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孤独とのつながり、そしていま育まれつつあるもの。髙嶋雄一郎評 沖潤子「anthology」「刺繍の理り」

1963年浦和市生まれ、鎌倉市を拠点に生命の痕跡を刻み込む作業として布に針目を重ねた作品を制作している沖潤子。「刺繍の理り」(KOSAKU KANECHIKA)と「anthology」(山口県立萩美術館・浦上記念館)のふたつの展覧会を通じて見えてくるものについて、神奈川県立近代美術館・主任学芸員の髙嶋雄一郎がレビューする。

沖潤子「anthology」展示風景 (c)Junko Oki Photo by Yasushi Ichikawa

 私的な話から始めて恐縮だが、1年くらい前から、植物に心を奪われたままでいる。近所の花屋から切り花をあれこれ持ち帰ることもあったが、多くはまだつぼみすらもついていない小さな苗を求め、自宅の小さな庭での配置を此処彼処から見やっては考えをめぐらせ、ようやく腑に落ちたところで土を入れ替え、そこに据える。そのあとは水やりと雑草抜き、そして剪定に精を出す。休みの日には何時間も草をむしり続けることもあり、梅雨の合間に顔を覗かせたわずかな陽射しのせいで、この背中の皮膚がひとたび剥けてしまったほどだった。

 なにゆえ、いまさらにこれほどまで植物に心を奪われたのだろう。外出がままならなかったことや、自宅の庭にようやく心が向いたこと、そして植物を植える時期として春を目前にした冬が望ましいと耳にしたことも一理あったろう。ただそれ以上に、この生命らと向きあってあらためて気付かされた、こちらが捧げた労力や愛情に応えるその絶え間ない毅然とした成長、他方で人間の思惑をはるかに超える生命力を、こうしたときだからこそ愛おしく感じたのか。もちろん植物はその美しさや力強さといった視覚的な悦びも備えているし、かたや聴覚においてはこの上なく寡黙な存在であるため、それらに向き合えば向き合うほど心も無へと向かい、はからずも自分自身を直視する貴重な機会となった──そんな思いも浮かんでくる。

 そんなこともあってか、長びく梅雨のまだ明けきらない曇天の湾岸沿いを抜けて天王洲に位置する眩いばかりの端正な空間で開催されている「刺繍の理り」(KOSAKU KANECHIKA)を訪れ、そこに展示された沖潤子の新作群を時間をかけ注視したのちに、それらの作品名を目録で確認したとき、花や木そして果実の名が付されていたことにまず驚かされた──《水蜜桃》《ネクター》《泰山木》《紫陽花》《アネモネ》《百日紅》といったように。タイトルはすべて制作を終えてから考えると作家は告げてくれたが、期せずして某が庭作りに没頭していたのと同じ時期に紡ぎ出されたこれらの作品も、彼女自身が心血を注いで育てあげた「植物」そのものであり、つまりあのギャラリーの空間はひとつの「庭」だったのだ。

沖潤子「刺繍の理り」より《紫陽花》(2020) Photo by Keizo Kioku (c)Junko Oki Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

 ふとここで、この作家が今年の初めに記した短くも魅力的な庭に関する随想文を思い出す。「窓と地図」と題されたその文は、この作家自身がアトリエの窓から覘いている四季折々の庭──鶯そして蜩といった折々の季節を告げる隣人たちの声や、正体の知りえない現象、そして庭をめぐる家族との思い出──が朴訥ながら強い意志の滲み出ている言葉をもって綴られていて、その末尾は次の言葉で結ばれている。

 内在する風景をさがしながら私は地図を作っているのかもしれない。地図に記された路を曲がった先に何があるか、それを見届けないわけにはいかないのだ。(*1)

 つまり、その作品は一つひとつがまったく異なる「風景」であり、それはその手の膨大な動作から自ずと浮かび上がるものなのだ──絵画でも彫刻でもない、刺繍からしか紡ぎ出されない景色。また、そこには奇をてらった飛躍や迷いは微塵もない。田畑を少しずつ時間をかけて耕すかのように、また植物がわずかながらも着実に、そしてまるで爆発するかのごとく芽吹くように、その「風景」は立ち現れてくるのだ。加えてそれらはひとつの「地図」として、つまりは彼女自身の生きざまとして破綻なく連なっている。実際、その作品の変遷もしくは展覧会ごとのテーマは、「刺繍」という手法をその根幹にぶれることなく据えながら、それをさらに深化/純化させていく、そんな一貫性をも感じさせてくれる。

