれるような、庶民にとって身近な存在になっていました。そこで印象派の画家たちは、複雑な読み解きが必要とされる歴史画や宗教画ではなく、同時代の都市生活や自然の多様性を、自らの印象に忠実に、描き出そうとしました。
彼らが腐心したのは、屋外にあふれるキラキラした光を、いかに明るく効果的に表現するかということです。印象派を代表する巨匠ルノワールが生前「自然界にあるのは色だけだ。白と黒は色ではない」(ジョン・リウォルド『印象派の歴史』上巻 P310-311参照、角川ソフィア文庫、2019)と語ったように、彼らは自然界の色としては存在しない純粋な「黒」をパレット上から追放してしまいました。
そこでまず、鑑賞中にチェックしてみていただきたいのが、印象派の手掛けた風景画の中に「黒」があるかどうかです。光の当たらない陰の部分や、ダークスーツに身を包んだ人物などに着目してみると、確かに「黒」が見当たらないのです。
例えばオーギュスト・ルノワールの代表作《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を見てみましょう。画面上に描かれた大勢の男性のスーツには、純粋な「黒」ではなく濃い紫色が使われています。ルノワールがどうにかして「黒」以外の色彩で黒っぽいものを表現しようとしていたことがわかります。
展覧会でほかの時代の作品と一緒に見られるようならば、一度「黒」の有無について見比べてみてください。印象派の作品が明るく見える大きな理由として、「黒」の成分の圧倒的な少なさがあるのだということが腑に落ちるでしょう。