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2022.3.31

カラヴァッジョはいかに「飛躍」したのか? 初期の傑作《音楽家たち》から考える

現在、国立新美術館で開催中の「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」では、国内初公開となる作品が多く展示されていることでも話題になっている。そのうちのひとつがカラヴァッジョの《音楽家たち》だ。本作は彼の初期に数多く描かれた少年像のひとつであり、1600年の《聖マタイの召命》によるデビューやその後の活躍、ひいては17世紀のバロック美術を代表する巨匠となっていく道程へとつながっていく重要な作品としても位置づけられる。今回はこの《音楽家たち》を含む、カラヴァッジョの初期の少年像に焦点を当て、彼の「成長」のプロセスを追ってみたい。

文=verde

カラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ) 音楽家たち 1597 キャンバスに油彩 92.1x118.4 cm メトロポリタン美術館蔵 Rogers Fund, 1952 / 52.81
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大都市ローマの底辺で──少年像の誕生

 カラヴァッジョ(本名・ミケランジェロ・メリージ)が、故郷ミラノから、ローマへとやってきたのは1590年代半ば頃と推測されている。当時のローマは、プロテスタントに対する巻き返し(対抗宗教改革)を図るカトリック側の中心地として都市や道路が整備され、さらに1600年の大聖年に向けて、多くの聖堂や宮殿の建設・改修が進められており、その仕事を目当てに、ヨーロッパ各地から多くの芸術家たちが集まってきていた。カラヴァッジョもそのひとりだった。この文化芸術の中心地で、一旗揚げたい。20代の彼は、そんな野望に燃えていただろう。しかし、ほとんど無一文で、ツテもないまま出てきた彼にとって、それは容易いことではなかった。

 貧困にあえぎながら、彼は助手として様々な工房を渡り歩く。ミラノで身に着けた絵の技術──モチーフを綿密に観察し、見えるままに、緻密に写し取る描写力と、醜いものを美化せずにそのままに描き出す自然主義の伝統とは、大都会ローマにおいて、生きる道を切り開くための武器であり、また拠り所でもあっただろう。

 やがて、独り立ちした彼は、人物表現の伝統の根強いローマ画壇の傾向に合わせ、自身の得意な静物描写と単独の少年像とを組み合わせた、独自のスタイルの作品を編み出し、路上で売るようになる。現在、カラヴァッジョ初期の代表作として数えられる《果物籠を持つ少年》も、このような状況のなかで生まれた。

(参考図版)カラヴァッジョ 果物籠を持つ少年 1595 ボルゲーゼ美術館(パブリックドメイン 出典:Wikipedia)
*「メトロポリタン美術館展」には出品されていません

 しかし、貧乏に苦しむのは変わらず、《病めるバッカス》では、鏡に写った自分自身の姿をモデルに描いている。その後、彼は単独像だけではなく、《女占い師》や《いかさま師》など、複数の人物を描いた作品にも挑戦していく。そして1597年、ついに彼に転機が訪れた。