 そうした点からも、同展を読み解くにあたって、先立って沖が試みた山口県立萩美術館・浦上記念館の茶室を一室すべて用いた展覧会「anthology」を参照しなければならない。2021年3月まで公開されている同展は、四畳半からなる正方形の空間で自由に展示を考案するよう美術館から提案されたことに端を発している。作家が現地を訪ね、その空間に身を置きしばし黙考したのちに浮かんだ着想は、多くの人から譲り受けた糸巻きを床に敷き詰めるものだった。こうして作家の呼びかけによって全国から寄せられた糸巻きは、5000個という当初の目標を大きく超え7000個が寄せられた(*2)。

沖潤子「anthology」展示風景 (c)Junko Oki Photo by Yasushi Ichikawa

 作品のために全国から糸を送っていただいている。使いかけのまま時がとまった縫糸がとても美しい。陽にやけた台紙の糸はシミだらけの皮膚と白髪の後れ毛のよう。晩年の母の姿にも思えてきて、他人と思えない(*3)。

 同展では糸巻きが茶室の畳一面に敷き詰められ、その上に3点の刺繍作品、そして資生堂ギャラリーでも4年前に発表された針供養を思わせるオブジェ1点、さらに床の間へ古箱に収められた旧作1点が展示された。この作家にとっての糸は、画家が用いる絵具であり、彫刻家が向き合う土や木そして金属といった、表現が生まれる起点にほかならない。また、様々な持ち主のもとで不要となり時の止まったままであった縫い糸たちは、そもそもその母の遺品を素材として制作してきた作家にとって、多くの人々が抱いてきたそれぞれの物語を溢れんばかりに想像させたはずだ。

 茶室という場は俗世と隔絶された世界であり、そこを訪れる者はみな等しく扱われ、ただひとつの茶事を共有する。今回この茶室を舞台にした沖の試みは、我々の知るいわゆる侘びた茶室の風景とは様子を異にするものの、その世界が培ってきた思想を独自の手法と言語で受け継ぎ、現出させている。くわえて、そのなかで自らの創作における円環──ことの始まりとしての糸をまるで種子もしくは大地のように、自身の作品をそこから芽吹き育った草木のように、そしてその過程で生を終えたものたちを悼むかのような針供養のオブジェを少しばかりの距離を置いて──を描き出していたことも、あの空間をさらに稠密なものにしていた。

沖潤子「anthology」展示風景 (c)Junko Oki Photo by Yasushi Ichikawa

 ひとつの完結した世界を表しきった萩での展覧会に比べるならば、7月からの「刺繍の理り」はまさに刺繍という行為それ自体に没頭した末の作品が並べられていた。以前の、古箱や金属の枠のうちに磔刑かのごとく宙吊りになった作品も印象深かったが、いたってシンプルな額へと収められた本出品作は、まるで絵画が窓のごとく対象を切り取るように、それぞれがその内にまったく異なる風景を描き出す。そのとき、この視線は自ずとその糸そのものの動きや太さ、針目、その絡まりそして軌跡、さらにはぶら下がり弛緩した佇まいへと導かれていく。なかでも圧巻なのは、以前にも増した布上での糸の密度だ。定まった針目の繰り返しによって描かれる糸の軌跡も全体へと埋没し、地(支持体)となる布はときに完全に覆い尽くされ、遠くから見つめればそれらは完全に溶け合い、ひとつとなる。さらに、過去の作品を押し花のように配しさらなる糸目を施した《柘榴》や、綛糸を束のまま画面へととどめさせた《アネモネ》、布へ糸の色が流れ出した様子を一つの景色としている《すいかずら1》《すいかずら2》、そしてかつてないほどの太い糸で分厚いカンヴァス地に刺繍を施した《泰山木》などでは、作家が創作の過程で生まれた意図せぬ産物を臆せずに受け入れ、その表現をさらに押し拡げた姿勢がうかがえる。

沖潤子「刺繍の理り」より《水蜜桃(部分)》(2020) Photo by Keizo Kioku (c)Junko Oki Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

 こうしてこの1年ほどの彼女の作品と展覧会、そしてこれまでに綴られた文をひと続きのものとして振り返ったとき、どういう言葉であれば、その抗い難い魅力に近づけるのだろうか。──まず何よりも、そこに溢れている生の猛々しさ。彼女の作品をアウトサイダー・アートの視点から興味を持っている学芸員がいると耳にしたことがあるが、それは刺繍という手法を借りながら他の追従を許さない唯一の表現を模索するその姿もさることながら、生きることと表現することとが分かち難く結びつき、作品へと結実しているからではないか。「とにかくできるだけ起きている」「手を動かせる時間がどれくらい残されているだろう」(*4)と作家が記すような切迫感のなかで心身を削って生まれた作品は、小賢しい理論や小手先の技術をひけらかすだけの美術とはほど遠く、剥き出しで、絶えず情動的だ。そして、あらゆるものを受け入れる寛容さ。たとえば古布を用いることに関して、「それを作品にしたいというよりは、混ざりたい」(*5)と作家は資生堂での展覧会に際したインタビューで述べている。自身の亡き母が遺した大量の糸や布はもとより、そもそも古布を用いることを好むこと、人々から送られた針や糸を受けとめ、さらに刺繍するうえで生じる様々な絡まりや解れをも呑みこみ、抱え込むこと。これは、沖のうちに揺るがない自我があるからこそなのではないか。作家は刺繍を終えた後に作品を必ず水に通し洗うと述べているが(*6)、一つの儀式を思わせるこの過程は、それまで異なる時間を歩んできた布や糸たちを文字通り洗礼し、新たなただひとつの存在としてこの世に存らせしめんとする思いの発露なのか。そうしたなかで、とどまり/めぐりつづけること。作品によくみられる円状の図像は、中心から針を入れることで始められ、ともすれば無限にその針目が続くとすら思わせる。そうした終わりも始まりもないような糸の往還が増殖し続ける有機体を思わせるいっぽうで、玉結びにも似たものが密集する部分、まるで板木に施された彫目のように激しく行き交う姿、そして糸が垂れ下がる部分なども散見され、こうした混沌とした全体が、いっそう作品を鮮やかにしている。また、先にも述べた鉄枠や木箱の中に吊るす額装や、作品自体も空間の中にワイヤーで浮かばせる展示方法は、作品をそれ自体で完結せずにその場とすらひと続きとすることを切望している印象すら与える。ひるがえって、今回の展示における、そうした額装や方法を取らず絵画を壁に架けるかのごとき試みは、むしろその限られた矩形の窓の中で混淆する様々な糸の生き生きとした動き、それらが何かの像として結実することなくその手前でとどまり続けることゆえの豊かさを、ますます露わにしていた。

沖潤子「anthology」展示風景 (c)Junko Oki Photo by Yasushi Ichikawa

 沖の祖父は、繊維会社を興そうと決意し、そのために見聞を広めんと世界一周旅行に出た際に、当時イギリスにいた南方熊楠に会いに行こうと画策したという(*7)。拙文を進めるに際してその話にまた目を通したとき、昨年の春先にふと読んだその南方熊楠による「きのふけふの草花」での不可思議な説話が頭を過ぎった──達磨法師が面壁九年の3年目に、猛烈な眠気に襲われたがため自身の目蓋を切り落とし、それを捨てると地面から草花が咲いたこと。それは眼皮(岩菲)と名付けられ、それを口にすると眠気もなくなったと言われ、それが茶の始まりだともされること。

 達磨大師九年面壁の時、眠くてならぬから自分で上下のまぶたを切つて捨てた処に翌朝この草がはえあつた、花が肉色でまぶたの様だつたので、眼皮と名づけたと、和漢三才図会に俗伝をのせある。…達磨が切捨たまぶたからはえた植物の葉を用ふると眠くなくなつた、その葉のヘリにマツゲ様の歯ありてマブタに似をる、是が茶の初まりだと日本で聞いた…(*8)

 このふたつの展覧会の準備に没頭するなかで、沖もまた、自身と向き合う時間をこれまで以上に過ごしただろう。ただし、それは表層的な孤独とはまるで異なる、むしろ多くのより深いつながりを感じる時間だったに違いない。今後もさまざまな展示が控えていると耳にしたが、まさに面壁九年のごとく、美術家としての経験を積み重ねることでさらなる未知の風景を切り拓くことを期待しているし、そのなかで沖が見出す孤独とつながり、その在り方こそ、われわれがいま参照すべきことなのではないか──そんなことも考えている。

*1──「窓と地図」、『たいせつな風景』29号(神奈川県立近代美術館、2020年2月、p.11)。
*2──沖は針供養を思わせる作品《伝言》(2017)の際にも、さまざまな人々から不要となった針を千本ほど集めている。
*3──2019年11月30日、作家本人のTwitter[woky shoten @junko_oki]より。https://twitter.com/junko_oki/status/1200431015082115072
*4──「窓と地図」、p.9。
*5──「時を超えて混ざり合う布と糸。『第11回shiseido art egg』沖潤子インタビュー」、2017年6月28日。          
https://www.bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/5371/
*6──前掲。
*7──沖潤子『PUNK』(『文芸春秋』2014年12月、p.234)
*8──南方熊楠「きのふけふの草花」(『南方熊楠全集』第7巻、乾元社、1952年5月)

編集部

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